猫が懐いた父 16.9.28

山本Q太郎@LaLaLabooks

第1話

 蝉の声も聞こえ始め夏もこれからですよという頃に北海道の実家から電話があった。

 電話の内容はとりとめもないものだった。お盆には帰って来いという催促の電話だろうと思ったがそういうわけでもないらしい。

 いつまでも電話を切らない母に何かあったのかと尋ねた。

「いやね、本当にたいしたことはないんだけど」と話し始めたが、10分以上も話を聞いてわかったのは父親が最近散歩を始めたということだった。

「それだったら、お母さんも一緒にできるしいいね。無理しないで続けたら」と励ました。仕事も定年になって時間もできたのに家から出ない両親が心配だったけど、いい話だ。

「そう、お母さんもそう思うんだけど。お父さんが変なのよ」

「怪我でもしたの」と慌てて聞き返した。

「ううん、そんな大したことではないのよ、ただね、猫が懐いてくるんですって」

「また猫を飼い始めたの?」実家ではサムスンという猫を飼っていたが、何年か前に死んでしまっていた。母はひどく落ち込んでしまい、その猫の話をするたびに寂しくなったと言って涙ぐんでいた。たった一人の息子が家から出て滅多に帰らず連絡もよこさないことをる責められているようで心ぐるしかった。あの時の様子からしてもうペットは飼わないだろうと思っていた。

「猫は飼ってないのよ。もうね。猫はいいのよ。可愛いいんだけど一旦愛着がわくとね、死んだ時寂しくってね。こないだも、」父親のことが気になったので話を遮ってしまった。

「そう、お父さんがね散歩に出ると猫がついてくるようになっちゃったんだって」

「餌でもあげちゃったんじゃないの」

「そう、どうかしら。聞いてみるけど。もう今は昔みたいに野良猫なんて見かけないのよ」それからも、親戚の近況なんかを話して電話を切った。

 電話を切った後は、今年こそお盆には実家に帰って少しぐらいゆっくりしようと思うのだが8月はあっという間に過ぎてしまう。



 次に母親から電話が来た時にはもう年末も差し迫った時期だった。

「今、大丈夫かしら」と言ってとりとめもない話をしだした。父親の様子を尋ねると相変わらず元気だということだ。

「お父さんは今は庭いじりをしてるの。この前はキッチンに棚を作ってもらったのよ」とあれこれ話している。お盆には実家に帰りそびれてしまったが問題はなさそうだった。年末には帰れそうだと伝え電話を切ろうとすると、そういえばと母は言った。

「そういえばお父さんは猫に餌はあげてないみたいよ」

「それは、何の話だっけ」仕事中に電話を受けたので、申し訳ないが話をあまりきちんと聞いていなかった。

「あら、言ってなかったっけ。お父さんね最近散歩を始めたのよ。健康診断でね、メタボになったの気にしてね、歩くようにしてるのよ。毎日朝にね、ぐるーっと野球場まで行って一周して帰ってくるんだって。もう最近は朝は冷え込むからそれ用のジャンパーもこの前買ったきたのよ」とりあえず仕事の手を休め、口を挟まずに聞いた。

「それでね、関口さんに言われたのよ、お宅また猫飼ってるのって」関口さんは隣の一家で母と話をするのは、関口さんのところの奥さんだ。

「猫は飼ってないけど、っていたらね。ご主人が猫連れて歩いてましたよ、っていうのよ。それで、お父さんに聞いたら、そうだ、ってさ」

「何がそうなの」

「猫がついてくるんだって。お母さんは猫なんてこの家の近所で見たことないから家の方にはついてきてないみたいだけど、お父さんが言うには、散歩に出かけるといつのまにか後についてきてるんだって」

 そういえばそんな話を聞いたようなきがする。

「それは餌をあげちゃったんじゃないかな」

「そう、それでね、聞いてみたんだけど、餌はあげてないっていうのよ」

 まあ確かに父親はそんなことはしなさそうだ。多分動物にそれほど興味があるとも思えない。むしろ、動物が集まると糞をされて掃除が大変だということを真っ先に気にするだろう。

