HARDな1DAY―それはありえない―

ヒラメキカガヤ

#1 タクトは制服を盗まれた

 終わったと思った。


 タクトは制服を盗まれた。


 プールの授業が終わり、夏なのにひんやりと冷たくて浴びるのを躊躇ってしまうシャワーを済ませ更衣室へと向かい、自分の制服を入れていた棚の場所に目を落として

数秒後、心拍数が走り始めた。


 まずは水着を入れていたバッグの中、それをどけて制服を入れたはずの枠の隅々ま

でに目をやる。


 ない。


 次に、ここにあるものは本当にタクトの私物であるかを確認する。


 藍色を基調としたバッグは、まさしく自分のものであることを物語る。


 周りを見渡した。


 周りの人間は、タクトの目線などに気付く素振りも見せず、着替えを始める。


 この中に、制服を盗んだ人が・・・。


 考えたくなかった。


 クラスメートを疑うことなんて自分にはできない。ではなく、誰かが自分の制服を

盗んだ、という発想が真っ先に浮かび、もしそれが違っていたら、的外れな自分を凄

まじく恥じてしまいそうだから。


 じゃあどこに?


 床や、他の生徒も使っていないスペースを見るが、そこには塵一つもない、塵はあ

ったかも。別にそんなことは今どうでもいいのだが。


 刻々と迫るタイムリミット。


 プールの授業が三限だということに怒りを覚える。四限なら昼休みで少しは時間が

浮くのに。市立の中学校なら小学校に引き続き給食というシステムがあったが、ここ

は私立の中学。高校・大学と同じように食事は各々が購買部や弁当などで勝手に済ま

す決まり。もしもこの授業が四限だったら。タクトはそこに、もどかしさを覚える。


 ついに、更衣室から自分を覗いて生徒全員が消えていった。


 制服を着て愉快にこの場を後にした生徒たちとは裏腹に、自分はというと、プール

でひたひたになった水着を着たまま、肌を露出しまくったまま立ち尽くすだけ。


 事は一刻を争う、なんて漫画やドラマでしか見聞きしないような言い回しが場違い

に頭の中から出てくる。


 「どうしよう、やばい、やばいよ・・・」


 ふざけている場合ではない。


 誰一人としていなくなった空間で、ただ一人、声を出すばかりだった。


 更衣室を半分だけ開けて、外を覗く。


 体育館から少しだけ歩いた場所にあるプールの敷地は、グラウンドも見える。


 助けを呼ぶしかない。


 でも、誰を呼ぶ?


 タクトは友達が少なかった。


 その友達二人も、部活で忙しかったり、中学でできた新しい友達とつるみ、彼女だ

っている。そう、タクトは孤独なのだ。そんな孤独な人間がどうやって生徒に助けを

呼べようか。もちろん恋人だっていない。この間は女子に気持ち悪いと囁かれた。そ

んな人間。


 教師を呼ぶのは論外。『盗難』という単語が一気に学校中に広まり、制服を着た生

徒たちがいる教室で一人だけ水着で過ごす自分への視線や嘲りを想像するだけでも鳥

肌が立つ。


 抜け出す?


 学校を抜け出して、制服を買い直し、翌日に何もなかったかのように顔を出す。


 いや、ダメだ。無断で学校を抜け出すのも論外だし、何よりこの格好で街を歩くな

んてプール用のタオルを羽織っていても恥ずかしい。お巡りさんに見つかったら社会

的にアウト。下手したら地方新聞の一面にも載る。『私学の露出狂、街を闊歩する』

みたいな見出しか?


 じゃあ、どうすれば、と頭を抱えるタクトに、助け船(?)が現れた。


 「おまえ何やってんの?」


 男子だった。眼球に突き刺さりそうなくらい長い前髪に、耳の上半分を覆い隠すほ

どの長さの髪。中肉中背で、肌は全体的に色白。不細工ではなく、言ってしまえば普

通の顔、と言ったところか。


 そんな彼は、更衣室の方からひょこっと頭だけ出していた(きっとその光景は間抜

けに見えただろう)タクトに気付き、こうして声を掛けてくれたわけだ。初対面でお

まえ呼ばわりしたことなんて簡単に許せる。


 「制服!」


 単語だけが勝手に飛び出した。目の前の彼が制服を着ていたからだ。事は一刻を争

うから仕方がないけど、もっと良い言い方あったろ、と自分にツッコミを入れる。そ

れに…。


 「いやいやいやいや、俺のは無理だって」


 冗談言ってる場合か、と言わんばかりに「いやいやいやいや」の発言に合わせて手

をメトロノームのように振り回す。


 「だよね」


 タクトは断られて当たり前なこと頼み、そして断られる。


 「もうここに住もうかな…。貝が貝殻の中に住み着くみたいに」


 「お前がもっと大きかったら更衣室ごと移動できたのにな」


 「冗談言ってる場合じゃない」


 「先に言ったのはお前だろ」


 「ぐっ…」


 「あ、待てよ」


 「え?」


 彼は、名推理を思いつく直前の名探偵のように手を顎に乗せた。


 「今日、持ってきてるわ、体操服だけど」


 「え…」


 「俺のでいいか?」


 「背に腹は代えられない…」


 「どこまでも失礼なやつだな」


 「ごめん…」


 そして彼は「待ってろ」と言いその場から走り去る。そしてチャイムが鳴って2分

くらいが経った頃に彼がきれいに折りたたまれた体操服を持ってきてくれた。


 「消すなよ?」


 胴部にでかでかと『出口辿』と書かれた体操服、そして半ズボンを拝借した。


 「『でぐちたどる』、俺の名前」


 「でぐち、くん…ありがと」


名前を完全に消し去った状態かつ下は長ズボンがよかった、なんて言える立場ではなかった。

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