06 烏合の衆

 河北の信都郡の太守に、任光じんこうという男がいた。


 彼はかつて、着飾っていたところを、更始帝の兵に身ぐるみをがされそうになり、そこを大司徒・劉賜りゅうしに救われた男である。

 そして任光は劉賜の部下となり、その後、更始帝が洛陽を手に入れた時に、信都郡の太守となった。

 今、任光は、大恩ある劉賜が推挙した劉秀が河北へ来るのを心待ちにしていた。


 しかし。


 王郎、邯鄲かんたんにて自立。しかも河北の各地へ――ここ信都郡へも檄文げきぶんを寄越し、「我に従え」と使いを通して告げてきた。


「…………」


 任光は王郎の使いを出迎え、檄文を受け取ったが、一言も発することなく、ただ檄文に目を通していた。

 いつまで経ってもでいる任光にしびれを切らしたのか、ついに使いは返答を迫った。

 任光はおもむろに顔を上げ、使いを一瞥した。


「知りたいか?」


「は?」


「答えを知りたいか、と聞いておる」


「当たり前であろう!」


 使いは、王郎の臣下であるという自惚れがあった。それがつい言動に出た。


「では答えよう」


 任光は檄文を放り投げた。


「なっ、何をする! 捨てるなどと!」


 使いが檄文を拾おうとする。

 任光は剣を抜く。


「これが答えだ!」


 剣光一閃。

 使いの者の首が飛んだ。



 同じ頃、和成郡の太守・邳彤ひとうもまた、精兵二千を率いて劉秀軍へと合流した。その時、劉秀軍の内部では、長安帰還の意見が大勢を占めていた。

 しかし邳彤は、王郎の軍は「烏合の衆」と断じ、王郎を討ち、しかるのちに長安を攻めるべしと主張した。

 この主張が劉秀に受け入れられ、劉秀軍は王郎軍に攻めることになった。


 ……皮肉にも、この「烏合の衆」という言葉により、王郎は歴史に名を残すことになるが、彼自身はそれを知るよしもない。



 一方の劉秀は、真定へとおもむき、真定王・劉楊との会見の場を持った。

 劉秀は、正式に認められていない成帝の落胤・劉子輿りゅうしよなど論ずるに足りず、正統な漢室である自分たちがその下風に立つことの恥をいた。

 そして。


「そも、の劉子輿、これまで何の軍功がありましょうや」


 この一言が決め手となった。

 劉秀は暗に、己が昆陽の戦いの勝者であり、その己に兵を与える方が有利であることを訴え、それを劉楊が認めたのだ。

 こうして、劉秀は真定の軍十万の兵を得た。

 ただし、劉楊もさる者で、彼は劉秀に姪の郭聖通かくせいつうめとらせることに成功する。

 ちなみにこの時、劉秀は結婚していて、その妻は劉秀自身が若い頃から憧れていた陰麗華という美女であった。


「……よろしいのですか」


 遠慮がちに聞いたのは鄧禹とううである。

 彼は、劉秀の学友であったので、劉秀が以前から陰麗華への憧れを口にしていたことを知っていた。

 劉秀は鷹揚に笑った。


「……何人、愛人おんなを作ったと言われるより、よほど良いではないか」


 郭聖通を娶ったがゆえに、それ以上の女の存在を疑われることはない。

 そう劉秀はうそぶいた。


「実際、情愛にうつつを抜かす暇など無いのだがな……さて」


 劉秀はひとつ首を振ると、また普段の落ち着いた表情に戻り、軍議へと向かった。


 兵は集めた。

 だが、まだ王郎を倒したわけではない。

 そして、王郎を倒せば。


「……天下を」

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