僕がひとりじゃなかった日

永盛愛美

第1話 僕と従兄弟

 同い年の従兄弟が生まれた時からずっと傍にいる。

祖父母の家を挟んで、僕の家と従兄弟の杉崎基すぎさきもといの家がはす向かいにある。

 僕の母と基の母が姉妹で、二人とも婿養子を迎えたんだって。だから土地を貰って、すぐ近くに家を建てたんだそう。

 なにもこんな目の前に建てなくったっていいじゃんね……。

 僕は杉崎葵すぎさきあおい。今年、中学校に入学した。

 僕には二つ上の兄、茂生しげおと、五つ下の妹、かえでがいる。

 基には二つ上の兄、はじめがいる。

 そうなんだよ!同じ学年どうしの従兄弟がセットになってるの。

 二セットとも、近くの公立小中学校に通ったし通っているので、なんだか従兄弟なのか幼なじみなのか?はたまた兄弟なのかよく分からない。三分もしない内にお互いの家に着いちゃうんだもの。焼きそばの冷めない距離なんたよね。

 なぜ、焼きそばかって?それは片方の家で大人たちが昼間からお酒を飲んだり、プチ宴会をする時、もう片方の家で子供たちだけで食べて来なさい、って決まって焼きそばの入ったフライパン二つとサラダとかを渡されるから。

 最近は食べ盛りの中学生男子四名と小学生の妹がそれでは物足りなくて、パンケーキやドーナツを自分たちで作って食べちゃったりしている。

 主に基が作っているんだ。アイツは料理が趣味らしい。

 中学に入学したら、アイツは料理研究部に入ったんだ。そんなにお料理が好きだったっけ?僕は驚いた。てっきり僕と同じ帰宅部だと思ったんだけどな。

 小学生時代から、殆ど毎日一緒に登下校していた。それが当たり前だと思っていた僕。

 そろそろ自立しなさいって?いやいや、基に依存なんかしてないよ?

 そろそろ従兄弟から卒業しなさいって?茂兄しげにい始兄はじめにいみたいに、付かず離れずに?

 あっちはアレが普通なんだよ。僕らはいつも一緒だったんだよね……。

 はあ。つまんないなあ。僕も何かをやらなくちゃいけないのかなあ……あ、勉強は除いてね。そんなの毛頭ないですから。はい。

 そろそろ基たちが作るお料理が出来る頃かなあ……。今日は何を作っているのかなあ……?あ、考えたらお腹空いて来ちゃった!

 このままもう少し教室ここで待ってて、基を調理室まで迎えに行ってみようかな……?そろそろ四時になってしまうよ。

 「なんだよ。おこぼれ頂戴しに来たのか?おあいにく様、お前の分なんてないぞ」

 なーんて言われそうだから、やめておこう。ちょっと期待しちゃってるのは本当だもんねぇ。

 うーん。そろそろ帰ろっかなぁ、と思っていると、パタパタと足音が聞こえて来た。

 カラカラッと戸が開いて、庭野にわのっちが入って来た。

 「あっ、やっぱりいた!葵っち、今さ、持田もちだ先生が葵っちのこと捜してたよ。多分すぐに教室ここに来るよ」

 「えっ、持田先生もっちりんが?また?」

 持田先生は隣のクラスの担任だけど、この間からで僕を狙っているんだ。

 「うん。この前、葵っちが持田先生から逃げていたの見たから、葵っちに教えた方がいいかな、って。早くここから出た方がいいよ」

 「えっ?わざわざ?その為に教室に来てくれたの?ありがとう!庭野っち!」

 そう言うと、庭野っちは顔を赤らめて、ちゃうちゃう、と手を左右に振って「月例会が終わったから教室に戻って来ただけ。その途中で葵っちのことを一年生に聞いてたのを見かけたから」と言いながら、自分の机から出した教科書類を鞄に詰めだした。

 もう、この子は昔から真面目な学級委員体質なんだから……。同じ小学校から上がって来たんだよね。中学生になっても、やっぱり学級委員をやらされている。そのうち生徒会役員会とかにもなっちゃうんじゃないかな。

 なーんて考えていたら、どすどす、という足音が聞こえて来た!げっ!まじ?