 家で猫を飼いたいと言ったのも猫をもらってきたのも母親だ。ただ、餌を準備したりトイレを変えたりして小まめに面倒を見ているのは父親の方だったりする。

「餌はあげてないけど勝手についてくるんだって。時間を変えてもコースを変えてもばれるみたいなのよ」

 何か猫が喜ぶ匂いでも出してるのだろうか。実家にいることはそんなことはなかったと思う。それどころか、仕事で忙しくあまり顔を見た記憶もない。もしかしたら、猫を呼ぶ才能はあるけどたまたま猫と接点がなかっただけかもしれない。

「まあ、何であれ好いてくれるものがいるのは羨ましいよ」と軽口を叩いたら母親は笑ってくれなかった。いい年をした息子が未だに独身なことには冗談だとしても触れたくないのだろうか。

「そうは言ってもね、ご近所から言われちゃったでしょ。よその庭に猫のうんちとかあったらお父さんのせいにされちゃうんじゃないかしら」

 確かに。言われてみればそういうこともあるかもしれない。

「これから冬になるし、氷も張って危ないからルームランナーに切り替えるとかどうかな」

「そうねえ。お父さんがそれでいいなら、それがいいかも」



 年末、家に帰ったら居間に大きなルームランナーが置いてあった。

 が、その上にはみかんの箱が積まれ手すりには洗濯物が掛けてある。使われていないのは明らかだった。

 母親は家の中を忙しそうに行ったり来たりしている。荷物を避けたり布団を運んだりして泊まる部屋の準備をしてくれているようだ。

「お父さんは使ってないの」と母親に聞いた。

「どうかしら、もう戻ってくると思うよ」という声がどこからか聞こえてくる。

 実家の新聞を読んだり正月のテレビ番組を検討していると父親が帰ってきた。しめ飾りや神棚の飾り物なんかを買いに行っていたようだ。家族総出でお正月の準備に取り掛かり夕方までに終わらせることができた。母親は夕飯の準備をすると言い、父親は散歩に出かけると言う。今晩は久しぶりに帰ってきた息子のためにご馳走が並ぶはずだが、あいにくここ数日便秘が続いて腹が張り気味だ。連日部屋にこもり仕事で睡眠もろくに取らず運動もしていないのが原因なのは間違いない。まずは父親について散歩に出かけ腸の働きを促すことにした。

 今年の冬はまだ雪は降っておらず足元を気にする必要はなかった。

 並んで歩いても父親は何も話さないので後ろを歩く。

 時々振り返って猫を探すがどこにもいない。

「まだ、猫ついてくるの」と聞くと立ち止まってなんか言ったかと父親が言った。猫のことだと言うと「ああ、まだついてくるよ」と行って歩き出した。

 耳が遠くなっただろうか。父親の後ろ姿を見るとずいぶん小さく感じる。あまりまっすぐ父親のことを見たことはなかったがこうしてみるとそろそろ先のことを心配する時期かもしれない。それも当たり前で親の前ではあまり意識しないが自分の歳のことを考えるとぞっとする。寝たきりや痴呆は生き物である人間にとって自然の出来事だ。いいことでも悪いことでもなく、いつか起こり得る出来事なだけだ。何が親孝行かはわからないが、出来るうちにやっておこう。何をしても後悔はするだろうが、毎年顔を見せるようにしたいと思う。久しぶりに見た父親の姿に気づき、この先のことなんかを考えているうちに猫の列に混じっていた。

 父親の後ろを猫が行儀よく列を作っている。後ろを振り返ってみたら何十匹という数の猫が一列になって我々の後をついてきている。正確には父親の後を。鳴き声を上げるわけでもなく静かに行儀よくどこまでも連なっている。いったい何匹くらいいるのだろう。びっくりして父親に駆け寄り「お父さん、いつもこんなだったの」と聞いた。

 父は立ち止まって振り返った。

「ああ、そうだよ。追っ払ってもついてくるんだもん。しょうがないんだ」と父親は言った。

 この辺は過疎化で人口も少なく、いても老人ばかりだ。歩いていても車はおろか人影も見かけない。大量の猫が歩いていても誰の迷惑にもならなさそうだった。

 父親は最近整備されたテニスコートや体育館、スタンドや照明のあるちゃんとした野球場なんかがある運動公園に入り遊歩道を進んでいった。猫たちも相変わらず鳴き声ひとつあげず長々とついてきている。

 折り返し地点の野球場を過ぎ一回りして運動公園の入り口まで戻ると、野球場に向かって遊歩道を歩いていく猫の行列がいた。ということは、この猫たちは1キロ以上も連なって歩いていることになる。最後尾はどこにあるのか気になったが、あたりを見回しているうちに見失ってしまった。

