第11話-2母さん
俺は病院に行った。すこぶる健康体だったけど。
真新しい建物は人を吐いては呑み込んでいく。その病院は、実は俺が産まれた場所じゃなくてその後移動した新しい方だった。
助産師さんが亡くなる前に移動して、新病院となった。旧病院はまだ取り壊しが行われてなくて、そのまま廃病院として残ってるらしい。医師や看護師はほとんどそっくり連れてった。中には入れ替えもあったみたいだけど、そこら辺は当人の自由。施設が大きくなるに伴って人員も大幅に増やされたみたいだった。
ここだけの話だけど、そんな大掛かりな人事異動なんだから人の一人や十人や何十人、は言い過ぎか。とにかく行方をくらましたって気がつかないもんなんだよな。いなくなった分、補充されてるんだから。
俺の知りたい行方不明事件とは関係ないんだけどさ、そういうのってほんとよくある話なんだよ。
一つの村が消えた。村人全員が一夜にして失踪した。そんな、話。
ちょっと気にして、すぐに忘れるだろ?
だって自分と関係ないんだから。
関係あったら無関心じゃいられない。
俺の行方不明事件だってそうだよ。これが俺自身に関係してるから必死になってたんだ。
いなくなったのが俺の知り合いだった。犯人が俺の父さんかもしれない。次にいなくなるのが、俺の身近にいる大事な人かもしれない。
だからこそ必死になって終わらそうとした。
じゃなきゃ俺もほかの同級生と一緒になって、その時山場を迎えてた砂時計の解決に尽力したさ。
とにかく、以前より大きくなったらしい新しい病院。俺が産まれた旧病院じゃなくて、新しい方。そっちに行けって助産師さんは俺に遺した。
到着してすぐに向かったのは受付。入り口入ってすぐ正面。
何て言ったらいいかわかんないからしばらくうろうろしてた。ほんっと、無駄な時間だった。
そしたら後ろから肩を叩かれた。あの時ほどビビったのは三回くらい。振り向いたらそこにいたのは、怪奇オタク、お前だった。
「なんでこんなとこにいんの」
「メール送っただろ」
「メール?」
「眠りウサギ」
「ああ」
眠りウサギが入院してたのはその病院だったんだ。怪奇オタクは毎日見舞いに来てたらしい。
ホントウニ?
さあね
俺はその時、怪奇オタクと会った。それは事実だぜ。
だから俺はそいつに手帳のこと、助産師さんのことを話した。そしたらさ、そいつ、一番最後のページを開いてこう言ったんだ。
「名前書いてあるじゃん」
確かにそこには一人の名前が書かれてた。俺はそれまで全然気がつかなかったんだけどな。
でもさ、俺思うんだよ。そこに名前が書かれてたの知ってても、誰の名前かわかんなかったから無視してたんだろうなって。
俺、ずっと助産師さんのこと「助産師さん」って呼んでたんだ。手帳に書かれてた名前は初めて聞く名前だった。
「あの人、××さんって名前だったのか」
「知らなかったのか?」
「ああ」
今まで知らなかった。でも、知らなくていいことだった。彼が自分で自分の名前を俺に教えなかった。それって、知っても知らなくても変わらないってことなんだと思う。
おいおい、みんな。軽蔑しないでくれよ。
そもそも俺たちだって名前で呼んでるやつの方が少ないだろ。信頼してそいつのことをわかってるから変な呼び方をする。
友人Aに遅刻常習犯。眠りウサギに怪奇オタク。どれも親しいから呼ぶんだよ。気に入ってるぜ? この呼ばれ方。
自分が特別だって思えるんだ。
俺にとって彼は「助産師さん」なんだ。特別な助産師さん。大切で、大好きだった助産師さん。
もし名前を教えてもらっててもさ。俺、多分彼のこと助産師さんって呼び続けると思うんだよな。
彼もその仕事に誇りを持っていた。多分、仕事のことを聞いて小さい俺は思ったんだろうな。
「じょさんしさんってすっげえ!」
俺が助産師さんって呼ぶのを、彼は嬉しそうに応えてくれた。
助産師さんの方はって言うと、俺のことは大抵「きみ」「ぼく」「ぼうや」って呼んでた。小さい子どもを呼ぶ呼び方だよな。
俺はそれが嬉しかった。
父さんには「お前」とか「鬼子」だぜ? 名前以前に人として見られてなかったんだよ。
助産師さんは俺を子どもとして見てくれた。小さな人として、守られていいんだよって思わせてくれた。
これって、大きいだろ?