 「庭野っち!僕、帰宅したからね!」

 もちろん小声で囁いて、荷物を抱えて教室のベランダに出た。運動神経はないけど、こういう時だけは素早い僕。

 庭野っちはすかさず鍵を閉めてくれた。サンキュー、庭野っち!さすが頼れるクラスピかいち女子!

 ベランダは隣の隣の隣のクラスまで続いている。もし、誰かいたら鍵を開けてもらおう。そこから廊下に出るもんね。もし、誰もいなかったら?その時は反対側のベランダを覗いて、それでもダメならここから校庭にいる部活動の一年生をなんとかして……あっ、ラッキー!いたいた!僕、ツイてる!

 僕が違うクラスの子にベランダから救出されている時、庭野っちがもっちりんと鉢合わせしちゃったかもしれないなあ。ごめんね。庭野っち。




 葵はそんなことを思いながら昇降口玄関へと向かった。

 葵が素早くベランダへと逃げた後、開け放された戸から持田が顔を出した。

「あれ?庭野くんだけ?誰かここにいなかったかな……」

 「いえ、私だけです。独り言を言ってましたけど。聞こえてしまいました?」

 「ああ、うん、そうか。今日は月例会だったな。お疲れさま。ところで、杉崎くんを見なかったかな」

 「杉崎くんですか?私と入れ替わりに帰りましたよ」

 「そうなのか……一足遅かったな。ありがとう。庭野くんも早く帰りなさいね」

 「はい。さようなら」

 教師が出て行った後、そうっと窓を開けて、見通しの良いベランダを左右確認した。葵がいないと分かると、窓を閉めて、教室の鍵を確認した学級委員だった。

 (持田先生、どうして入学してから葵っちを追いかけているのかな)

 葵に毛嫌いされている隣のクラスの担任であった。


 葵は持田から逃れて玄関に向かおうとしたが、もしかしたら、持田にまた待ち伏せをされているかもしれないと思い、方角を変えて教室がある二階から一階にある調理室まで廊下の様子を伺いながら足音を立てないようにして急いだ。


 (あれ?いい匂いがしない……?)

 いつもならば美味しそうな食欲をそそられる香が漂う調理室近くの廊下なのに、何も匂ってこない。そうっと調理室の中を覗くと、既に部活動が終わったらしく、数名が後片付けに追われていた。

 中のひとりが気付いて、こちらを見た。知らない生徒にぺこりとお辞儀をした葵は、内心またやってしまった、と思った。さり気なく立ち去ることが出来ないのだ。

 後片付けをしている者の中で頭ひとつ半飛び出ている従兄弟の基《もとい》がそれを見て振り向いた。    (げっ!なんで手招きしてんの!)

 おいでおいで、と合図している。何かよからぬ魂胆でもあるのだろうか。

 他の部員も同じく手招きをしている。

 仕方なく、調理室の中へと足を踏み入れた。

 「お邪魔しまーす……」

 「なんだ?手伝いに来たのか?気が利くな」 

 基はそう言うと、布巾を葵に持たせようとして、「おっと、その前に手を洗ってくれ」と促した。

 「えっ?なんで僕が?えっ、ちょっと」

 葵がたじろいでいると、先程の挨拶をした知らない生徒が水道の蛇口をひねる。

 (うう、何その連携プレー?)

 葵はしぶしぶ荷物を置いて、手を洗い、布巾を受け取って、洗い済みの食器類や調理器具を拭き始めた。

 「いきなりごめんね。杉崎くん。後でご褒美はちゃんとあげるからね」

 知らないはずの生徒が、葵を知っていた。

 知っていたことよりも、違うワードに焦点が当たった。

 「えっ?ご褒美?僕もらえるの?」

 「そのつもりで来たんじゃないのか」

 思った通りに基が呟く。ほら、やっぱり、と葵は思った。

 「違うもん。もっちりんから逃げて来た途中なんだよ。教室でニアミスッちゃったから、玄関は危ない気がしたんだ。前に一度待ち伏せされたからさあ」

 そう言って室内を見渡すと、後片付けをしている五名の部員は全て男子であった。

 「……女の子、いないの?ここ、料理研究部でしょ?」

 葵が尋ねると、他の部員たちがクスクスと笑った。

 「杉崎くんも女子狙いなんだ?」 

 「えっ?違うけど……前に覗いた時は女の子がいたんだよね……」

 葵には女子が目当てにはならない、なれない理由があった。

 (?って、みんなも?)

