どの街にも一人はいるような女

山本Q太郎@LaLaLabooks

どの街にも一人はいるような女

 六畳一間のボロアパートに女は暮らしている。二階建て。一階に四部屋と二階に四部屋。合わせて八部屋あり、飲屋街にある雑居ビルと雑居ビルの隙間にすまなさそうに建っている。

 他の誰かと同じように、この女も何処から来たのかいつの間にかこの街で顔を見かけるようになった。そして、夜に酒を出す店で働き始めた。

 稼ぎがないこともないのだからもっと広いところに引っ越せばいいにと言う者もいる。

 「あんまり物もないし、この部屋から見える景色が気にいってるの」と女は返した。女の部屋から見えるのは隣の雑居ビルのカビだらけの壁だけなのはみんな知っていたが、そのことをいちいち指摘する者はいなかった。


 女は顔が小さくて、目は大きくくるくるとよく動く。背は小さいが驚くほど腰が細くくびれているのでスタイルがよく見える。顔のパーツが大雑把なせいかぱっと見が賑やかで人目を惹くタイプである。容姿だけではなく洋服の柄も派手な物が多かった。あまりにも派手な服だから100メートル先からでもわかると皆笑った。体の線がはっきりとわかるタイトな服を好んだ。近所の者なら匂いだけで女がどこを通ったかわかるほど香水をつけすぎている。

 見た目は夜の商売女らしく派手に着飾っているが、愛想が良く人懐こいので周りからよく面倒を見られた。

「私汗っかきなのよね」と言いながら人目を気にせずコンパクトを覗き込みパフを叩く。「みんなには内緒よ」と言ってタバコを吸う。女が隠れてタバコを吸っているのは皆知っている。

 人が良くて困っている人をほっておけないから、ついつい親身になってしまう。かといって自分ではどうすることもできないので、結局は困っている人間が一人増えただけということがよくある。

 女が幾つで何処からきたのか誰も知らない。実はやんごとない血筋だが堅苦しいことが嫌で俗世間に身を潜めている。云々。以前には街のデパートで何かの売り子をやっていたらしいという噂をよく聞くが、話の元は当の女でデパートの名前と売り場は話すたびに変わる。

 「これでも身持ちは硬い方なのよ」と言って女は笑った。女と一晩よろしくやりたいと声高に言う遊び人も少なくはなかった。それでも色っぽい話が聞こえてこないのは、一緒に飲んで騒いでいる間に、色気なんぞは消し飛んでしまうというのが本当のところであるようだ。とにかく明るい女だし誰に対しても気兼ねしない。朝起きたら雑魚寝をしていた10人が10人知らない人だったなんて話もよくあった。酒瓶を持って街中を練り歩いては、通りかかる人をつかまえて飲み始め路上を宴会場代わりに朝まで騒ぎ続けることも珍しい話ではない。いつでもどこでも誰かを巻き込んでお酒を飲んでは騒いでいるのだ。

 「私に色気があったらみんなもっと優しくしてくれるかしら」と言ってころころと笑う。


 そんな女のボロアパートにいつしか男が通うようになった。

 男といつ何処で出逢ったか誰も知らなかった。女は酔うと決まって男との馴れ初めの話をした。興味本位で聞く者がいるのだ。女からはその場その場でいろいろな馴れ初めが語られた。昔フった男が追いかけてきたの、田舎にいたときの許婚だの、見るに見かねた天神様が遣わしてくれただの。

 男はひょろ長く痩せておりいかにもチンピラといった風情で、まともな仕事はせず何処ぞの旦那の使いっ走りのようなことをしては小銭を稼いでその日暮らしをしていた。

 そんな男でもあちこちに女がいた。女がいたというと聞こえはいいが、年増や器量の悪い女をおだててタバコ代や飲み代をたかるのがせいぜいである。そんな関係は薄っぺらで情も何もありはしない。そんな男がだんだんと女に入れ込むようになった。他の女の部屋には寄り付かなくなり、次第に女のボロアパートに入り浸るようになった。

