勃勃10 赫連勃勃

劉勃勃りゅうぼつぼつ西秦せいしんが王の乞伏乾帰きっぷくけんきを喪ったことにつけ込んで攻め入るべきではないか、と提議した。すると王買德おうばいとくが諫めて言う。


「明察なる王の行軍とは、徳をもって為すべきです。決して粗暴であってはなりません。西秦は我が国と手を組んでおり、ましてあとを継いだ乞伏熾磐きっぷくしばんにとっては大喪のただなか。ここにつけ込んで討つと仰るのであれば、道理に適っていると言えましょうか、天の神霊が果たして歓迎しましょうか! ひとの喪難に乗じるのは匹夫ですら恥じるところ、まして万乗の主のなすべきことでありましょうか!」


劉勃勃は答える。


「至言である! 貴様なかればオレの耳には届かなかったであろう!」


同年、以下のような触書が発布された。


「偉大なるオレの祖先は北地より幽州ゆうしゅう朔方さくほうに訪れ、姓を氏と改めた! ただし中國の音とは異なったため、母方の氏であるりゅうを名乗った! とは言え、子が母方の姓を名乗るなぞ古の礼にもとんと聞かん! あるいは封地を、あるいは王が父の名を名乗るのが筋である!

 ゆえにオレは、ここに姓を改める! 帝王とは天に連なって生まれ落ちた子である! すなわち赫々と天に連なる! ならばここに姓を赫連かくれんと改め、天に連ならんと乞い願い、長きの祝福を求める!

 なおこの姓はオレの直系にのみ許され、宗族は以降、鐵伐てつばつ氏とする! 鋭く強き鉄のごとく、まつろわぬ民を打ち払うべく励め!」


妻のりょう氏を王后とし、子の赫連璝かくれんかいを太子に、赫連延かくれんえん陽平ようへい公に、赫連昌かくれんしょう太原たいげん公に、赫連倫かくれんりん酒泉しゅせん公に、赫連定かくれんてい平原へいげん公に、赫連満かくれんまん河南かなん公に、赫連安かくれんあん中山ちゅうざん公にした。また後秦こうしん将の姚逵ようきが守る杏城きょうじょうを二十日で陥落、姚逵とその配下将である姚大用ようだいよう姚安和ようあんわ姚利僕ようりぼく尹敵いんてきらをとらえ、二万人余りの兵を穴埋めとした。




於是議討乞伏熾磐。王買德諫曰:「明王之行師也,軌物以德,不以暴。且熾磐我之與國,新遭大喪,今若伐之,豈所謂乘理而動,上感靈和之義乎!苟恃眾力,因人喪難,匹夫猶恥為之,而況萬乘哉!」勃勃曰:「甚善。微卿,朕安聞此言!」其年,下書曰:「朕之皇祖,自北遷幽、朔,姓改姒氏,音殊中國,故從母氏為劉。子而從母之姓,非禮也。古人氏族無常,或以因生為氏,或以王父之名。朕將以義易之。帝王者,系天為子,是為徽赫實與天連,今改姓曰赫連氏,庶協皇天之意,永享無疆大慶。系天之尊,不可令支庶同之,其非正統,皆以鐵伐為氏,庶朕宗族子孫剛銳如鐵,皆堪伐人。」立其妻梁氏為王后,子璝為太子,封子延陽平公,昌太原公,倫酒泉公,定平原公,滿河南公,安中山公。又攻姚興將姚逵於杏城,二旬,克之,執逵及其將姚大用、姚安和、姚利僕、尹敵等,坑戰士二萬人。


(晋書130-10_言語)




情報が多い!


姒→夏王と同じ姓。殷周の王と違い、夏の王はあんまり先祖代々の神話が残っていない。姒姓も禹が立ったときに初めて定められたと言う。ただその後、姒姓を名乗る家門は全然見かけない。春秋時代の諸侯国では杞と繒が夏の末裔の封国だそうだが、気づかないうちに滅んでる。


と言うかこれまでさんざん外道ばたらきしてんのになんでここじゃ王買徳の徳云々に一発で説得されたんでしょうね? 鼻で笑いそうなもんだけど。このへんも、本当は「思ったより外交的配慮もしないではない」キチガイ国家としての傍証なのかも。

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