霞草編
第29話 霞草信太郎の朝は早い
――チリリリリリリリリリリィィィィンン!!
朝の目覚まし時計が、部屋全体に響き渡る。一日のスタートのブザーだ。時刻は、早朝のまだ薄暗い4時。――霞草信太郎の長い一日は、ここから始まるのだった。
体をグッと伸ばして、そのまま布団から出る。そして、いつも置いている場所の辺りを手で触ってメガネを探す。――メガネをかけたら後は、部屋を出て顔を洗い、軽い朝食と身支度をすませて彼は、朝のランニングへ向かう。まだ親達は眠っているため、家を出る時は静かにドアを閉めるのがこの時の鉄則だ。
普段から薄暗い朝焼けの空の下を走っている霞草は、この時の皆がまだ眠っている静かな町の様子がなんだか好きだった。
彼は、走りながらその顔を少しずつ笑顔にしていく……。
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しかし、そんな彼も最近になって早朝のランニングをやめようかと思う時が時々存在するのだ。
――げっ! またいるよ……。
それは、最近になって天河達、バスケ部の連中も早朝に走るようになった事だった。
――前のサイゼの件から霞草は、更に彼らと距離を取るようになった。その理由は、簡単だ。
――勉強に支障が出る。
彼の父は、優秀な医師であった。そのため、いずれは彼も父の跡を継いで医者になるという事を考えていた。だから、毎日毎日勉強尽くしの日々を送っているのだ。
――いや、送らねばならないんだ。僕は、医者になるのだから……。
そのため、高校一年の秋から彼の大学受験勉強は本格的にスタートしていた。毎日毎日、授業の予習復習と予備校、そしてお気に入りのテキストをひたすらに読み込む……。など早い段階から彼の生活は、受験生そのものとなっていたのだ。
そして、高校3年の春。とうとう決戦の一年間が始まり、彼は今までよりも更に一層勉学に励むため、毎日のスケジュールを細かく曜日ごとに考えていき、ありとあらゆる隙間時間を勉強に費やす事にした。
……そして、そんな彼自身の努力もあってか、2年生最後の模試では全教科全大学オールBの判定を貰っており、彼は今受験における最高の波に乗っているのだと自分自身でも自覚しつつあった……。
そんな時に、花車が現れた。――最初は、彼も久しぶりの再会もあって心を許してしまったが、それからというもの彼は事あるごとに霞草を部活に誘ってくるようになった。
――天河達、最近走るコースをちょこちょこ変えてきやがるから余計に厄介だ……。時間も時間だし今日はこの位にしておくか。
そうして、霞草は軽く息を整えてからゆっくりと家までの道を走り始める。
本来なら、このまま天河達にバレる事なく家について、そこから学校へ行く直前まで家で勉強をしていくというのが本来の彼の生活リズムなわけだが……なんとこの日は、少し違った。
「……霞草じゃないか!」
……出会ってしまったのだ。彼らは。
「あっ、天河……それに……白詰まで一緒だったか」
「おう。おはよう! お前も走ってたんだな。意外だったぜ」
「ふっ、僕の家は医者だ。健康管理にはうるさいのさ!」
霞草は、目線を逸らしながらそんな事を言った。
「ふーん」
天河達は、疑う事なく彼の言う事を信じるのだった。
――するとふと、霞草が思い出したような顔で訊ねる。
「……そういえば、花車は今いないのか?」
天河が、手に持ったままのペットボトルに口をつける直前で答える。
「あぁ、アイツはいないな。元々、皆で走るためにやってたわけじゃないしな。俺と白詰は、走ってたら偶然出会っただけさ」
「あぁ、そうか……」
霞草は、ほっとしたような顔をしているのだった。
「……?」
「……?」
そんな彼の様子を見て、2人は”はてな”を浮かべていたが、霞草は彼らにはあえて何も言わないで置く事にした。
――少しして、彼はポケットからスマホを取り出して時計を確認し恐る恐るといった様子で言うのだった。
「……俺は、もう帰るよ。これから受験勉強をせねばならんからな」
それを聞いた天河と白詰は……。
「そうか。頑張れよ霞草」
「今度は、学校で会おうぜ!」
――あれ?
2人の反応は、彼が予想していたよりもずっと優しいものだった。彼は、それから少しかくかくした動きで走り出していく。……すると、そこで今度は白詰が大きな声で霞草を呼びつけた。
「信太ァァァァァ!! たまには、息抜きにでも部活来いよ! お前、まだいちよう部員の1人なんだからよ!」
霞草は、その言葉を聞いて手を振るのをやめた。
――そういえば、退部してなかったな……。
彼の中でモヤモヤした思いが心の中に広がっていく……。
インターハイまで後、40日。
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