 「ああ、先輩には女子がいるよ。今年の一年にはいないんだよ。後片付けは一年のノルマだから、僕らしかいないんだ」

 顔は見たことがあるが、名前を知らない彼らは皆同学年であった。

 「ええ?後片付けは一年生がやるのお?先輩たちずるいねえ」

 「うん、それが伝統なんだってよ。バカらしいけどさ、先輩たちもみんな一年時に嫌ってくらいやらされたらしい」

 入学して二ヶ月余り。つい最近まで小学生だった自分たちが「先輩」などと口にするなんて、と気恥ずかしさが葵にはあった。部活動を行わない帰宅部なので当たり前かもしれないが。

 「ふぅん。なんかヘンな感じ。みんな大変だね。頑張ってね」

 話しながら葵は基から渡される洗い物を次々と拭き上げた。いつもの要領である。

 「杉崎くんが手伝ってくれたから早く終わったよ。サンキュ!はい、ご褒美」

 ひとりが食器戸棚からラップがかけられた大皿を取り出して、長いテーブルの上に置いた。

 「あっ!なにこれ、可愛いサンドイッチだ!」

 大皿にはミニサイズのサンドイッチが綺麗に盛り付けられていた。葵は可愛いものには目がない。妹の楓の洋服のコーディネートに口を出しては「お兄ちゃん、うるさいー」と言われる程だ。

 「ホントは食品衛生上か何かの問題で、あんまり部員以外には食べさせちゃダメなんだけど、杉崎くんの親戚?従兄弟だっけ?だから大丈夫だよ。あっちも終わったから、みんなで食べよう!」

 「コイツなら何を与えても大丈夫だ」

 「ちょっと、それじゃ僕がゲテモノ食いみたいじゃない」

 基の発言に葵が口を尖らせる。

 後片付けを終えた部員五名と葵は、手をもう一度洗おうと校庭に面した窓際に横一列に並んだ。

 「あれ、ここからグラウンドが良く見えるんだね!凄い見晴らしがいい!」

 いつも調理室にいる時は授業中なので、葵は目の前で部活動に勤しんでいる生徒たちを見る機会など無かった。

 「なんか、向こう側からもこっちが良く見えるらしいよ。たまに覗きに来るよ」

 「へえ……知らなかった。今度の体育の授業の時に見てみよう。あの人たちは陸上部の人かな?野球とかテニスは違う場所でやってるもんね。ねえねえ、覗きに来る人、お腹空いているだろうねえ」

 葵がペラペラと独り言のように喋りまくっている間、部員たちはクスクスと笑っていた。

 基は呆れた顔で従兄弟の顔を眺めていた。

 葵は全く気付いていない。

 そこへ、見知った顔の同級生が外の水場へと走って来た。

「あ、早瀬じゃん?おーい、早瀬ぇ!」

 部員でもない葵が、勝手知ったる部室とばかりに窓を開けて、早瀬に声をかけた。基がギョッとした顔をしたが、葵はお構いなしである。

 「早瀬ぇ、どしたの、外練なの?」

 同じ小学校から上がって来た彼は、確かミニバスをやっていたはずである。バスケ部は体育館で部活動を行っている。

 顔見知りを見つけた彼は、汗だくだった顔を洗い流すと、首からかけているタオルで拭きながら窓辺へとやって来た。

 「あれ、なんで調理室ここに葵っちがいるんだ?まさか基っちと同じく入部?」

 「ちっがうよ、僕はもっちりんから逃げて来たの」

 「何。まだ持田先生、葵っちのこと諦めてないのか?」

 「そーみたい。やんなっちゃうよね!早瀬は罰ゲームか何か?」

 早瀬はキョトンとした顔をして、葵をまじまじと見つめた。

 (あっ?早瀬ナニゲに可愛い?)

