11.白山羊亭

「狐さん、こんなところで寝ていたら風邪引いちゃうよ?」


自分が自分でなくなる奇妙な感覚に恐怖していた時に突然声をかけられ、思わず体が硬直してしまう。

ゆっくり顔をあげるとそこには頭の左側から後ろに伸びる角を生やし、人形を片手に抱えた10歳前後の少女が立っていた。


「こっちだよ〜」


どうしてこんな路地裏に女の子が?と不思議に思っていると少女に手を引かれる。

俺は慌てて立ち上がり、少女に合わせ中腰になりながら進む。

しばらく少女に続いて歩いていると、少女は少し大きな建物の前で止まった。

建物には『白山羊亭』という名の看板大きく書き出されていた。


「狐さん、ここ私の家なの。

眠たいなら私の家で寝て。ぐっすり眠れるよ?」


屈んで少女と視線を合わせる。

「ここは宿屋なの?」


「うん、、、じゃなかった。はい、ようこそ白山羊亭へ?」

建物をバックに大きく両手を広げ歓迎してくれる少女が微笑ましくて、思わず笑みがこぼれてしまう。


「案内してくれてありがとう。」


「狐さん、泊まってくれる?」


「うん、ちょうど宿を探していたところなんだ。」


そう伝えると少女は眠たそうな目を輝かせながら喜びをあらわにする。

「ほんとぉ?ありがとう狐さん〜

私、初めて一人でお客さん連れて来れた〜」


「俺はレイって言うんだ。君の名前は?」


「私はサーシャ、狐人のレイお兄さんだね。うん、覚えた〜」


「あ、これは狐の仮面なんだ。」

そう言って仮面を外して見せる。


「レイお兄さん、人族だったんだ?!」

サーシャは目をパチクリしている。

この仮面の幻覚作用の効果がしっかり発揮されていると実感する。


「そうだよ?びっくりした?」


「うん!さっきもレイお兄さん座っててわからなかったけど背もおっきいしたくさん驚いた〜」

無邪気に笑う少女の様子に先ほどまでの鬱屈とした気分が消えていき、こちらも自然と笑みが溢れる。


「それじゃ宿に案内してくれないかな??」


「うん、こっちだよ〜」

レイはサーシャに手を引かれたまま、正面口から白山羊亭に入った。


「お姉ーちゃん!お客さん~お客さんだよ~!」


宿の中に入るとすぐ食堂が目に入った。

しかしお昼時を過ぎたためか、食事している人は少なかった。

サーシャが何度か大きな声を出して姉を呼んでいる。

しばらくするとカウンター席の奥からサーシャによく似た山羊人の女性が現れる。

けれど彼女はサーシャと異なり左右にツノが生えていた。

髪もサーシャはモフモフした茶髪だが、姉は髪色は同じで綺麗なストレート。


「サーシャどこ行っていたの?探したんだからね。」


「ごめんなさ~い。でもね、お客さん連れてきたよ?」


「もーまた無理やり連れてきちゃったんでしょ?

