クチナシ
伊崎 夕風
【1】雨と猫と少女
その朝焼けは、なんとも言えない美しい色をしていた。
ピンクがかった紫色の雲が山の端にたなびいて、目の前に広がる海の色も同じ色に染っていた。
柔らかい波の音を聞いていると、目覚めたばかりのこの時間だ、また眠くなってくる。ウトウトする事を、船を漕ぐ、とは上手いことを言ったもんだ、と哲也はぼんやり思った。
もう少しで、強烈な光が世界を照らす。山の端から光の尾を走らせて、こちらの世界にも届くのだ。
俺によりかかっていた美奈は、時々鼻を啜っていたが、見下ろすと涙は既にかわいていたようだ。
泣いていたせいで、目元が赤くなってる。潮風に当たると余計痛むだろうと思っていると、ふとこちらを見上げた美奈と目が合った。
「そろそろ帰るか?」
「ヤダ」
口をとがらせて即答した。
美奈は高校3年生だ。今日は平日。学校もある。目の腫れもあるから休むにしても、彼女が家に帰らないと、俺が美奈の両親から信用を無くす。
引越し先の海辺の町に、連れてきたはいいが、そろそろ帰らないと、泊めてもらった従兄夫婦の家にも迷惑がかかる。
どうしたもんかな、と美奈を見下ろす。
先月まで、俺は小さな店をやっていた。年は26歳。
女子高生と出会う機会など、ほぼないはずだった。偶然に偶然を重ねた、美奈との6月の出会いから、そろそろ3ヶ月経つ。
今年の梅雨は、晴れ間が例年よりも少なく、ずっと降りっぱなしだった。長雨に空気が湿って重く、うんざりされられた。
取り引き先が倒産して、それまでテイクアウトを納めていた分の料金を踏み倒されて、自転車操業に近いうちも下手したら倒産寸前。大打撃だった。
梅雨のせいだけではない、心の重たさに、生きることに疲れかけていた。
信号待ちで止まった道の脇に、なにか白い影が見えて、覗き込んだ。植え込みの木が白くて甘い香りのする花を咲かせていたので、それか、と思ったが、また視界の端でなにかが動いた。
よく見ると、小さな段ボール箱の隙間から、白い子猫がこちらを見上げていた。
何故だろう。その時、思わず車を少し先の道端に乗せて、小走りでそこへ戻ってしまったのは。
傘もささずに、小雨の降る中その箱を開けた。
片手に乗るくらいの小さな子猫。
震えていた。このままでは死んでしまう、そう思うと、迷うことは無かった。子猫を箱にそっともどして、その箱をごと抱き上げると、車に戻ろうとした。
「待って!」
後ろから声がした。振り返ると、青と白のストライプの傘を差した、制服姿の女子高生が、手にビニール袋を下げてこちらを見ていた。
「なに?」
「その猫、どうするの?」
「とにかく連れて帰って暖かくしてやろうと思って」
「まだ普通にミルク飲んだり出来ない大きさですよ?スポイトとかあるんですか?」
聞かれて首を横に振る。
「保健所に持っていくんじゃ無いんですよね?」
「ああ、違う」
「私も連れて行って貰えます?世話の仕方教えます」
放課後の時間だ。近くの高校の制服だし、家出などでは無さそうだ。
「…名前は?」
「美奈」
「俺は哲也だ。世話の仕方を教えてくれるの?」
「した事あるの?」
「ない、だから助かる。教えて貰ったら家まで送るよ」
「わかった、お互い猫を助けたい、目的は同じよね」
そうやって笑った美奈は、まるで雨に打たれても凛として咲き続ける紫陽花のようだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます