ぶんたと共に 〜わがままなあなたと〜
神崎
第1話 フレンチトースト
「起きろ、飯を用意しろ」
ぶんたはわがままだ。それはもう私の都合なんて考えてくれない。
週末はぐうたらしようと意気込んで、土日分の買い物も済ませ、目覚ましも切った。そうして整えた万全の状態にも関わらずお構いなしに起こしてくる。
そこに遠慮はない。頬に手を押し付けてグイグイと揺らしてくる。
「せっかくの休みなんだからもうちょっと寝かせてよ」
布団に潜り込んで退避したとしてもぶんたの追撃は止まない。
「明美の休みなど俺には関係ない」
さぁさぁ用意しろ。的確にお腹辺りの所に乗っかってくるもんだから重くて息苦しくなってくる。結局いくらこちらが覚悟を決めても私の平穏はぶんたに破られる。
仕方ないなぁ。渋々布団から出ると、ぶんたはようやくお腹から飛び降りて脇にちょこんと座り込んだ。
いつもはだらしなくお腹を上にして人間より人間らしくだらけているくせに、ご飯の時だけはお行儀がいい。本当にあざといんだけども、それでも可愛いのには間違いない。
「おはよう、ぶんた」
頭を撫でてやると、ぶんたは気持ち良さそうに喉をゴロゴロと鳴らした。スコティッシュフォールドらしい小さな耳のコロッとした感触を手のひらに感じた。
「おはよう、明美」
にゃー、とちょっぴり低めの一声が寝室に響いた。
軽い足取りを響かせながら足早にぶんたがキッチンへと先導していく。ちらちらと私がついてきている事を確かに確認して、また歩いていく。フリフリおしりを揺らしながら。
キッチンの真ん中には既に空の餌皿がポツリとおいてあった。お皿を舐めまわしたのかやけに綺麗に光っている。
早くしろとせかすぶんたをなだめつつ、新しい餌皿を取り出してカリカリを流し込んだ。皿に入れるや否や押しのけるようにぶんたが頭を突っ込んで食べ始める。
こうやって見ると、やっぱりただの食い意地の張った猫だ。
小さく折れ曲がった耳、焼き芋みたいなきれいな金色をした瞳、頭から背中にかけて淡い灰色の毛が生えて、白毛とのグラデーション。おなかの分度器みたいな半円状の模様がちらちらと揺れている。
やっぱりどこからどうみてもスコティッシュフォールドの猫なんだけども、それでもくるりとこちらを向くと、
「もっとよこせ」
さも当然かのように主張してくる。
「またお昼にね」
ぶんたの餌皿を取り上げると名残惜しそうにぶんたが視線をこちらに向けてくる。上目遣いの熱いまなざしに取り込まれる前にシンクへと直行した。
蛇口をひねるとまだまだ冷たい水が手元に流れる事を感じる。少しづつ暖かくなってきたとはいえ、まだまだ春には遠そうだ。
皿を洗っているとシンク脇の調理台にぶんたも上ってきた。
「昼まで待てないぞ。いま食べたいんだ」
野太い鳴き声を出しながらぶんたは催促してくる。
前にそういわれて餌を与えたことがあったけども、結局昼ごはんまで持たなくて早く飯を出せと随分催促されたなぁ。
「いま食べたら、お昼にお腹空くよ」
「そしたら昼に食べればいい」
「昼の分は朝に食べてるから、昼は出ないよ」
ぶんたには意外な盲点だったのだろう。瞳を丸くして驚いていた。
手早く皿も洗い終わり、ついでにぶんたのお水も入れ替えた。やっと自分のご飯へとありつける。
「私はごはん何にしようかな」
呟きながら冷蔵庫を空ける。だいぶ空白が多い冷蔵庫の中には、それでも土日は普通に暮らせるだけのご飯は入れてあった。卵が丸々1パック。納豆、お肉、その他調味料。野菜室にはたしかキャベツやニンジン、キノコなんかがあったはずだ。
めんどくさいし卵かけご飯でいいかな。でも、ちょっぴり優雅な感じにしたい。
ふと、ハチミツが目についた。最後に使ったのはいつだろう。賞味期限はまだ切れていない。牛乳とパンもある。
「ぶんた、ちょっと退いて」
毛繕いをしているぶんたを脇に寄せて食材を調理台に運ぶ。ボウルと泡立て器も戸棚から取り出した。
「何をしてるんだ、明美は」
「朝ごはんを作るの」
卵を割りいれた卵黄は少し赤みがかっていて、でも綺麗な黄色のぷっくりとした形だった。そこに牛乳と砂糖を目分量で入れていく。
くんくんと興味深そうに臭いを嗅ぐぶんたに物がぶつからないように注意をしつつ混ぜていく。