 男は女に買わせた酒でいつも酔っていた。酔って男は女を抱いた。女は大抵の場合黙って抱かれていた。

 抱き合っていない時は喧嘩をした。女が泣き叫ぶ、男が怒鳴る、物が壊れる。皿が割れる音や部屋で暴れる音は表の道を歩いていても聞こえたし、女の金切声は向こう三町の路地裏まで響き渡った。女は男が金を稼がないことを詰り、男はその言葉に逆上して女を殴った。女は他の女に気をそらしたと言って男を詰り、男は女が誰にでも股を開くと言って殴った。女は殴られて黙っている女ではなかった。馬乗りになって顔をひっかく服を引き裂く髪の毛をむしると負けてはいない。男が耐えかねて女を組み伏せると今度は大声で喚き泣きだす。隣近所に聞こえるくらい大声で泣くのだ。堪り兼ねて男は必死に女の機嫌をとる。優しい声を出し髪を撫でつけて女を落ち着かせる。

 そんなことを毎日やっていても二人は周りが呆れるほど仲がよかった。殺すだの死んでやるだのと散々やっておきながら、日が陰り女が勤めに出る頃には仲良く腕を組んで男が女を店まで送っる。

 女が顔に青痣を作り近所の者を驚かせた事があった。皆で女の手当てをしてどうしたのかと聞くと男に殴られたと言う。女のことを心配した近所のもの皆で女の部屋になだれ込むと、目と口がどこかわからなくなるぐらい顔じゅうが引っ掻き傷だらけの男が泣きながら出てきたこともあった。皆は気勢を削がれとりあえず女を殴るなとだけ言ってすぐ帰った。そんなことが度重なり近所の人間も皆呆れていたが、騒ぎが起これば何のかんのと言いながらまた皆で面倒を見てやった。


 なんでもないある日。女が突然いなくなった。

 女が勤めている店の主人が、いつまでたっても女が現れないので心配して女のアパートまで様子を見に来た。

 女はそれまで店を休んだことなどなかった。それどころか、休みの日にもわざわざ店に行って飲んでいるので、店の主人は女の顔を見ない日はなかった。それが何の連絡もなしに女が欠勤したものだから慌てて女の部屋まで飛んで来た。

 ドアを叩いても名前を呼んでも返事がないので、ドアノブを回すとドアはすんなり開いた。部屋では男が一人で寝ていた。店の主人は男を蹴り起こすと、女をどうしたと詰め寄った。男は二日酔いなのか起き上がるのも辛そうだったが、女の出勤時間が過ぎていることに驚き、女がいないことに気づき、女の店の主人が部屋にいることに驚いた。

 男はそれでも踏ん反り返りそのうち帰ってくると女主人を追い払った。

 女主人も面倒を見ているとはいえ一従業員にすぎない女にいつまでもかかずらうわけにもいかずその日はおとなしく店に戻った。


 女はそれからも店に顔を出すこともなく、女主人は毎日女の部屋まで押しかけた。男はすぐに帰ると虚勢を張っていたが何の音沙汰もなく三日も経つとそわそわしだした。

 女が一人で何処かに行くことなどなかったから男と女主人は不安になり、誰か知らないかとあちこちで騒ぎ始めた。二人が大騒ぎし始めたものだから、近所の者も不安になり騒ぎは広まった。

 二週間ほどが経ち界隈では女の話で持ちきりだった。

 男は夜も昼もなく女を探して歩いた。心当たりは何も無いから、道行く人に手当たり次第尋ねた。ちょっとでも似た人がいたという話を聞いたなら、どれだけ遠かろうと飛んで行って確かめた。


 女を探してひと月経ちふた月経ちそれでも男は必死に探し続けた。

 次第に男の暮らしは荒れ、周囲といざこざを起こすようになった。終いには女を隠しているだろうとまわりに因縁までつけ始めた。男には迷惑しているが、男と同じく女に取り残された近所の者は複雑な気持ちでただ女の帰りを待った。


 女がいなくなって半年経った。

 誰もが忘れようとしていた頃に女は赤ん坊を抱えてひょっこり戻って来た。何処にいたと聞いても「知らない」。何を聞いても「わからない」とはっきりとしたことは何も言わない。ただ男には「あなたの子よ」といっただけだった。赤ん坊は三人いた、三つ子だった。

 男は女が戻って来たことに喜び、あれこれと詮索することはやめた。

 女は赤ん坊につきっきりとなった。

 男は父親になったのがよほど嬉しかったのかなんと真面目に働き始めた。近所の者は気味悪がったが、仲良く子守をしている二人を見ると人間変われば変わるもんだと言い合った。

