第15話 愛のかたち

 トロンプ提督が最初に惹かれたのは、三線の素朴で優しい音色だった。それから、二人の舞い手の柔らかく、しなやかな動き。

 海軍に所属する者としては、商館にお礼に来た人々の感謝の舞を、初日から前方で鑑賞する訳にはいかなかった。トロンプは、パーティールームの片隅から、大勢の後頭部越しにチラチラと観たのが最初だった。

 それでも、初めて聞くその音色はなぜか郷愁を誘い、南の島に打ち寄せる波が眼に浮かんだ。そして、楽しそうに舞う二人の少女の周囲だけが、波打ち際の砂浜に見えた。


 その三姉妹が、噂に違わぬ美しさである事を知るのは、二日目の晩餐の時だ。

 琉球使節団の監視役という名目の薩摩藩士であったが、顔を合わせればオランダの軍事やヨーロッパの情勢について聞いてくる。その内容は商人の知識を越えるものが多く、知っていても内容により幕府以外には明かさない取り決めがあった。

 面倒臭くなった商館の人々は、薩摩藩士の相手をトロンプに押し付ける。晩餐の席も薩摩藩士の前にされるが、必然的に三姉妹と近くなる結果になった。

 薩摩藩士の矢継ぎ早の質問に、トロンプは許される範囲で即答した。答えられない内容については、分からない、言えない、知らないと返せば、それ以上食い下がってくる事もなかった。

 通訳を介しての会話であり、一つの事にこだわっていては、話が先に進まない。

 トロンプは、早く薩摩藩士との会話を終わらせ、プリンセス達と話しがしたかった。無骨な武士より、可憐な乙女とお近づきなりたいのは、男のサガというものだろう。

 薩摩藩士達の質問が途切れた隙を見逃さず、トロンプは身体ごとプリンセス達の方へ向けた。

「歌も踊りも、とても素晴らしく、自然と涙が浮かびました。どの様な思いが込められているのですか?」

 姉妹を代表して、ツキ姫が答える。

「五穀豊穣の感謝と祈願を、神様に捧げる踊りです。私の国では、神様は自然そのもので、神様に感謝するとは自然を崇拝するという事なのです」

 通訳の言葉以上の感情が、ツキ姫の表情や手振りから伝わってくる。きっとツキ姫も、同様に感じているに違いないとトロンプは思った。

「あの楽器は変わった模様をしていますが、材料は何で出来ているのですか?」

「木製の胴に蛇の皮を張ったものです」

「蛇ですか!」

「提督は蛇がお嫌いですか?」

「はい、銃や大砲には立ち向かいますが、蛇には逃げ出す程です」

 晩餐会は笑いに包まれ、穏やかな雰囲気の中で終了した。

 オランダの音楽を聴いてみたいという三姉妹の願いに応えたのもトロンプだった。

 商館にはヴァージナル(小型の鍵盤楽器)が一台あり、トロンプがそれを演奏する事になる。

 晩餐会の後、一堂はホールへ移動した。

 三姉妹は、生まれて初めて見る鍵盤楽器に興味津々だ。

 トロンプは、大きな身体を丸める様にヴァージナルの前に座る。そして、鍵盤の一つを押して見せた。

 少し金属的だが、澄んだ音がする。ツキ姫の眼が好奇心に輝く。

 トロンプは、そんなツキ姫の眼を真っ直ぐ見て、この曲をあなたに捧げます、と心で語りかけた。そして、その思いは届き、ツキ姫は頬を赤く染めた。

 ホール内が静かになり、トロンプは演奏を始める。その筋骨逞しい肉体から紡ぎ出されているとは思えない、繊細で透明で美しい曲だった。

 演奏が終わり、暫しの静寂の後、ホール内は喝采に包まれる。実はオランダ商館の人々も、提督が楽器を弾けるとは知らなかった。

 ツキ姫は、素晴らしい曲のプレゼントに心から感激した。

「とても素晴らしい演奏でした。何という曲ですか?」

「『ダフネ』というオランダの曲です。誰が作ったのか、どういう思いの曲なのかも知りませんが、旋律が美しいので大好きです」

「『ダフネ』とはどういう意味なのでしょう?」

「私は西洋の古い神話に出てくる精霊ダフネの事だと解釈しています」

「精霊を讃えるにしては物悲しい旋律ですね」

「讃えているのではないと思います。ダフネは太陽神アポロンに見初められ、熱烈な求愛を受けますが、アポロンを愛せない呪いがかけられていました……」

 トロンプの語るギリシャ神話に、ウミ姫とハナ姫も引き込まれた。

「……度重なる求愛に悩んだダフネは、自らの姿を月桂樹に変えてしまいます。それを見たアポロンはひどく悲しみ、愛の証に月桂樹の枝から冠を作ります。そして、その月桂冠を永遠に身に付けたという事です」

