第29話 時に異世界の使者

「佐伯くん、実は折り入って頼みがあるの」


 と、猫なで声を繰って来たのは魔王。

 僕とは前世でお互いの死をもって決着を迎えた宿敵だった。


 僕は今、魔王がバイトしている漫画喫茶で久しぶりに漫画を読んでいる。


「何?」

「この漫画喫茶に、アンドロタイトの転移マーカーはないのかな?」

「あったとしても行かないよ」

「いくら払えばいい?」

「急に魔王の口調にならないでくれよ」


 猫なで声からいつもの冷徹な口調になった彼女の落差が怖いです。


「お金じゃ僕は動かないぞ、お前じゃあるまいし」

「……じゃあ、デュランの行動原理ってなんだったんだ?」

「人生は色々あるんだよ、前世では何かと疲れたし、今生ではゆっくりと過ごしたいね」

「そのためにもお金は必要じゃないのか?」

「それにしたってお前の要求はのめない、一度応じるとやばいことに発展しそうだしな」

「佐伯くん、いくら元恋人とは言え、人が切実にお願いしてるんだから、少しは聞いてくれたって」


 魔王の唐突な態度の変化と、彼女の台詞の内容に腹立たしくなって僕は手にしていた漫画を机の上に思い切り叩きつけた。


「頼むから止めてくれ、どう言われようともお前とは仲良くできない」

「そうか、ではごゆっくり」


 これだから魔王は……ちょっときつく言い過ぎた感もあるけど。

 とりあえず、この巻は読み終えた、次の巻を持って来よう。


 と、僕が次に読む漫画を探している時、見てはいけないものを見てしまった。

 魔王の言う通り、転移マーカーである臙脂色の焔があったよ、あっちゃったよ。


 それはある本棚に囲まれているように存在していた。

 このマーカーはどこへ続いているんだ? そう思い、不用意に触れてしまうと。


「……痴漢のつもりですかデュラン殿?」


 目の前に、何の装飾もない銀髪の騎士モニカがいた。

 彼女は全身何も身に付けてなく、裸だった。


「もしかしてここって女湯だったりする?」


 見渡す限り、一面湯が張られた大きな浴場に女性という女性が生まれたままの姿で湯船に浸かっている。浴場の一角には観葉植物なども置かれており、鼻には女性の馥郁が香っていた。


「ええ、王都でも人気のある大浴場の女湯ですが……もしかして貴方の狙いは私でしょうか?」

「違う誤解、転移マーカーが偶然ここにあっただけで、すぐ出ていくよ」


 踵を返し、転移マーカーに触れようとしたんだけど。


「お待ちください、王が貴方に用があると言っておられました」

「じゃあキリコの部屋を伝ってまた後で来るから、離してくれよ」

「そうですか、約束しましたからね?」


 して、出戻ると、ちょっと服が濡れている。


「いやー、焦った」

「ふぅん、ここにも転移装置があったんだな。転移先はどこだった?」

「気配を殺して背後に立つな」


 魔王ともあろうものが、小ざかしい。


「ここの転移マーカーは使えない、転移先は王都の女湯だった」

「そうか、だが一応回収しておこう」


 回収? そう言うと魔王は臙脂色の焔に向かって手をかざし、焔は魔王の手のひらに呑み込まれてしまった。


「今のどうやったんだ?」


「都合がいいなデュラン、さっき、私とはどう言われようとも仲良くできないとほざいたのは誰だ? 自分の知りたいことだけ聞いて、相手のことはお構いなしか? 見損なったぞ」


 魔王にそう言われると腹立たしいだけなんだが!?

 いけないいけない、中嶋教諭の時もそうだったけど、どうも僕は沸点が低いな。


 胸中で自省していると、魔王は鋭い目つきで僕を見詰めている。


「我々に交渉の余地はないのか?」

「どうしてそこまでアンドロタイトにこだわってるんだ」

「逆にお前がそこまで前世を捨てているのが私は不思議だ」


 魔王がそう言うと、横からジーニーが顔を覗かせる。


「私も魔王と同感ですねぇ、デュラン、貴方は何故アンドロタイトを嫌うのです?」

「……疲れるからさ、向こうは」


 そう、今言ったように向こうでの人生は散々だったと思う。

 本当に、それだけ話なのに、魔王やジーニーは次の言葉を待っているようだった。


「期待するよう僕を見ても、これ以上何も出てこないからな?」


 そう言うと、魔王が口を開いた。


「私はそろそろ仕事に戻る、デュランとの交渉はケータイで続けるとしよう」


 一体何が狙いなんだあいつは。

 魔王が引っ込むと、漫画喫茶にキリコとミサキもやって来た。


「デュラン、ここって魔王のご両親が経営しているお店だったみたいよ?」


 キリコの説明に、僕はある意味納得した。

 あの残酷非道の魔王がアルバイトに精を出している理由はそれだったのかと。


「魔王の狙いはイッサだね」


 しかしミサキは魔王の真の目的をこう告げていた。

 僕は彼女の推測を即座に「ない、それはありえないよ」と否定する。


「日本の漫画は面白いですねぇ~」

「まぁ、二人もジーニーのように偶にはゆっくりしよう」


 その日、僕はジーニーを見習ってたまの休日を、恋人である彼女達と一緒にゆっくりと過ごした。永遠にこの時が続けばいいなと、ちょっとしたモラトリアムを覚えたものだが、銀髪の騎士モニカからアイラート王が僕に用があると言われたのを思い出してしまった。


 僕のたまの休日は三時間で終わりを告げ、あのあと合流したタイオウも連れてキリコの部屋に向かい、転移マーカーである臙脂色の焔に触れて騎士モニカの部屋に行くと彼女は待ちぼうけていた。


「遅かったですね皆さん、早速で悪いのですが王がお待ちです」


 キリコは弟のアイラート王の用事とやらについて肩をすくめていた。


「アイラートは何でもかんでも他人に頼りっぱなしね」


「キリコ殿がご存命だった頃の王を生憎私は存じませんが、現在のあの方は立派に責務を全うされていると個人的には思いますよ」


「そうなんだ」


 でも、一国の王が庶民である僕らに何の用事があるというのだろうか。

 元は大英雄と呼ばれていたとはいえ、心当たりはないな。


 モニカに通されるよう玉座の間に行くと、今回は王の周りに貴族がいなかった。

 代わりに王の教師役であり、先日のカレー騒動で迷惑掛けたチャールズ氏がいるぐらいだ。


「デュラン、また会えたな」

「お久しぶりですチャールズさん、と言っても一週間ぐらいのことですけど」

「まぁの、儂ももうそろそろ寿命だし、お主の世界に転生出来ればいいがな」

「もしも僕達を転生させた女神に会うことがあったら、伝えて起きますよ」


 それで、アイラート王の用事とはなんだろうか?

 用件を急かすようで申し訳ないけど、王を見ると彼は頷いた。


「デュラン殿、そして姉さん、今回の用件とは、ヒューグラント王国の未来に関わる重要な一件だと私は個人的に考えている。その重要な案件とは、我々の使者を地球に派遣したく思っているのだ」


 地球にアンドロタイトの人間が来る?

 いや……あの、困る。


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