第3話-5鬼の子ども
家から先生に引きずられてやって来たのは学校。そう、俺たちの小学校だった。
文字通り引きずられてきた俺は宿直室に入れられて、まずは寝かされた。布団が柔らかくて、あったかかった。
起きたら腹一杯飯を食った。うまかった。それから風呂に入って、寝た。起きたら飯を食って、授業に出た。
そこからはみんなも知ってる通り。みんなと授業を受けて、給食食って、昼寝して、遊んだ。
先生からは当たり前の常識を教わった。みんなからは、なんだ、色々と教わったよなぁ。遊び方とか、悪戯のし方とか、町のこと。
何にも知らなかったんだ。俺は。
家から出られないで息だけしていた。ほんの少しの餌だけ腹に収めて、父さんの視界にできるだけ入らないようにした。目を見開いて、恐怖に耐えた。意識が落ちるまで目を閉じないから、眠り方がよくわからなかった。
助産師さんは俺に言った。生きて欲しいって。だから俺は生きた。生き延びた。
でも、そこには俺が自分の足で生きていく道はなかった。自分の足で立って、道を選んで、前を向くことはできなかった。だって、どうやって生きていけばいいか知らなかったんだ。
父さんみたいな大人になる? あり得ないだろ。
助産師さんみたいな大人になる? 助産師さんと過ごせた時間は短すぎた。彼についてほとんど知らない。探そうにも、その時には彼はこの世にいない。
俺は大人が嫌いだったんだ。それは父さんが大人だったから。
父さんは大人で、大人は父さんだった。俺は、父さんっていう大人しか知らなかった。
じゃあ、他は? 見てなかった。
見れなかった。自分と違う人を見る余裕がなかった。
だからさ、ごめん。俺、小学校の入学式の時の顔ぶれ、覚えていないんだ。
卒業までに亡くなって入れ代わった奴もいたよな。でも、ごめん。俺の頭の中には卒業式の時の顔ぶれしかいない。
此処にいるみんなの顔しか、記憶にない。
桜の木の下に集まった、同窓会を約束した同級生たち。それで、いいんだよな。
あの先生も、助産師さんもいないけど。
これは、俺たちだけの約束なんだよな。
その約束も当然遅刻したけど!!!
じゃなくって。何の話だ?
ええっと、生きる目標?
単純に将来の夢とか、どんな大人になりたいか。かな。
そんなのなかったよ。あるはずないじゃん。
足元を見て立つだけで精一杯の子どもだ。
これから先のことなんて考えられない。
人って他人と自分を比べるよな。どっちが上でどっちが下。対等がいいって言ってても、それだって横を見て揃えてるだけだし。
俺の場合さ、下ばっか見てるから上も右も左もわかってねえの。他の奴がどこ見てるのか、何をどうやってるのか。見る余裕がなかったんだ。
先生が教えてくれたことの一つがこれだよ。人間観察しろ。人だけじゃないけど、自分が人として生きていきたいんだったら周りの人を見ろ。
間違ってることは真似しなくていいから、正しいと思うことを真似して自分の中に取り込め。
俺、人間観察だけは得意になったんだ。
あ、こいつ、今何してもらいたがってるな。こいつ何に怒ってるな。こいつ体調悪いな。こいつ何か隠してるな。こいつ、あいつじゃないな。
すぐにわかっちまうぜ。だって俺、後ろからじ~っとおまえらを見てるんだから。
遅刻常習犯はいつも遅れるんだ。だから後ろから前のやつらを、おまえらを見てたんだよ。
俺はみんなの生き方を真似した。自分のことを「俺」って言うようになったのも家を出てからだよ。
笑うようにもなった。好き嫌いを伝えるようになった。話をもっと聞くようになった。話をしたいと思うようになった。
泣くようになった。痛いと言うようになった。悲しい、寂しい、淋しいって言うようになった。涙を、流すようになった。
怒るようになった。自分は悪くないって主張できるようになった。
ふざけるようになった。みんなと冗談を言い合って、笑い合えるようになった。
あいかわらず夢は語れなかったけど。
俺は、ちゃんと生きていた。
生きていた!
生きていたんだよ!!!
自分の意思で、歩けるようになったんだ! 父さんから離れて! 自分の目で世界を見るようになったんだ!
俺は、俺はさ。やっと前を向けるようになったんだ。
そこでやっと解ったのは自分の体質と遅刻癖だったんだけど。
自分が持ってる他人と違うとこを知るのは大切だよな、ほんと。
同じことと、違うこと。周りを見れるようになってやっとわかったよ。
俺はちゃんと人の子だった。
鬼の子なんかじゃなかった。
それを教えてくれたのは、あの先生と同級生のみんなだ。
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