第9話やっと届いたメッセージ
遺体の数は本当に多くて、しかも比較的新しい方は腐っていく。ちっぽけな町にある警察署の霊安室なんてたかが知れてるから、病院にも置かせてもらっているらしかった。
そんなことも知らない俺は、その日も警察署へ向かった。
ここにあるのは遺品と遺骨だけですよ。そう言われた時の俺の気持ち、わかるか?
警察署と病院は反対方向。片方に行けばもう片方は次の日だ。知らなかった俺が悪いよ。でもさ、その日で会えるの最後だって言われてたから。余計にショックだった。
一度も死に顔に会えなかったわけじゃないよ。ただ、さよならって言えなかったのがショックだったんだ。
俺は、最期はちゃんと、さよならって別れを言いたかったんだ。その人たちとはみんな、「また今度」で別れていたから。
彼らが死体になってから俺が会えた時間の中で、どんだけ伝えることができたんだろう。
そんなの塩一粒分だってない。
わかってるんだ。
また、俺は遅れてしまったんだって。伝えるのが、伝えようと思うのが、また、遅すぎたんだって。
結局俺が最後に会えたものといったら、リストを見せてくれた警官の持ち物。行方不明者のリストに、腕時計。免許証に、あの日は被っていなかった制帽。
もう何度も繰り返し見た物たちだった。
怪奇オタクは俺に言った。遅れて何かに気づくかもしれない。
何か、俺に見えていなかったものがあるのだろうか。俺は残された遺品たちとにらめっこした。
にらめっこした。
にらめっこ、した。
そこ、笑うな!
これでも真面目な顔なんだよ!
とにかく。俺はじっくり。じーっくり。遺品たちを見つめたんだ。
薄暗い部屋の中で物音だってしなかった。
何処と無く冷たい空気が漂ってた。
生き物の気配が途切れるその空間で、俺は一人でそいつらと向き合った。
突然、ふ、と感じた。本当にふ、とした瞬間だった。
リストの紙がちょっと歪んでるなって思ったんだ。まっすぐピンと張った紙束だったはず。それが、くしゃっと歪み始めたんだ。
ぐしゃっと握り潰した感じじゃなくて、なんていうかさ、こう、強い筆圧で文字を書いちまった感じ。書いたというより刻み込んだって表現のがいいか。そんな感じ。
一番上に乗ったリストの紙の、名前が連なる最後尾、春にいなくなった同僚の名前が書かれてる、その下。
これ見て。
そう言ってリストを見せた本人の名前が書かれる事態になっちまった。
空白だったままでいて欲しかった、その場所。
何か、違和感があった。
何かわからなかった。だから、じっとそこを見続けたんだ。そしたら、紙が歪んでいくのに気がついた。
それまでそんなことなかったよ。でも、そのタイミングでそれは起きた。
じわりじわりとその変化は進んでいった。
なんだこれ? そうとしか思えない状況ではあったけど、俺はただひたすらそれを凝視するしかできなかった。
俺は遅刻常習犯。
変化に気づくのも人一倍遅い。
変化が俺を置いてどんどん進む。気づけば俺だけ取り残される。
置いていかないでと、俺は跡を追う。
つまり。
気がつかなかったんだ。誰も。
そのメッセージは俺宛の物。俺にだけに宛てられたメッセージだった。
ダイイングメッセージって、あるだろ?
死ぬ瞬間、最期に遺したメッセージ。
あれが、その時やっと、俺のところに届いた。
俺以外誰もいないはずの空間で、微かな音が聞こえた。
カリカリ
何かを引っ掻くような音だった。別の言い方すると、ボールペンを強く握って紙の上に突き立てながら動かすみたいな。
そうだ。まさに爪を、立てるような。
カリカリカリカリ
歪んだリストが波打った。何かが紙の上を這った。ゆっくり、ゆっくりと、見えない何かは爪を立てて紙を傷つけていった。
カリカリカリカリカリカリ
何もなかったはずの遺品に何でこんなことが起こっているのか。何で誰も気づかなかったのか。
わかんねえよ。わかるはず、ねえよ。いつだって怪奇で不思議なことは理解できない。そういうもんなんだ。
カリカリカリカリカリカリカリカリ
……。
音が唐突に止んだ。リストは白いままだった。紙は歪んでいたけど。
でも、変化は止まった。
何が変わった?