 「俺が?罰ゲーム?なぜに?」

 「ええ?だって、バスケ部は体育館じゃん、外周やらされてるんじゃないの?」

 そこへ基が口を挟んだ。

 「ばーか、早瀬は陸上部に入ってんだよ」

 うんうん、と早瀬が頷く。

 「ええっ!そうなのぉ?知らなかったよ!」

 「おーい、ダブル杉崎くん、早く来ないとサンドイッチがなくなっちゃうよ」

 窓際で友人と話し込み、いつまで経っても食べに来ない二人を部員たちが急かす。

 「あっ、ごめんごめん!今、行く」

 葵が振り返る。

 基はまたな、と早瀬に手を振り、食べ始めている部員たちのテーブルの方へと向かった。

 早瀬は不思議そうにしている。これではまるで葵が料理研究部の部員のように見える。 

 「葵っち、ちょくちょく調理室ここへ来るの?」

 「え?違うよ。中に入ったの今日が初めてだよ」

 「え?マジ?」

 「うん。あっ、基に食べられちゃう!じゃ、早瀬、またね。部活頑張ってね!」

 そう言うと、窓際から離れて大皿に盛られたサンドイッチを目指して直行した。

 

 部員たちは、丁度空腹を覚える時刻の為か、食べ盛りの年頃もあって、消費が早かった。既に半分近くになっている。

 「うわ、美味しそうだね!これ、みんなで作ったんだね!凄いねえ!じゃあ遠慮なく、いっただっきまーす!」

 殆ど食べ終えた部員たちは、後から食べ始めた葵と基を交互に眺めている。基は自作のサンドイッチを確かめる様に味わいながら黙々と食べ、葵は一口頬張るごとに「あ、これ辛子きいてて美味しいね」「ねえ、こんな綺麗にカットするの大変じゃないの?」などと、誰に話しかけるふうでもなく、独り言を呟いている。 

 「ねえ、二人は従兄弟なんだよね?」

 部員の一人が素朴な疑問とやらを尋ねた。

 「うん、そうだよ。お母さんたちが姉妹なんだよ」

 「あのさ、さっき陸上部の子と話してたけど、持田先生から逃げて来た、ってどうして?持田先生もっちりんて数学の先生だろ?中間テストが悪かったとかで目をつけられたとか?」

 葵は目を丸くして、キョトンとした顔をした。横で基が鼻で笑っている。

 「えっ、ちっがうよ、僕、頭悪いけど、もっちりんに目をつけられるレベルまでのバカじゃないよ!」

 「コイツ、柔道部へ入れ、って勧誘されてるんだ」

 基が葵の代わりにあっさりと答えた。

 「えええ~!杉崎くんが、柔道部にスカウトされてんの?あ、もっちりんは柔道部の顧問か……え、杉崎くん、柔道やってたの?」

 部員たちは、ペロリと平らげた大皿を片付けることも忘れて今日初めて会った葵に興味津々とばかりに話しかけて来た。

 基は口が重い。葵が同席していることで多少会話に入っていることも珍しい。

 「違うの。僕、柔道なんかやってないし、やりたくないんだけど……」

 「俺たちのじいさまが、昔国体選手だったらしくて、選手を辞めてから国体の候補の強化選手っての?のコーチをしたらしい。その時、持田先生が学生で、指導を受けたと聞いた。入学したら、早速俺たちにじいさまの話をしに来たんだよな」

 「うん、そう。基の方はすぐ諦めてくれたんだけど、僕の方はまだなんだよ。しつっこいよね!僕、ちゃんと嫌だって言ってるのにねぇ」

 「やってみたら?楽しいかもしれないじゃん?」

 「えっ、やだよ、あんなどっしんばったん地響きが凄い所で投げ飛ばされたりぶつかったりするの……楽しくなんかないって!怖いよ!」

 「その前に運動オンチだもんな」

 「基だって五十歩百歩でしょーよ!」

 部員たちはクスクスと笑っている。

 「僕さ、初めて杉崎くんと会ったとは思えないんだけど。葵っち、って呼んでもいい?」

 「え、いいよ。あー、うん、よく言われる。僕は人見知りをしないんだって」

 そこにいる全員が納得をした。


 葵と基は料理研究部の部員たちから、二人でセット要員と認識された瞬間であった。

 

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