「なんでぐるぐる回しているんだ」
「これはかき混ぜてるの。そうしないと、味にばらつきが出てこっちは美味しいのにあっちは味がない、ってなっちゃうからね」
「かき混ぜればかき混ぜるだけ旨くなるってことか?カリカリもかき混ぜたら旨くなるのか?」
カリカリをかき混ぜるか。そんな発想はなかったな。きっとそんなことをしたら粉々になってぶんたは悲しむんだろうな。
カリカリが無くなったって。そんな姿を思うと噴き出してしまった。
「カリカリはあれ以上美味しくならないかな」
更なる美味に期待を膨らませているのか、ちょっと瞳が大きくなったぶんた。美味しいものを食べたい気持ちは分かるけどね。
卵液ができたらパンを取り出して浸してやる。染め物のようにじわじわと黄色の染みが広がっていく。
「これで完成か」
「まだまだ。これから10分くらいまって、その後に焼くの」
「なんだそれ、めんどくさいな。そのまま食ってしまえばいいじゃないか」
「料理ってそういうものよ」
そうなのか。ぶんたは首をかしげる。
「なんで、明美は食える物が目の前にあるのにそれに手をつけるんだ。腹がへったならさっさと食ってしまえば良いのに、何で手をつけて待って面倒なことをするんだ」
ぶんたにとって料理とはとても不思議なものなことらしい。
確かにめんどくさいって感じている事を率先して私がやっているから、気持ちと行動が合っていないのは確かかもしれない。
そうだなぁ。私はなんで料理をするんだろう。
「そのまま食べてもいいのかも知れないけど、それじゃ味気ないからかな」
「味気ないってなんだ」
「なんかね、物足りないのかな」
朝食としてぽつんと卵と小麦、はちみつが置いてあるところを想像してみる。
食材としての役割は果たしそうだけれども、テーブルを彩るにはやっぱり物足りない。
これがフレンチトーストだとどうだろう。ふわりとした触感にとろけるはちみつ。見栄えも良くて充実した朝って感じがする。
「ぶんたの言うとおり、食べればお腹は膨れるかもしれない。でもね、やっぱりそれは物足りないよ。私はおなかを満たす以上に心を満たすことも望んでいて、そのために料理をしたいのかなって思ったよ」
「俺はそんなことしなくても、食えて寝れて、遊べればそれで十分だ」
ぶんたはそれでも納得できないのか、なおもじっと見つめてくる。
ぶんたらしくていい考え方だな。思わず笑ってしまった。
「私もそのくらいで十分ならいいんだけどね。やっぱり欲が出てきてもっと良い物をって思っちゃうかな」
おいしければおいしいほどいい。そうやって上限を求めていくうちに、食べ物が食材に変わって、下限が上がってきたんだろうな。
「人間ってめんどくさいな。食べることにもこだわりがあるなんて」
「かもしれないね」
そのめんどくささがあったから、今こうやって美味しいものを食べられる。それはきっといいことなのだろう。それに。
「でも、ぶんた。あなたが朝食べたカリカリだって、料理がなければ作れないのよ」
「うそだ。だって、カリカリはどこの家に行ってもおいてあるぞ」
「ぶんたの為にみんな用意しておいてくれてるんだよ」
ぶんた、やっぱり色んなところからご飯もらっているな。
ダイエット本当に考えないと。
「だから料理ってめんどくさいけど、それでも人間にとってはとても必要なことなの」
そうかと、ぶんたはうなずいた。
テーブルには出来上がったばかりのフレンチトーストが湯気を立てている。
溶けたバターと流れるはちみつ。ナイフを入れると中からはトロッとしたパンが顔を出す。
柔らかさを崩さないようにゆっくりと口に運べば、バターの溶けた匂いとはちみつの甘い香りがマッチして鼻を通り抜けていく。
外は若干カリッとしているけど、中は本当にとろけていて、体の中に脱力感のような幸せを感じた。やっぱり朝はこれよね。
「なぁ、明美。一つ聞いていいか」
私の膝の上で香箱座りをしているぶんたが羨ましそうにこちらを見た。
「明美は料理は好きか」
うーん、どうだろう。
「食べるのは好きかな」
「俺もだ」
物欲しそうに懇願するような鳴き声がまた一つ響いたのは言うまでもない。
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