いらないとびら

鳩芽すい

本編

 ぽつんと、扉があった。


 金属は磨かれ、周りの木々とは明らかに違う。

 とある小さな街、誰かの思い出が乗っているはずの、寂れてゆく街。本当に何も無い、ずっとここにいても伸びしろなんて望めないであろう街だ。

 その外れで、人を寄せつけない異端を放っている扉だった。


 扉の先は、街の外へのただ一つの道。

 この道を通ることしか、この街から出て行く方法はない。


「うーん……」

 何の面白みもないはずの、ただの扉だ。街を出るときにしか、用はない。

 そんな扉に、一人の少年がいた。


「ここから、お姉さんは出て行くんだっけ」

 その十歳ぐらいの少年は、出て行く人の見送りに来ていた。

 本来見送りは街の中で済ませてしまうのだが、この少年はこっそりと来てしまったらしい。

 それは、往生際が悪いとも言うけれど。いてもたってもいられなかったのだ。

 

 少年は扉からちょっと離れた岩に腰かけ、街を俯瞰する。

 背中の方にある扉が主張する、未熟な人間を受け入れないじめじめした雰囲気。

 少年は扉をぐるぐる回って足で草を弄っていたが、途端にぱっと目を輝かせた。


 街の方から、一つの人影。

 それは、待っていた人のものだった。


「お姉さん」

 むこうも少年に気づいたようで、足をはやめて近づいてくる。


 顔を上げて、少年はお姉さんを見上げた。目が合って、すぐに逸らす。

「きちゃったか」

「きちゃった」

 しょうがないなあ、というようにお姉さんはくすりと笑う。

 つられて、少年も無理に笑った。


 誤魔化したような笑いも、尽きてしまう。

 静まった空気に少年とその人、2人だった。


「いっちゃうの?」

「そうだね」

「そっか」


 お姉さんの手によって、扉が開く。

 その手が、震えているように見えた。


 お姉さんは何でもないと示すように、指先でひょいと扉の先をつついた。

 波紋を描く、紫がかって混沌とした膜。

 濁った色は人々の我が儘パウダーをこれでもかと煮詰めたように穢らわしい。

 街の外と内が断絶される境界が、そこにある。


 その膜に、少年は身震いする。どうして、ここを通り抜けないと外に出られないのか。

 まるで、外と中では決定的に何もかもが異なるような。


 扉を踏み越えた先は、草が茂っていた。その先には、想像もつかない他の場所への街道だ。


 外にでてしまえば、今までの関係は無かったことになってしまい、思い出も大事な物も全部捨ててしまって。

――お姉さんは、この街に帰ってこないんじゃないか。

 もう二度と、会えやしないのかもしれない。


「また、会えるよね?」

 声は震えて、聞いてしまった。

 笑って送り出すつもりだったのに。

 俯く。


「どうかな」

 お姉さんも、誤魔化したくはなかったみたいだ。

 それは嬉しいけれど、やはり寂しい。


 沈黙のまま、街を振り返ったり外に想いを馳せたりして。

「……本当に、こんな小さな扉をくぐらないといけないのかな」

 少年の好きな声が、軽やかに耳朶を打った。

「え?」


「そっか、簡単なことだよね」

 おかしくてしょうがないというように、少女は笑っていた。


「……?」

 お姉さんが笑っているのは、嬉しいけど、ついていけない。

 自分が泣いている場合でもないようなので、慌てて目を擦る。



 10歳の少年にはすぐ理解できなかったが、お姉さんは謎を問いかけるように教えてくれた。いつものように。

「だってここ、たくさん草が茂ってるよ。たくさんのひとが通るはずなのに」

 指さされた、扉を越えた向こうの草むら。

 ここには毎日人が通る。たしかに人がたくさん通れば、草なんて生えない。獣道ができるはずだった。

 ここには草が踏み倒された様子が、全くといっていいほどない。

 そうか。


 賢い少年は、深く頷く。

 きっと、また会える。


「これは秘密だよ、約束」

 お姉さんは、人差し指を唇に持ってきて、澱んだ空気がふっ飛んでいくようなウインクをした。

「うん」


「行ってらっしゃい!」

「うん、またね」

 

 お姉さんは扉へ向かう。

 街の出口にぽつんと置かれた見せかけだけの扉なんて、視界の端だけの存在。

 街と外は、当然のことながら地続き。

 扉の左右は、がら空きだった。


 なんで、人々は扉なんて見てたんだろう。


 ###


「見送り、ちゃんとできたの?」

「うん、お母さん!」

「そう、よかったね。立派だった?」

「かっこよかった! 扉をぐんとこえていったよ!」

「……そう。我が息子くんもそうなりたい?」

「うーん、どうかな」

 そこで、少年は目を閉じた。思い返すのは、つい先程のお姉さんの背中。

 これから何度も思い出すだろう、最後の。

「なんだあそれ」

「でも、」

 

「あんなふうに街をでたいな」

 堂々と、胸を張って少年は、ちゃんと笑った。


 ###


「わざわざ扉をくぐってやる必要なんて、なかったんだ」


 その先を憂うように、だけど恐れには屈しないように、晴れやかに。

 背中を見つめる少年と、家で別れた親、それからそれから、今までのこれからの誰かに。

 そこで見てろと、前を向いて。

 小さな一歩を、確かに踏み出した。


 扉なんてない、私が決めた境目を越えて。

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いらないとびら 鳩芽すい @wavemikam

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