第1章 女に生まれたかった

第1話 そもそものきっかけ

 翔は物心ついた頃から、人には言えないある願望があった。


 それは「男ではなく、女の子に生まれたかった」という願望である。



 幼い頃はすごく単純だった。翔は男友達と遊ぶよりも、女の子とおままごとをする方が楽しかったのだ。


 でも、厳格な翔の父は、そんな翔に「もっと男同士で遊びなさい」と勧めてくる。


 また、動物が好きなので、キティやミッフィーのぬいぐるみをたくさん持っていたのだが、これも「男ならそんな物よりプラモデルとかやらないのか」と言われてしまう。


(僕が女の子だったらそんな事言われないのに)


 こんなかわいらしい願望からスタートした。

 成長するにつれ、色々な知識が入ってくると、この願望にも様々な変化が生じて来た。


 まず最初の変化は、一時的に願望がなくなってしまった事だ。

 なぜなくなったのか。きっかけは出産に関する誤った知識である。


 翔が幼い頃、学校でこんな会話がされた。

「子供を産むのって女だけなんだよね」

 小学校の友人、三島健司が翔に話しかけた。


「そうそう」

「で、子供産む時って、お腹切るんだって」

「えーっ!」


「だからさ、男に生まれて良かったと思わない?」

「うんうん、お腹切るなんて絶対嫌だからね」


 健司の両親は、彼に本当の事を言わなかったのだ。出産はすべて帝王切開だみたいな嘘を教えていた。


 そのため、これを聞いた翔もまた、男に生まれて良かったと思い直したのである。


 でも、その勘違いはすぐに解消される事になる。というのも、翔は動物好きで、犬を飼っていた。その犬の出産や、その前に交尾をするという事を知っており、同じ動物である人間だけが違うのはおかしいと考えたからだ。


 この頃の翔はすごく変な話であるが、動物のメスに生まれたかったみたいな願望を持った事があった。犬をきっかけに他にも動物の出産や産卵について色々な本を読んで興味を持ったのだ。


 例えば馬。あるドラマで、人間が数人で赤ちゃん馬の脚を引っ張っても出てこないという超難産のシーンが放映された。


 他にも象もかなりの難産である。


 産卵で興味を持ったのはカメやヘビ。翔は爬虫類や両生類も好きだった。


 まずはウミガメ。ふだんは大海原を優雅に泳ぎ回っているその姿からは、想像も出来ない姿をさらして産卵する。


 ウミガメは陸の上では上手く動き回る事が出来ない。だからゆっくりとうようにして進んでいく。そして後ろ足で大きな穴を掘り、そこに卵を産み落とす。それも一度に百個以上も。


 ウミガメは産卵中に涙を流す事は良く知られている。これがあたかも陣痛に苦しんでいるかのように見えるのだ。実際はそうではなく体内の塩分を排出するためなのであるが。


 次にヘビの産卵も壮絶。産卵直前のヘビは細い体が大きく膨らむ。普段の体よりも幅のある卵を産む。


 まあ、さすがにある程度成長してからは、人間の女性にしか興味はなくなったけれども。



 また、翔の母は変わった人で、トイレで大きい方をするたびに家族の前でこんな事を言うのだ。


「あ~スッキリした。今日は安産だった」


 更に、便秘でなかなか出なかったりすると、

「今日はすごく難産だった」


 翔は気になって聞いてみた。

「母さん、その『あんざん』とか『なんざん』って何?」

「出産が軽いか重いかだよ。軽いのが安産で、重いのが難産」


「そうなんだ。でもなんでトイレから出て来た時にそんな事言うの?」


「だって出産とトイレって似てるから。赤ちゃんはここから出てくるんだよ」

 翔の母親は自分の股の間を指しながら言った。


 翔は目が点になって固まってしまった。


 とはいえ、よくよく考えてみたら母親の言っている事の方が、正しいような気もする。なぜなら犬等の動物と全く同じだからだ。人間だって動物なのだから。


 そこで翔は健司から聞いた事を伝えてみた。

「赤ちゃんって、お腹を切って産まれるんだって学校の友達が言ってたけど」


「それは帝王切開って言って、赤ちゃんの頭が大きすぎたり、なにか異常があってお母さんか赤ちゃんのどっちかが危険になる時だけだよ。普通は下から産むの」


 なるほど。

 翔は次の日に書店に行って「妊娠と出産の本」というのを読んでみた。


 小学生の男の子がこんな本を立ち読みするなんて、普通ならあり得ない光景であるに違いない。って言うかそれ以前に恥ずかしくてとてもそんな事は出来ない。


 でも、あの母親にしてこの子あり。翔はそんな事は全く気にせず、となりの妊婦らしき女性がドン引きしているのもかまわず、真剣に読み続けていた。

 母親の言う通りだった。

(やっぱり赤ちゃん産みたい)


 かくして、翔の女に生まれたいという願望が復活した。


 幸か不幸か、この時に翔が読んでいた本には、陣痛の痛みがいかに過酷なものであるかについての記載がされていなかったのである。


 もちろん出産の入門書だから、陣痛については書かれていた。でもこんな感じだ。


「1 陣痛のしくみ

 陣痛は、子宮が収縮する事によって起こります。自分の中から湧き起こる内臓の痛み。外から傷つけられるような痛みと違って自然な痛みなのです。赤ちゃんが生まれたら嘘のように消え去ってしまいます。


 だから、いたずらに不安や恐怖を持たないように、お産に関する正しい知識を持つ事が大事なのです。


 本を読んだり母親学級に積極的に参加してください。


 2 どんな痛み?

『長期に渡って便秘していたのがやっと出る感じ』

『下痢でお腹がいたいけどうんちが出ない感じ』


『人によってはかなりお産が進んでもあまり痛みを感じなくて、お腹が張る感じ、腰が重苦しい感じ』


 陣痛はずっと痛いのではありません。1分痛みがあってから痛みが消えたら、しばらく痛みがない間欠期が来ます。だんだん痛みは強く、続く時間も長くなります。


 どんなにつらい痛みでも、赤ちゃんが生まれるまでです。終りのある痛みなのです。


 赤ちゃんが生まれた途端に赤ちゃんを産んだしあわせでいっぱいになってしまいます。


 もう次は男か女か、なんていう気の早い人もいます。 


 3 どうしても痛くてがまんできない時は?

 大丈夫です。呼吸法やマッサージでかなり緩和することが出来ます。案ずるより産むがやすしです」


 こんな甘々の建前だらけの記載では、かえって翔の願望を強めるだけである事は言うまでもない。


◇◇◇◇◇◇



 読んでいただきありがとうございました。


 次の第2話は、翔の女性に生まれたかったという願望が、更に加速するきっかけとなった、誰もが子供の頃に経験するであろうお話です。いったいどうなるのでしょうか? お楽しみに!

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