第18話 辻の始まり

 身を汚された女は王宮を去らねばならない。

 それが琉球王室の掟だった。例えそれが、罪人による犯罪被害だったとしてもだ。

 ツキ姫と三人の侍女にとっては、覚悟していた事だった。心も身体も癒える間も無く、城を去らねばならない。

 しかし、ツキ姫達にはウミ姫とハナ姫を守り切ったという自負があった。その誇りを胸に、真っ直ぐと前を見て首里城の門を出た。

 だが、納得できないのがウミ姫とハナ姫である。

 被害者がなぜ泣きを見ないといけないのか? 被害者となる事がなぜ罪なのか? なぜ誰も庇わずに被害者を追い出すのか?

 なぜ? なぜ? なぜ?

 誰もウミ姫とハナ姫を納得させる答えを言える者はいなかった。

 汚れた者は元へは戻らない、神が汚れをお許しにならない、人々はそう言った。だが、それは結論であり、二人が聞きたいのはその理由である。

 だが、正論などあろう筈もない。薩摩に為す術も無く敗れ、理不尽に支配され、今や体裁を保つのが精一杯の王室である。ただ、臭いものに蓋をしたかっただけの話だ。

 ウミ姫とハナ姫は深く絶望し、王宮を出る決心をする。そして、姉と共に生きる事を望んだ。

 二人の意志は固く、この事は尚貞王の怒りに触れる事になる。

 ウミ姫とハナ姫は追放処分となり、ツキ姫も二人を受け入れざるを得なくなった。

 そして、絶世の美人三姉妹と謳われた姫ぎみ達の記録は、琉球王朝史から一切が消える事になる。

 永遠に……。


 その後、三姉妹と三人の侍女は各地を旅し、薩摩からの重税に苦しむ庶民の厳しい生活を目の当たりにする。

 そして、海洋貿易国家であるが故に、外国人からの暴力に晒されている現実を知る。特に、若い娘達の被害は深刻だった。

 三姉妹らは那覇に戻ると、辻にあった鏡寺という大きな寺に身を寄せた。そして、首里城を拝む遥拝所を設け、この地に娼館を建てる計画を立てる。

 やがて娼館は完成し、三姉妹と三人の侍女は、この地における最初のジュリとなった。



 歴史が語るのはここまでとなる。

 三人の美しい姫君が、身を売るまでに没落した悲しい物語。そう捕らえても間違いではあるまい。

 だが、この時代、これ以上に外貨を稼ぐ手段は他に無かった。若い娘を外国人の性犯罪から守る手段も同様である。

 王室は、琉球王国を維持する切り札として辻村に遊郭を置いた……そう、考えるのは深読みのし過ぎだろうか? 歴史とは、逆もまた真である。

 辻は、元々一面の荒野だった場所だ。この地に遊郭を置こうと考えたのは、琉球五偉人の一人と呼ばれる羽地朝秀である。

 朝秀ほどの男が浅知恵で遊郭構想を動かす訳はなく、また、ツキ姫の協力無しに成功したとも思えない。

 そして1672年、辻は正式に王国から認められた遊郭となる。

 ツキ姫達が、単に食い繋ぐ為だけに身を売ったとは考え難い。王国の財政と治安の為に、我が身を犠牲にした。そう考えるのが自然ではないか?

 ジュリは、今で言う高額納税者である。例えば、ウミ姫とハナ姫の初御客の際には、誇張抜きで小さな城が建つ程の価格が付いたと伝わっている。

 結局、ツキ姫と三人の侍女が身を捨てて守ったウミ姫とハナ姫の処女は、金と引き換えになった。どれほど取り繕っても、所詮、売春は売春である。

 愚かだと笑う者もいるだろう。だが、遊女に身を落としても、三人の姫ぎみは王族の誇りを失わなかったという。

 そう、これは民の為に、本当に我が身を投げ打った、姫の物語……。



「もしかして、ツキ姫様が首里城を拝んだ遥拝所って、丘の上にある石の香炉のこと?」

 サクの質問にアンマーが答える。

「そうさぁ。特別な場所なんだよ」

「じゃあ、三つ並んだ小さな祠は……」

 アンマーは頷いた。

「そう、ツキ姫様とウミ姫様とハナ姫様を祀る祠だよ。サクはもうすぐ、一人前のジュリになれるよう、三人の姫様にお祈りに行くことになる。ククルも、いずれその日が来るからね」

 サクとククルは神妙な面持ちだった。

「……ジュリはね、ただ売春婦ではいけないの。文化を育み、おもてなしの心でお客様を迎える。いいね」

 二人は声を揃えて言った。

「はい!」

 アンマーは優しく微笑んだ。

「三人の姫様は、いつも私達を見守って下さっているよ。だから私達も、姫様達の思いを受け継がないといけないのさぁ」



 サクが初御客の日を前に、辻で祀られる神々に祈りを捧げに行ったのは、それからしばらくしての事だ。

 アンマーと一緒に、最初に参ったのは龍神の祠だ。

「サクは『赤き龍の乙女』だからね。龍神様には特に念入りにお祈りしないとね」

「ねぇ、アンマー。一度聞きたかったんだけど、赤き龍って何なの?」

「さぁ?」

「さぁ、って……」

「何となくカッコいいから」

「それだけ?」

「そういうもんよ」

「……」

「だけど、ヌンチャクは龍神様がハナ姫に授けた、という言い伝えがあるの」

「そうなの?」

「確かにサクが操っているヌンチャクを見てると、龍が乗り移っているように見えるし、単なる伝説という訳ではないのかもね」

 次に、火の神の祠を参った。

 火の神(ヒヌカン)は、人を災いと病から守る神である。性の快楽には、常に性病の恐怖がつきまとう。

 ジュリにとって、火の神への祈りは切実なものだった。 

 そして最後に、三人の姫を祀る祠に向かった。

 小さくて質素な石の祠だった。何も無い所にポツンと建っているが、良く手入れされている。

「真ん中がツキ姫様の祠かしら?」

「そうだよ。右がウミ姫様、左がハナ姫様さぁ」

 香を焚いて手を合わせると、自然と涙が溢れてくる。

「私、ツキ姫様の様に、自分を犠牲にしても人に尽くせる人になりたい。そして、誇り高く、ツキ姫の様に生きるの」

「サクなら、きっとなれるよ」

「そして、一人前のジュリになって沢山稼ぐわ」

「それは確実さぁ。サクの初御客はね、城とまではいかないけど、ちょっとした屋敷が建つくらいの値が付いているんだよ」

「里のお母ちゃんとお父ちゃんに、お金送れるかな」

「送れるさぁ。おじいに頼めばいい。おじいなら、ちゃんと届けてくれる」

「アンマーが愛するおじいだね」

「この子ったら、大人をからかうもんじゃないよ」

「ウフフ」

 二人が御嶽(ウタキ:沖縄神道における聖域。カジュマルやクロツグなどが生い茂る)を抜けると、辻の街にポツリポツリと明かりが灯り始めていた。

「そろそろ戻らないとね。今日も忙しくなりそうだ」

 アンマーが上機嫌で言うので、サクも元気良く答えた。

「はい!」

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