すい、と、俺は紙を撫でた。指で触れたそこは、歪にぼこぼこしていた。
溝ができていた。爪跡ができていた。
俺はひらめいた。近くの机の上に駆け寄った。筆記具が立てられたペン立てが倒れるのも構わずに、俺は迷わずそれを手に取った。
鉛筆を、手に取った。
そしてそれを、紙の上に滑らせた。
紙に寝るくらい倒した鉛筆を何度も往復させた。書くんじゃなくて塗る。俺はリストのその部分を、白から黒へ塗り潰した。
鉛筆の芯は短くなっていった。短く、鋭くなっていった。
空白だったリストの下部分は鉛筆の黒い炭で煤汚れた。ぼやけた黒が、一面に敷かれた。
そして、そのメッセージは浮かび上がったんだ。
鉛筆を走らせる度にその文字ははっきりと現れた。
まずは「ハ」。
その下に、「×」。
俺の目の前に「父」という文字が現れた。
警官のおっさんは、俺に「父」という文字を最期に遺したんだ。
その警官のおっちゃんは、初めて会った時にはまだまだ若い若手の警官だった。と言っても、小さかった俺は顔も上げられなくてさ。覚えていたのは声と手。それだけだった。
父さんに怯えて動けなかった俺を家の外に出してくれたのは、恩師のあの先生。先生はあの日、父さんと向かい合って言い争ってた。俺のために、マジギレしてくれた。
だから、その間に同行してた警官が俺を外に出した。それが、若かったあのおっちゃん。
暗い押し入れの中でうずくまってた俺の手を握って、引いて、玄関へ一緒に歩いて行って。
それから。
それから、後ろから響いてた父さんの怒鳴り声が聞こえないように俺の耳を塞いでくれた。外に出て、手がガサガサに荒れているねって言いながらハンドクリームをたっぷり塗ってくれた。おとなしくしていた俺の頭をそっと撫でて、いい子だねって言ってくれた。
そうだ。そうだった。
何で今さら思い出すんだろう。
何でずっと忘れていたんだろう。
「ありがとう」の一言さえ言えずに、時間が過ぎてしまってた。俺は大人になって、おっちゃんの髪には白髪が目立つようになった。
俺は、また遅れてしまった。
大切な人に感謝を伝えることも、最期を看取ることもできずに涙した。こんな自分が悔しくて、ほんと、嫌になる。
俺は、ただ無駄に時間を使ってきただけなんじゃないか。無意味にただ立って生きているだけなんじゃないか。遅れる時点で、約束の意味さえないんじゃないのか。
そう、思う時がある。
違う。ほんとはずっとそう思ってる。
でもなおんないんだ。この体質も、癖も。
俺は一生遅刻常習犯なんだ。
遅刻し続ける、愚か者なんだよ。
浮かび上がった「父」の文字を見て、俺は思い出した。あの父さんのことを。
酷い仕打ちをしてきた父さん。それでも、唯一の家族なんだって理由をつけて受け入れようとした。結局理解できなかったし、理解されずにこのまま終わるんだなって思いながら、家を出た。
おっちゃんの示す「父」は誰のことなんだろう。おっちゃんは誰のことを伝えようとしたんだろう。
死の間際に遺したメッセージ。これは、おっちゃんをこんな目にあわせた犯人のことなのか?
どの「父」だ。誰の「父」だ。
違うんだよ。おっちゃんは「俺に」メッセージを残してくれた。俺ならわかると、俺だったら気づくと信じて残したんだ。
だから。「父」は俺とおっちゃんが共通して知っている人。
おっちゃんは、父さんと面識があった。
あの日、俺を外に出したあの日に、先生とおっちゃんは父さんをしっかり見ていた。
この行方不明の怪異を起こした犯人は、父さん。
「いい子だ。よくできました」
おっちゃんの優しい声と一緒に、皺の刻まれた大きな手が俺の頭を撫でた気がした。
振り向いたけど、そこには誰もいなかった。
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