第16話 ツキ姫の選択

 人の評価は、時と場所で変わる。

 そしてそれは、人間の存在に普遍性など無い事を知らしめる。

 海賊王チェン・チェンコンは、その最たる者の一人だろう。

 台湾では、侵略者であるオランダを打ち払った英雄とされ、「三大国神」の一人として神とまで崇められている。

 だがオランダでは、捕虜となった男を惨殺し、女は性奴隷として監禁し残虐の限りを尽くした悪魔とされている。

 神と悪魔の評価すら、表裏一体なのだ。

 ただ、チェンが特殊な性癖の持ち主であった事だけは間違いない。

 夜の相手をした捕虜の女は、飽きれば手下達に引き渡された。狼の群れに羊を投げ込むようなものだった。

 中にはチェンの怒りを買い、翌朝残酷な手段で処刑された女もいる。決して楽に死なせはしなかった。

 かと思えば、ある宣教師の幼い娘は大変気に入り、父親である宣教師の首をはねた後、死ぬまで自分専用の性奴隷として『愛用』し続けた。

 そして、そんなチェンが、次に自分専用の性奴隷として密かに眼を付けていたのが、絶世の美女と誉れの高い琉球王室の三姉妹だった。

 しかし、いかに海賊王チェンとは言え、日本の支配下にあり、清の冊封を受けている琉球に対し、姫欲しさの戦争を仕掛けるほど無謀では無い。

 チェンは琉球に密偵を送り、根気よく機を窺う。狙うは姫らが海へ出る時だ。

 外海に出さえすれば、そこは暴力で強者が弱者を支配する世界だ。

 そして、その日はついに訪れる。琉球使節団の出島訪問である。

 往路は見送る作戦だった。

 予定日に使節団が薩摩に到着しなければ、姫達の誘拐はすぐに知られるだろう。面子を潰された薩摩は、血眼になって奪還に来るに違いない。

 だが、復路であれば、到着しない事で琉球が迅速に動いたところで、その機動力は高が知れている。薩摩に応援を求めるにしても、連絡に何日もかかるので、その間に逃げおおせる計画だった。

 そして、使節団一行が出島訪問を終え、琉球へと戻る途中の海上で計画は実行される。

 使節団の船も早くに海賊船の接近に気付き、薩摩方面へと進路を変更して逃げるが、商船と軍船の速度差は如何ともし難く、やがて追い付かれてしまう。

 この時、海賊の人数は40人ほど。親玉はチェンの腹心之臣の一人で、乗務員の半数が直属の手下、残り半分が今回の襲撃の為に雇われた外様の海賊集団だった。

 対して、琉球側の護衛官は僅か5~6人。銃砲類の備えがあったかについては定かでないが、あっても非力な物だっただろう。ほぼ剣や槍で応戦したと考えられる。

 この戦いで、護衛官は20人を越える海賊を打ち倒している。真っ先に商船に乗り込んで来たであろう親玉とチェン直属の部下は撃滅するものの、遂には力尽きてしまう。

 戦闘後、死体は海に投げ捨てられられ、荷と船と女は強奪されるが、実は海賊の手から逃れた者がいた。船員見習いの二人の少年である。

 戦闘のさ中、船長は少年達をハシケ(沖に停泊した船と岸の間を行き来して、荷や人を運ぶ小舟)に乗せる。本来、こんな外海でハシケに乗るのは自殺行為に等しいが、その時は万が一に賭けるしかなかった。

 船長は二人に、もし生きて救助されたら、姫達が海賊に襲われたと伝えるようにと託す。幸い、海賊どもは護衛官の想定以上の抵抗に苦戦し、二人の脱出に気付く事は無かった。

 二人は数日間漂流し、瀕死のところを薩摩の漁船に助けられる。

 海賊が琉球の姫を誘拐した事が明らかになり、琉球と薩摩は合同で現場海域の捜索にあたるが、既に事件発生から数週間が経過しており、何の手掛かりも発見する事はできなかった。


 イエンは、台湾の周囲に点在する離島をアジトにする、いわばハグレ海賊集団の頭だった。

 ズルくて残虐だが、計画性や先見性に欠け、チェンの幹部連中と比較すると小者感は否めない。

 しかし、イエンはそれが不満だった。

 その時もそうだ。チェンが以前から眼を付けていたという、小国の姫の誘拐作戦。その作戦を実行するという話が来た時、イエンはようやく自分に指揮が任される番が回ってきたと思った。ところが実際は、屈辱的な雑兵扱いだった。

