晋書載記

晋書巻130 赫連勃勃

勃勃1  凶雄の誕生

赫連勃勃かくれんぼつぼつには、本訳がスタートする段階で既に佐藤ひろお様主催「いつか読みたい晋書しんしょ訳」に訳が存在しています。なので当訳は、同サイト赫連勃勃訳

http://3guozhi.net/sy/m130.html

に、大いに依拠しております。改めて、訳の公開をありがとうございます!



赫連勃勃。あざなは屈孑くっきょく、三國志時代の匈奴きょうど右賢王うけんおうである去卑きょひの子孫であり、五胡十六国時代を切り開いた劉淵りゅうえんの宗族に当たる。


曾祖父は劉虎りゅうこ劉聡りゅうそうの時代に宗室として樓煩ろうはん公に封じられ、安北將軍・監鮮卑せんぴ諸軍事・丁零ていれい中郎將に任じられ、肆盧川しろせんに拠点を置く群雄となった。しかし北魏ほくぎの先祖であるだい拓跋猗盧たくばついろによって攻め破られ、塞表さいひょうに脱出した。

祖父の劉務桓りゅうむかんは周辺住民を糾合、また周辺部族の中でも覇権を確立した。石虎せきこが使者を遣わせてくると平北將軍・左賢王・丁零ていれい單于とされた。

父の劉衞辰りゅうえいしんが塞內に居住地を移す。すると苻堅ふけんは劉衛辰を西單于に任じ、河西の諸胡族の総督に任じ、代來城だいらいじょうに駐屯させた。淝水ひすいでの敗戦後前秦ぜんしんが乱れに乱れると、朔方さくほうの地を掌握、騎射の戦士三万八千を従えた。しかし拓跋珪たくばつけいによる攻撃を被る。劉衛辰は息子の劉力俟提に迎撃に向かわせたが、敗北。拓跋珪は更に攻め進み、ついに代來城を攻め落とし、劉衛辰を討ち果たした。


劉衛辰の息子だから、初めの名はもちろん劉勃勃りゅうぼつぼつである。父の敗戦を受けて匈奴きょうど叱干しつかん部の元に逃亡。叱干他斗伏しつかんたとふくははじめ劉勃勃を北魏に連行しようとした。他斗伏の甥であった叱干阿利しつかんありはこのとき大洛川だいらくせんを守っていたのだが、劉勃勃が北魏に連行されかけていると聞くと、叔父の元に赴き、諫めて言う。


「鳥や雀が人の元に逃げ込んできたのであれば、庇護してやるべきでしょう。しかも劉勃勃はいま故国を失い、我らのもとに亡命してきたばかり。受け入れることが出来ないというのであれば、せめて好きなところに逃がしてやるべきです。今この者を捕らえて北魏に送り込むことはあまりにも仁にもとりましょう」


しかし叱干他斗伏は拓跋珪より責め立てられることを恐れ、釈放しないままでいた。そこで叱干阿利は密かに精兵を派遣して護送団を襲撃、劉勃勃を奪い去り、この頃後秦こうしんに仕えていた沒奕于ぼつえきうのいる高平こうへいに護送した。没奕于は娘を劉勃勃に嫁がせた。




赫連勃勃字屈孑、匈奴右賢王去卑之後、劉元海之族也。曾祖武、劉聰世以宗室封樓煩公、拜安北將軍・監鮮卑諸軍事・丁零中郎將、雄據肆盧川。為代王猗盧所敗、遂出塞表。祖豹子招集種落、復為諸部之雄、石季龍遣使就拜平北將軍・左賢王・丁零單于。父衞辰入居塞內、苻堅以為西單于、督攝河西諸虜、屯于代來城。及堅國亂、遂有朔方之地、控弦之士三萬八千。後魏師伐之、辰令其子力俟提距戰、為魏所敗。魏人乘勝濟河、克代來、執辰殺之。勃勃乃奔于叱干部。叱干他斗伏送勃勃于魏。他斗伏兄子阿利先戍大洛川、聞將送勃勃、馳諫曰、「鳥雀投人、尚宜濟免、況勃勃國破家亡、歸命于我。縱不能容、猶宜任其所奔。今執而送之、深非仁者之舉。」他斗伏懼為魏所責、弗從。阿利潛遣勁勇篡勃勃于路、送于姚興高平公沒奕于、奕于以女妻之。


(晋書130-1_仇隟)




と言うわけでみんなの(要検討)アイドル、赫連勃勃、はっじまっるよぉー! あえて情報遮断してたところがあるから、どんな感じで描かれるのか楽しみです。あっちなみに小説「劉裕」のほうじゃどう頑張っても作品の主題から逸れるのでかれは登場しません。カメオ出演くらいはしてもらうかなぁ。


とりあえずいきなり叱干阿利がいてゲラゲラ笑ってる。ここでもう!

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