妹がすみません。」

そう言いながらサーシャの姉はレイの方に向き直り頭を下げる。


「いや、ちょうど宿を探していたところなので助かりました。」


「え?!・・・本当ですか?あ・・・でも・・・」

そう言って喜ぶサーシャの姉であったが、なぜか表情が曇る。


「もう夕方近いですし、もしかして部屋埋まっちゃってますか?」


「部屋は・・・・はい!・・・あります。

食事は朝のみで・・・・1泊銅貨8枚になります。

・・・何泊されますか?」


「それなら10日お願いします。」

そう言って金貨1枚を渡す。


「え?金貨!・・・・10日です・・・ね。すみません、銀貨でお返しができないので、可能なら金貨ではない貨幣でお支払いいただけますか?」

金貨はダメだと返却されてしまった。

物価の価格帯どころか、貨幣価値すらわかっていないレイからしたら次にいくら出せば正解なのかが分からない。


「あの、今手持ちがそれしかなくて、宿泊数伸ばしてもいいので、銀貨でお釣りもらえませんか?」


「か、かしこまりました。それでは、えっと・・・・そうしますと875日になってしまうのですがよろしいですか?」

サーシャの姉は計算をし終えたが、あまりの宿泊日数の多さに笑みが引き攣っている。


「は、800日!?」

レイもまさかそこまで長くなると思わず声に出してしまう。


「はい、ただいま銀貨が30枚しか持ち合わせがなく、金貨でお支払い頂くとウチでお返しできる限界になってしまいます。申し訳ありません。

もしよろしければ別の宿にご案内させていただきますが、、、」


「じゃあ800?日でお願いします。」


「「え?」」

別の宿に案内するという申し出と800日宿泊するという申し出が被ってしまい、両者ともに間の抜けた声が出てしまう。


「すみません、800日も宿泊するのはおかしいですかね?」


「そうですね、あまり聞いたことの話です。

お金に余裕のある方は家を購入されますし、冒険者の方で長期滞在される方でも一ヶ月ごとに支払うと言う形が普通だと思います。」


「えーっとそうですね。でも俺この街に来たばかりでどれくらいここに滞在する予定かもわからないので800何日?のでお願いします。」


「えっと・・・・。」

レイが何を考えているかわからず困惑するサーシャの姉は口に手をあて、視線を左右に動かし悩んでいる。


「あ、大丈夫です。後から泊まらなかった分の代金を返金しろとか言いませんので。

ただ、指定の部屋はいつ戻ってもいいように期間分取っておいては欲しいですけど。」


「か、かしこまりました。では875日分お部屋をお取り致します。

それでは、銀貨30枚のお返しになります。」

その言葉で決心がついたのか、レイの宿泊を了解する。


「ありがとうございます。」


宿泊費1泊銅貨8枚。

8(枚)×875(日)=7000

銅貨7000枚+銀貨30枚=金貨1枚。


金貨の価値に顔が引き攣っていないか不安になる。しかしレイは金策を早くしないといけないと考えていたため、手持ちが金貨2枚に銀貨4枚、大銅貨2枚あるためしばらくはどうにかなりそうだと思い安堵する。

お釣りからこの世界のお金の交換率について考えているとサーシャの姉から話しかけられていた。


「お部屋にはサーシャが案内いたします。

何かお聞きになりたいことはございますか?」


「いえ、大丈夫です。」


「それではあまり大きな部屋ではありませんが・・・・お寛ぎください。

私、最近ここ白山羊亭を・・・引き継ぎ、主人をさせてもらっています。

ラールと申します。よろしくお願いします。」

ラールは折り目正しく、エプロンのポッケあたりに両手を重ねお辞儀する。


「丁寧にありがとうございます。

冒険者をしているレイって言います。

こちらこそよろしくお願いします。

それじゃあサーシャ、部屋まで連れて行ってもらえるかな?」


レイもラールに合わせ軽く会釈し、その隣にいるサーシャに手の平を差し出す。

サーシャはレイの手を取り案内してくれる。


「は〜い、こっちだよ、レイお兄ちゃん。」


サーシャにつれられて2階に上がる。

Tという札のある部屋の前まで来るとサーシャは扉を開け、中に案内してくれる。

「ここだよ。ど~ぞ」


「ありがとう。」

部屋は綺麗に掃除されていて、いつ誰が訪れても良いように準備されている。

ここに来るまでの階段や廊下も綺麗に掃除されていてラールやサーシャがこの場所を大切に思っているのだと感じた。


「は〜い。さっきみたいに地面で寝ちゃダメだよ?

寝るならあっちのベッドで寝てね〜それとしっかり暖かくもしてね〜。」


10歳前後の少女に母親のようなことを言われ情けないと思う反面、サーシャに癒される。


「ありがとうね。わかった。暖かくして寝るよ。

ここまで案内ありがとうな。」

俺は笑みをこぼしながらサーシャにお礼を言い、ここまで連れてきてくれたことにチップとして大銅貨1枚を渡す。


「こんなに?ダメだよ〜?」

チップに大銅貨はどうやら多過ぎたようだ。

サーシャは視線を左右に動かし困惑を表す。


「ごめんな。今それしかないんだ。」


「それならレイお兄ちゃん後で夜ご飯一緒に食べよ?チップはそのご飯代?」


そう言って笑顔でお金を返すサーシャ。

多すぎるチップを受け取りはせず、しかし上手いことお金を使わせる。

こちらとしてもチップを渡せない後ろめたさもなければ、晩御飯も何にするかで悩まなくて済む。二人ともウィンウィンになれる提案。

さすが異世界。働く子供は強かだなと感心した。


「じゃあ夜一緒に食べようか。」


「うん」


「何時ごろがいい?」


「んーとね。今4時だから7時過ぎくらいがいいかな?」


「わかった。7時過ぎだな。じゃあまた後でな。」


「は〜い。ゆっくりお寛ぎください。」

そう言ってペコリと頭を下げるサーシャに最後まで心を癒されながら一人部屋に入った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る