 これでは手下への面子が立たないし、手柄も褒美も全部持っていかれるとヤル気を無くしていたところ、思わぬ形でチャンスは訪れる。

 チェン直属の手下連中が、琉球護衛官の力を頭数だけて侮り、何の策も練らずに攻め込んだのだ。

 窮鼠猫を噛むと言うが、追い込まれた時の琉球人がどれほど侮れないか、イエンは経験で知っている。なにしろ、漁師まで木製の粗末な武器を手に立ち向かってくるのだ。

 中には、その武器を器用に使いこなし、海賊を返り討ちにする者までいる。

 だが、イエンはその情報を直属連中には教えなかった。

 それまでオランダ艦隊の銃や大砲と渡り合っていた連中からすれば、丸腰に近い商船への襲撃などお遊び気分だったし、教えたところで聞く耳は持っていなかっただろう。

 しかし、壊し放題、殺し放題の戦争と、金と物と女は傷を付けずに持ち帰る略奪とでは、勝手がまるで違う。

 案の定、琉球護衛官の想定以上の戦闘力に腰砕けになった直属連中は全滅。イエンの手下にも多少の被害は出たが、最後は疲労困憊となったところを難無く潰した。

 こうしてイエンは、いわば漁夫の利を得たのだった。


 このまま三姉妹と船をチェンに差し出していれば、イエンは念願の幹部になり、組織も直属となっていただろう。

 だが、三姉妹に会った瞬間、イエンは心変わりする。

 今まで、チェンには散々煮え湯を飲まされてきた。忠義を尽くす必要などあるものか。

 要は、三姉妹のあまりの美しさに、差し出すのが惜しくなったのだ。

 イエンは倒された直属連中の遺品を持ち帰り、チェンに作戦は失敗したと伝える。そして、チェンはそれを信じた。

 腹心之臣が失敗した作戦を、三下のイエンが成功させるとは思っていなかったのだ。

 こうしてイエンは、三姉妹と略奪品をまんまとせしめる事に成功する。

 イエンにとって、我が世の春の始まりだ。

 だがそれは、三姉妹にとって、地獄の日々の始まりでもあった。


 海賊の襲撃により、仲間が一人、また一人と倒れていった時、三姉妹は海に身を投げる事も考えた。

 しかし、自分達を守る為に力尽きるまで戦かった護衛官の死を無駄にはできないと、最後まで戦う事を選択する。もしかすると、女の細腕でも、海賊の一人くらい道連れにできるかもしれない。

 実際、剣を使えるハナ姫は、迂闊に近付いた海賊二人を討ち取った。ウミ姫も、侍女に覆い被さった海賊を一人、背後から短刀で刺して倒す。

 だが、抵抗もそれまでだった。男は全員斬り殺され、生き残りは三人の姫と三人の侍女だけになり、剣を構えた三倍もの人数の海賊にグルリと取り囲まれる。

 ツキ姫は、もはやこれまでと叫んだ。

「さあ、殺しなさい! 琉球王朝の誇りを持って死んで行きましょうぞ」

 イエンは不思議そうな顔で言った。

「何言ってんだ? お前らみたいな上玉、殺す訳ねえだろ。売るのさえ惜しいぜ。死ぬまでオレらの性奴隷になってもらうからな」



 サクの顔は怒りで赤くなっていた。

「何て酷い連中なの! 海賊に正義の心は無いのかしら」

 グナァアンマーは言った。

「無いでしょうね。あれば海賊にはならないでしょうよ」

 ククルの顔は恐怖で青くなっていた。

「お姫様達は、痛い事とか恐い事とかされちゃうの?」

 アンマーは、幼いククルが理解できるように、言葉を選びながら答えた。

「怖かったし、痛かった事もあったでしょうね。だけど、もっと辛かったのは、生き延びる為に自分の気持ちに嘘をつく事だったのさ」

「嘘……自分に?」

「そう、特にツキ姫はね。二人の妹と三人の侍女の命を守る為に、憎い海賊相手に惚れているフリをしたり、色気を振り撒いたりしないといけなかった。怒らせたり、飽きられたりすれば、それでおしまいだから……」

 アンマーが言っている事の意味が、ククルにはわかった。

「……女であること、美しいこと。武器はそれだけ。だけどツキ姫は、もう死のうとは思わなかった。その武器を駆使して、生きる事を選ぶの。そして、いつ来るともわからない助けを待ち続けた……」

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