syringa vulgaris ⑨

 忘我の淵にと逃げ込んでいた意識が、鷲掴みにされ引きずり戻される。強烈な痛みが少女を襲っていた。少女は、かっと眼を見開いた。そして再び茫然とした。


 歯を食いしばろうとしたが、口の中に押し込まれた雑布が邪魔をする。かわりにむせた。まな板の上の魚のように、体をくねらせ、何度も何度もむせていた。純白の肌が、みるみると赤く染まっていく。


 刺されていた。胸だった。未発達な小さな膨らみに、それは深々と突き刺さっていた。口が塞がれているために少女の悲鳴は「うーっ!」という呻き声にしかならない。


 少年の姿がみえる。少女の生まれ故郷の男達特有の髪色。この国では少々珍しい、赤茶けた色の髪が特徴的だ。彼は少女の胸に食い込んだナイフを握りしめ、悦に入っている。感触を楽しむかのように、その手をこねくり回していた。そしてゆっくりと引き抜いた。


 血が噴いた。小さな噴水のように、びゅーっと、飛び散った。宙を舞った鮮血が、弧を描いて落下する。ぴぴっと二滴、少女の頬に着地した。言葉にならない痛みが襲う。中央部に穿たれた赤黒い陥没は、周囲の肉と共に収縮を繰り返している。



 強烈な臭いが鼻を衝く。


少女は失禁していた。血や汗、涙、そして精液など、あらゆる体液が熱気にあてられ蒸発して、混じり合っている。蒸気となって辺りに満ちていた。


 そして少女は終末の刻を悟った。焼けた鉄の臭いがする。頭を抑えていた火傷の男が、卑猥な呟きと共に、少女の髪を鷲掴みにする。激しく拒否する少女の視線を、無理矢理そちらに向けた。


 そこに見えるのは絶望の塊だった。それは、おとぎ話に聞くドラゴンの舌を彷彿させた。真っ赤で淫靡な輝きを放っている灼熱の棒。少女の両足を抑える二人の男が興奮のあまり絶叫している。



 少女は神にすがろうとした。直後に唇を噛んだ。思い出せない。今までに何千、何万回と口にしてきた祈りの言葉が頭に浮かばない。


 再び聖なる鐘が響いてきた。ミンストレルソングと、ライラックの甘い香りが少女を包む。少女は天を仰いだ。ここは聖都、神の坐す都。神様がこの現状を見ていないはずはない。



 少女の瞳から大粒の涙が零れ落ちる。弧を描いて頬から落ちた。乾いた路面に落下した涙の滴は、一瞬にして蒸発した。これが少女の最後の涙となった。



 この日を境に、少女はラ・ファの魔法を失った――

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