第5話

 テーブルに戻ると、お皿に残っていたマフィンをちぎって食べる。

 おいしいチョコマフィンの味はいつもと同じなのに、よくわからなかった。


 人間って、不思議な生き物かもしれない。

 裸を見られると恥ずかしいらしい。


 他の動物は服を着ていないのに、恥ずかしがっていない。着せるほうが無理。

 ボクは服を着ているけど、生まれた時からそうしているから服を着ることに違和感はない。お風呂とかで裸になるけど、お父さん以外のAIに見られても別になんとも思わない。


 あんな声が出て、あんなにちっちゃく丸くなるんだ。

 ボクよりも大きなお兄さんだったのに。


 かかっていたBGMはさっきと同じようなバイオリンのクラシックなのに、眠くなるようなゆっくりとした曲に変わっていた。


 お父さんの微妙な気遣いを感じる。

 ボクの気持ちを落ち着かせようとしているのだろうか? 別に興奮するような感じじゃないんだけど。この曲『子守歌』じゃなかったかな? 


 子守歌かあ……。

 ゆっくり伸びるバイオリンの音。心臓の音のようなポン・ポン・ポンという音。


 うん。

 なんか、落ち着くかも……。


 眠くなりそうな感じ。

 大好きなマフィンの味がわからなかったけど食べ終えた。


 ホントなら焼きたてで、おいしいはずなんだけど。

 いつもはすごくおいしい。さっきまではすごく美味しかったのに。


 よくわからなかった。

 なんで、美味しくないんだろう。


 気持ちの問題?

 気分で味の感じ方が変わるのなら、どうしてボクは大好きなチョコマフィンの味が分からなくなっているんだろうか。それともボクがバスルームに行って戻ってくる間に、マフィンの水分が蒸発して冷めて美味しくなくなってしまったのだろうか。


 空になったお皿を見つめて、少しの間考える。

 わからない。


 しばらくすると、バスルームからお父さんたちが来た。

 お父さんの後ろから人間のお兄さん。

 何気なく見て、驚いた。


「え? 誰?」

 思わず言っていた。


 ボクはじーっと見つめる。

 目の前にいる人間のお兄さんが、さっきの人間のお兄さんなのか、脳内で比較する。


 よくわからない。

 わかるのかもしれないけれど、わかるまでに時間がかかった。


 ボクが拾ってきたのはグリーンの目が綺麗なもさもさな頭の人だった。

 今、目の前には、髭をそられて髪も短く整えられた、ピカピカなカッコいい人が立っていた。


 もさもさなお兄さんと、さっきのお風呂場にいたお兄さんは髪型が一緒だったから同じだと判断できた。薄汚れたもさもさなお兄さんの肌は見えなかったけど、お風呂場にいたお兄さんの肌は想像以上につやつやしていた。


 お風呂場のお兄さんと今のお兄さんもなんとなくつながった。お風呂場で丸くなっていたお兄さんは今のお兄さんの面影がある。


 ということは、今朝、ボクが見つけたもさもさなお兄さんは、今、ボクの目の前にいるピカピカなお兄さんなんだろう。


 薄汚れた服はお父さんが洗濯をしているんだと思う。ボクの服もお父さんに渡すとピカピカになっている。

 今のお兄さんも新品のようなシャツとジーンズを着ていた。


 ボクには大きすぎる服。ボクが成長したら着せるつもりでいたのだろうか。それにしてはボクがあまり着ない感じの服だった。

 お兄さんにはちょうど良かった。青いチェックのシャツとジーンズ。


「お父さん、お兄さんが着てる服、どうしたの?」

 そう言ってお父さんを見ると、お父さんがトリマーさんの姿になっていることに気が付いた。ナース帽を外して濃い緑色のストレッチ素材のVネックのシャツにエプロン姿になっている。


 ロボットなお父さんに服装は必要ない。

 自分以外の何者かにほっこりしてもらうためにそれなりの格好をする。つまり、ロボットなお父さんのナース帽やエプロンはボクの気持ちをほっこりさせるためにしてくれている。


 お兄さんの変化が大きすぎて気づかなかった。

 ツッコんであげなくてごめんなさい、お父さん。


 お父さんの姿は、床屋さんではなくトリマーさんのイメージだった。髪を切ったのだから、短めの白衣を着た床屋さんなのではないかと思ったが、ペットを洗ったり毛を切ったりするトリマーさんだった。


 ボクが「飼っていいか」と聞いたから、それに合わせてくれたんだろう。

 お父さんは細かい所にめちゃめちゃこだわる。


 触れた方が、いいのかな?

 今さらな気もしたからスルーにした。


「昔、コノ家ニ 住ンデイタ人間ガ 着テイタ服デス」

 お父さんもトリマーさんの格好のことは特に何も言わずにボクの質問に答えてくれた。聞かなくてもいいってことだろう。


「ふーん」

 お父さんはその人たちの持ち物を大切に管理していて、必要な時に出してくれる。


 博物館クラスのビンテージ物もあるのに、そんなところに飾るよりも大切に使って欲しいと考える人たちだったとお父さんはボクに言う。


 破れたりすると、直すのが得意なAIの機能を借りてロボットお父さんが直してくれる。ボクが今、着ている服もそんな感じで作られ、ボクが着なくなった後は直されたりして有効利用される。


「あんまり直してない感じがするけど、いいの?」

 それはほぼオリジナルな服ということだった。お父さんを作った人間が使っていた服、そのままの状態。


「イイデスヨ」

 お父さんは答えた。AIっぽく淡々と。


 そこに感情はなかったけど、本当にいいのかな? と思った。けど、お父さんがイイと言うのならいいんだろう。


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