 父親は終始淡々と歩いている。結局、誰ともすれ違わずにちょうど日が暮れた時間に家に着いた。猫たちは家に近づくに従って減っていき、最後には一匹も見かけなくなった。

 家に戻るとお風呂が沸いており、早く入ってこいと急かされた。

 食事中に猫の話をしてみたが別段困った事はないようだった。ルームランナーも荷物を置くのは誰が悪いとお互いのせいにするだけであまり使う気もなさそうだった。

 大晦日に一人紅白を見ながら、スマホでネットを検索してみた。猫、行列で検索しても大量の猫の写真がリストアップされるだけなので、地方名を入れて検索してみた。すると、父親のことらしき記事がいくつかあった。見出しは“猫大名の参勤交代”とあり運動公園で父と長々とした猫の行列が写った写真が掲載されていた。記事の内容は好意的で、微笑ましい出来事として取り上げられているようだ。カルガモ親子の引越しのような扱いだ。他に記事は見当たらなかった。今度は、猫が人間の後をついて歩くような事例があるのか検索してみたが、猫に関する情報が膨大で科学的な事例を取り上げたものを見つけることができなかった。

 それ以外はつつがなくお正月を過ごし、またそそくさと飛行機に乗り仕事に戻った。



 母親から電話があったのは、桜も終わった後の頃だった。昼に起きたら着信履歴が何度もあり慌ててかけ直した。

 折り返すと母親がすぐに出た。

「お父さんが昨日から帰ってきてないのよ」と不安そうな声だった。

 事情を聞くと夜明けに散歩に出てから一日一晩家に帰ってないらしい。警察にはこれから連絡するところだと言ったので早くそうするべきだと伝えた。

 仕事の段取りを確認したが、大丈夫そうなので空港へ向かった。大丈夫じゃなさそうな仕事もいくつかあったが、そのことは考えないことにした。

 実家の玄関でチャイムを押すと母親が飛び出してきた。

 落ち着くように言ってソファに座らせ話を聞いた。話を聞いている間もそわそわとして、何か物音がするたびに帰ってきたかもと玄関まで飛び出して行った。

 今の様子からして、昨日の朝から今日の夕方までこんな様子なのは明らかだ。慌ててもしょうがないと言い聞かせて、冷蔵庫にあったありあわせのもので食事を取らせ布団に寝かせた。

 まずは母親から聞いた警察の番号に電話し、こちらの携帯の番号を伝え様子も確認した。パトカーであたりを見てくれているらしいが、今の所手がかりはないらしい。何かあったら携帯の番号に連絡してくれるようお願いして外に出た。年末に散歩した道をそのまま歩いてみた。日が沈み街灯もないこの辺りは真っ暗で何も見えなかった。何も収穫はなかった。

 夜は母親とご飯を食べ、いつ帰ってきてもいいよう交互に起きていることにした。

 朝になって警察に連絡したが、返事は昨日と変わらなかった。少し寝た後近所のジャスコで自転車を買い心当たりのあるところに行ってみることにした。

 家の車はガレージにあるので車で移動はしていない。父親が自転車に乗れるかは母親もわからなかった。野球少年らしかったし会社の野球チームにも入っていたから全くの運動音痴というわけではないだろうが、父親が自転車に乗っているところを見たことはなかった。まあ、仮に自転車に乗れたとしても、現金を持っていないから盗まないと自転車で移動はできない。そして、父親が盗みをできる人間には思えなかった。

 はじめは、徒歩圏内と定めて自転車を漕ぎ、次第に範囲を広げていった。夜には父親の会社の人を訪ねて心当たりを聞いてまわった。

 そんなことを2週間続けてみたが何の手応えもなかった。

 定年退職した初老の男性が家出や誘拐犯のターゲットになるとは考えづらい。

 現実的には、何か穴や溝に落ちたか、ひき逃げにあい死体を隠匿されたあたりだろう。

 母親はおろおろとしていたが、もう帰れと言い出した。

「お父さんのことは私がやるから、あんたはもう帰って自分のことをやりなさい」とはっきりと言った。


 父親がいなくなってから7年。

 失踪した人は7年で死亡扱いになるそうだ。

 母親は今でも何か物音がすると玄関に飛んでいく。

 今になっても父親はあの猫たちと一緒にふらりとどこかへ行ってしまっただけのようが気がしてならない。





 終わり

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