「ダフネへの鎮魂の曲なのですね。物悲しい理由が分かりました。ですが、一番かわいそうなのはアポロンだと思います。ダフネが樹になった後も愛し続けたなんて」

「私もそう思います。ですが、呪いがなくても神と精霊が結ばれる事は無かったでしょう。人間で言えば、王子と町の娘が結婚する様なものですから……」

 その時、ツキ姫とトロンプ提督は、お互い報われる事のない恋に落ちている事を自覚していたに違いない。

 国も違えば身分も違う。ダフネとアポロンに、自分達を重ねていたのだろう……。


 次の日から、二人は申し合わせて空いた時間をホールで共に過ごすようになる。

 ツキ姫は三線を弾き、トロンプはヴァージナルを弾いた。

 通訳がいなくても、楽器で語り合う事ができた。

 やがて、お互いの気持ちが重なり合い、高まり合うに連れて新しい旋律が生まれ、一つの曲へと結晶していく。それは二人の愛そのものといえた。

 だが、そんな二人の純粋な愛を、周囲の人々は複雑な思いで見守るしかなかった。


 こうして、三線とヴァージナルによる二重奏曲が完成するのは、琉球の使節団が出島を発つ当日の事である。

 出発の準備が整った使節団と、見送りのオランダ商館の人々が囲む中、ツキ姫とトロンプ提督はこの曲を合奏した。

 楽譜も残っていないこの曲がどの様な曲だったのか、知る由はない。ただ、この曲を聴いた者は皆、ひたすら号泣したと言う。剛者として知られる薩摩藩士までもがそうだった。

 だが、ツキ姫とトロンプだけは笑っていた。お互いを見つめながら、笑顔で演奏していた。

 二人の心が、結ばれた瞬間だった。

 やがて曲は終わり、二人は立ち上がる。拍手の音より、すすり泣く声の方が大きかった。

 トロンプ提督はツキ姫の前で片膝をつくと、姫の手の甲にキスをした。

 琉球にも日本にも無い風習だが、ツキ姫は驚く様子も無い。

 トロンプは真心を捧げ、姫はそれを受け取った。ただ、それだけだった。

 余韻に浸る間もなく、ツキ姫は出発を告げる。

 再び会う事はない。覚悟は出来ていた。

 だが、時も空間も越えた愛と絆がお互いを結び付けている事を、二人は強く感じていた。



 ククルは、鼻の頭を赤くして泣いていた。

「かわいそうだね、ツキ姫様」

 サクも涙を拭いていた。

「愛する人と結ばれないなんて、お姫様もジュリと同じなんだ」

 だが、アンマーは首を横に振った。

「いいや、二人は結ばれたのさぁ。心と心でね。身体を重ねる事と愛する事が、必ずしも一致しない事を私達は知っている。逆に、身体を重ねなくても、そこに愛は存在するんだよ」

 サクとククルは頷く。

 アンマーは言葉を続けた。

「そして、真実の愛には時間も関係ない。愛は会っている長さの分だけ深まるような単純なものではないし、過ごした時間が短くても永遠の愛を授かる事もあるから」

「そっかぁ。アンマーとおじいみたいに、何十年も愛が育たない人もいるものね」

 ククルが無邪気に言うので、サクとグナァアンマーは慌ててその口を押さえる。

「ククル、それ言っちゃダメなやつ」

 サクがククルの耳元で言ったが、もう遅い。アンマーは愕然とした表情で固まっていた。

 サクは話題を変えようとアンマーに話し掛ける。

「それで、ツキ姫と提督は永遠に再会する事は無かったのね」

 アンマーは、気を取り直して話し始めた。

「再会するような事が無ければ、どんなに幸せだったか……だけど二人は、悲しい悲しい再会を果たす事になるの……」

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