 大人二人と三人の赤ん坊は相変わらず六畳一間の部屋に暮らしていたが、いくらなんでも手狭になった。

 稼ぎもあるし広いところに越そうとした男は女を喜ばせようと内緒で新しい部屋を探してきた。飛び上がって喜ぶかと思われた女は、他所に移ることを嫌がった。

「両親と暮らした街だから思い出があって離れるのが辛い」とか。「だって私、もう身寄りがいないでしょう」とか。「お世話になっている人がいるから」とか。

 なんだかんだと言いたいことを言って男を困らせた。


 男は女のために良かれと思ってやった事を拒否され逆上した。我慢の限界に達した男は嫌がる女を無理矢理新しい部屋へ連れて行こうとした。女は泣いて頼んだが男は聞き入れるわけにはいかなかった。女と赤ん坊のためにやったことなのだ、暮らし始めれば女も気に入るに違いない。

 しかし、女もゆずらず引っ越すの引っ越さないのと大喧嘩が始まった。周りの者も尋常ではないことだと慎重に様子をうかがった。

 どちらも意地になって激昂した男はついに刃物を手に暴れだした。

 追い詰められた女はあれだけ可愛がっていた赤ん坊を次々と絞め殺してしまった。

 それまでは怒鳴り声と鳴き声と大騒ぎだったのがぱたりと静かになった。

 近所の者はみな息を殺して様子をうかがった。そこへ、よせばいいものを町内のお調子者が冷やかしに女のボロアパートを訪ね事件が公になった。

 今度はアパートの外が大騒ぎになった。救急車だ警察だと駆け出す者がいる。医者が先だと騒ぎ立てる者がいる。男を捕まえろといきり立っているのは、男に日頃から小突き回されている豆腐屋の見習いだ。次々と人が湧いて出て勝手なことを喚いている。

 女はいつまでも泣いていたし男は魂が抜けたように惚けていた。

 ようやく警官が駆けつけた時には、男は姿を消していた。


 女は警察に連れていかれた。

 警察では聞かれたことには何でも答え、自分が子供に手をかけたと言って罪を認めた。

 警察が調べたところ、女は一緒に住んでいた男に暴力を受けていたことを多くの者が証言した。またよく子供の面倒も見ていたことも皆が警察に訴えた。証言者の中には近所の派出所に詰める警官もいた。

 結局、殺害当時は精神が錯乱しており刑事責任は問われなかった。女は周りの手助けもあり無罪放免となった。

 風の噂によると、男はどこかで酔って人を刺し、刺した相手のタチが悪かったらしく外国に逃げたということだ。


 ボロアパートの部屋に戻った女は始終泣いてばかりいた。周りの者も一緒に涙に暮れた。

 この界隈で面倒をみなければいけない子供は女の三つ子だけではなかった。大きいのから小さいのまでやたらと子供がいた。子育ては地域のものみんなでやっていた。そこらへんにいる子供を全部一緒くたにまとめて育てたのは隣近所の女房やその旦那。路地に出て子供をあやす女を手伝ってオシメを替えたのは、卵屋の女将だ。風呂に入れたのは風呂屋の旦那。子守唄を歌って聞かせたのは酒屋の隠居。年かさの子供もたくさんの弟や妹の面倒を任された。手伝いの女は子供の相手をしながら働いた。夜に仕事のあるものは、近所で暇な誰かが面倒を見た。誰の子だろうとみんなで育ててきたのだ。どこの子だろうとみんながみんな自分の子だと思っている。


 女のすすり泣く声が聞こえるたびに近所の者は心を絞りあげられる思いだった。赤ん坊の顔を思い出してはみんなで寂しさを分け合った。心底弱っている女を見かねて、近所の者が代わる代わる女の話相手になってやったり、食事を食べさせたり部屋の掃除なんかをして世話を焼いた。

 女も次第に気を持ち直し、笑顔を見せるようになった時は近所の者みなで喜んだ。

 女は世話になった周りの者に顔を出してお礼を言い、また夜の店で働き始めた。常連の客で顔を知っているものは、店を訪れ元気になってよかったと声をかけた。


 そんな騒ぎを知ってかしらずか、新顔の客が女目当てに店に通い始めた。

 年は若くひどく真面目そうな面持ちをしていた。その若い男はいつかいい暮らしをさせてあげたいと女の耳に囁いた。

 女は言った。

「ホント、嬉しい。」

 そのうち女の家に男が通い始めた。


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