名前なんて呼ばなくても呼ばれなくてもよかったんだ。相手が自分を見てくれればそれでよかった。ただ、それだけなんだよ。
俺にとっては、な。
怪奇オタクは自分のついでだって言いながら、手帳を奪って受付に行った。
俺は病院になんて来たことがなかったから、どうすればいいか全くわからなかったんだ。ほら、俺の父さんってあれだから。
何か受付の人と話して、あいつは奥に入ってった。入院してる人の病室がある方だ。それで、ぼんやり見送ってた俺のとこに一人の医者がやって来た。
「××君だね。あっちで話そうか」
そう言って、飲食スペースに俺を連れていった。
当然俺はその人なんて全く知らない。胸に付けてる名札を見ても、どこにだってある名字だった。
その人は、俺を二人掛けのテーブルに座らせといてカウンターの方へ歩いていった。
戻ってきた時にはコーヒーとココアがその人の手に増えていた。
「どうぞ」
彼の前にはコーヒーが。俺の前にはココアが置かれた。初対面で、俺は知らない人にココアを出された。
甘いココアは子どもの頃からの俺の好物だった。
カップの中から立ち上る湯気と匂いに俺は驚いた。驚いて、彼の顔を見た。彼は笑って言った。
君はココアが好きだって聞いていたんだ。
「どこまで知っているんだい?」
「いや、その、なにも」
「じゃあね、君は何を知りたくてここに来たんだい?」
助産師さんと同じような、ゆったりとした話し方だった。熱いココアはテーブルに置かれたまま冷めるのを待っていた。
何から言ったらいいのかわからなかった。全部、知りたかった。全部聞きたくて、口にしたくて、頭が真っ白になった。口は開いたけど、声にならなかった。言葉は出て来なかった。
そんな俺を見ながら、彼は白衣を脱いでイスの背に引っ掛けた。ぴしっとしたシャツとネクタイをした彼は、まだ若く見えた。座りながら、
「今日はもうあがりなんだ。時間は気にしなくていいよ」
そう笑った。
よく笑う人だと思った。病院に勤めている人ってみんなこうなのかって。でも、次の一言で俺の頭は完全に凍った。
「僕は君のお父さんの後輩なんだ」
父さんの、後輩。
まさか。あの父さんが病院勤務? あり得ない。
だって。
だってだって。
だってだってだって。
とうさんはあんなにおれをなぐったじゃないか
俺はてっきり、彼は助産師さんの知り合いだと思ってたんだ。それか、母さんの方の。
当然だろ。父さんと病院が結び付くなんて思いもしなかった。でも彼は確かに「君のお父さん」と言った。
「高校、とかの、ですか」
彼は一瞬驚いたみたいだった。
「本当に、何も聞いていないの?」
「はい」
彼は目を瞑った。何かを考えているようだった。
ぬるくなり始めたココアを俺は啜った。まだ少し、熱かった。
「うん、わかった。全部、始めから話そう」
彼はそう言って、コーヒーを一口啜った。
知りたかった話が明らかになる。知りたくなかった話が明らかになる。
俺は目の前の彼に夢中だった。周りのことなんて聴こえないくらいに。
だから、ほんの少しだけしか距離が開いていなかったのに気がつかなかった。知り合いが自分の後ろを横切って、病院から出ていこうとしていたなんて。
オメデトウ
ソノヒハ、カレノタイインノヒ
俺は知らなかった。
俺は気づかなかった。
なんでだろう。
俺の中の、ナニカが人とずれていた。
俺は、遅刻常習犯。
人に遅れ続ける、遅刻野郎。
お前は彼に会釈した。
彼は笑って手を振った。
ただ、それだけのことだった。
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