居場所ない釣り

山本Q太郎@LaLaLabooks

居場所ない釣り

 台風が来てるから行くなと妻がいう。

「こんな日に海に出かけるなんて馬鹿じゃないの?」

 一体俺が何をしたと言うのだろう。新聞を読んでいるだけでなぜ馬鹿者扱いを受けなければいけないのか。いつからか家族と顔を会わせるのが苦痛になっていた。機嫌を損ねないようにする妻との会話が億劫でならない。実際に何を言ったところで状況が悪くなることはあっても良くなることはない。家に帰ってまでご機嫌取りをしなければいけないと想像するだけでうんざりする。ここでは何一つ思い通りにならない。俺が作って俺が支えているはずなのに。家族がよければそれで良いかと思ってきた。それでは俺はまるで家族じゃないみたいじゃないか。もう妻の言うがままにされるのは1秒だって我慢できない。いつだってそう思ってきた。今日もそう思った。

 妻は何かというと自分の考えで何事も決めつける。ように俺には思える。うんざりする。今日もそうだ。決して俺の身を案じてなんかいない。台風は危ないもの、夫を心配するのが妻だと思っているだけなのだ。だからあんな言い方になるのだ。

 バカにしたように小言をいってはしたり顔だ。

 なぜあんなことで得意になれる。天気予報は探さなくたって目に入る。テレビだってネットだってまるでイベントが始まるかのように、自然災害をネタにするのだ。


 こんなものはただ風が強いだけじゃないか。メディアはなんでも派手に取り上げて騒ぐのだ。それを真に受けやがってあの女。


 もちろんいくら楽しみにしていたとはいえ、こんな日に釣りに行く訳なんかないじゃないか。

 ただ、あんな言われ方をされてどんな顔で家にいられるというのだろう。あんな家にいられる訳はないじゃないか。


 雨や風はニュースが言うほどひどくない。それどころか、時たまぱらつくくらいで雨らしい雨は降っていない。飲みにでも行こうかと思ったが、帰りに雨に降られるのはいやだ。車で出るなら濡れはしないが酒は飲めない。かといってドライブのあてはない。と考えを決めぬまま、結局車を回した。


 釣りはいい。考え事をするのに向いている。会社でもなく家でもなく。誰にも邪魔されず取りとめもないことを考える。今の自分とこれからの自分。子供のこと、妻のこと、家族のこと。

 でも、今では嫌な事ばかり考えるようになってしまった。

 今までのこと、これからのこと。年をとると前にも先にも目を向けたくないことばかりが増えていく気がしてしまう。

 それでもごまかしたり先伸ばしたり、時にはなんとかしたりしてやってきた。

 若い時に漠然と思い描いていた理想とは随分違うが。


 とりあえず、当初の予定通りお台場の埠頭まで車を走らせる。

 港の中を徐行していつもの場所までいってみた。

 こんな湾の中とはいえ、さすがに波は荒い。

 遠くから聞こえる波の音は、深く暗く響いている。波が岸壁を打つ音がしている。

 適当な所で車を止め、エンジンを切った。

 離婚は解決策ではなく最終手段だ。安易に離婚という方法にたよるのは逃げるようで嫌だ。


 気がつくと目の前には波が岸壁に打ちつけ高々と水しぶきが上がっている。そして、コンクリートに打ちつける波の音は恐ろしい。

 見る間に波は高くなってゆく。

 今はフロントガラスに波がかぶっているようだ。もう雨や風の音は聞こえない。ただ、波が遠くから響き、堤防で砕け、岸壁に打ちつける。

 飛び上がり散った波は当たりに降り注ぐ。考え事をしていたはずが、今はただ何も考えず何も感じず目の前の光景に見入っている。自然が持つ存在感に比べると自分のちっぽけさを思い知らされる。我に返りそろそろここを離れようと思った。エンジンをかけようとキーを探すと体がこわばっている。知らずに体は緊張していたようだ。肩をまわし、大きく息を吐いて吸う。気がつけば波は車に直接降り掛かっている。台風のせいで波は埠頭の岸壁をとうに超えているのだ。我に返り危機感が襲ってくる。車に当たる波がだんだん激しくなっている。エンジンキーをまわす。エンジンはかからず空回りをしている。車のエンジンは海水で壊れるだろうか。何度試してもエンジンはかからない。落ち着いた方がいい。それはわかっているが手が震え上手にキーを回せなくなってきた。

 フロントガラスの景色が流れる。なぜだ。車が波に流されているのだ。そんな事があるのか。窓の外を覗く。外は真っ暗で何も見えない。

 ドアにぶつかる波の衝撃が近い。エンジンがかかる。ヘッドライトが目の前を照らした。ノイズ混じりのラジオが鳴り始める。あわててギアを入れたが、サイドブレーキがかかったままだ。だが、車を動かさなくてよかった。

 顔をあげると目の前は湖のようだ。ヘッドライトが届く限りどこまでも波が立っている。遠くに対岸の街の明かりが流れている。川崎か。いや、埠頭の向こうはたしか大森埠頭だ。大きな音とともに揺れた。脇腹に痛みが走る。なんだ。ドアのウィンドウがひび割れている。何か大きなものがぶつかったようだ。波が打ち付ける音しか聞こえない。目の前には、貨物船用のコンテナが波に流されてゆくのがちらりと見えた。巨大な舫綱が見える。フロントガラスから見える光の点が流れ、遠くに街の明かりが見える以外は、どこを向いているともしれないまま真っ暗になった。慌てて地図を探す。いつも車の中に入れっぱなしにしていたはずだ。助手席の背中のポケットにあるはずだ。体を後ろの席に伸ばしてポケットの中に手を突っ込むがゴミしか出てこない。

 くそ、あいつらいつもゴミは車の中に置いておくなと言っているのに。

 携帯電話を確かめる。ポケットにはない。なんだくそ、こういうときに限って。焦らずに探そう。慌てるといけない。

 さっき後部座席に身を乗り出した時にどこかいったか。

 落ち着かなければ。輝いて見える街の明かりは大森埠頭だったはずだ。だから、明かりに向けて進んではいけない。

 車内に潮水が入ってきている。


 振動音がする。なんだ。電話の振動だ。助手席の足元で光が点滅している。

 慌てて手に取るが通話ボタンを押した途端切れた。電源を切り、入れ直しても動かない。

 切れる前に名前が見えた。

 妻からの着信だった。

 なんで電話の音に気がついたんだろう。


 気がつくと風の音がなくなっている。

 車体を波打つ音だけが聞こえる。まるで、公園の貸しボートにでものっているようだ。窓の外は金色に輝いている。空には雲ひとつなく、大きな月が辺りを照らしている。月は眩しいほど明るく、街の明かりはかき消されて見えない。ただ、水面に波打つ月の影だけが映っている。


 そして、フロントガラスに広がる景色がゆっくりと流れていき。

 体が真横にあるドアに急カーブを曲がっているときのように押し付けられる。

 エンジンが突然止まり。

 ヘッドライトもルームランプも消え。

 また何も見えなくなった。


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