第24話 エリーアスの誕生日

 家に押しかけて来る兄のゲレオンと弟のグンターに関しては迷惑だとしか感じていなかったが、唐突に押しかけて来るエリーアスの弟のユストゥスはギルベルトにとって歓迎すべき人物だった。


「兄さんの論文を見たよ。かなり研究は進んでるみたいだね」

「そうですね。特効薬は難しいかもしれませんが、ワクチン開発は可能かもしれません」

「ギルベルト・アードラーとの生活はどうなの?」

「それを論文の話の後でしますか?」


 兄弟のやりとりにギルベルトが和んでいると、エリーアスが妙な顔をしている。エリーアスはギルベルトのことをどう思っているのか、ギルベルトも気になっていた。


「エリさんとは仲良くやってるよ。サファリパークに行ったんだ。二周したよ」

「部屋にキリンのぬいぐるみが増えてるし、ギルベルト・アードラーはキリンのシャツ着てるし、兄さんの部屋も変わったね」


 ユストゥスにフルネームで呼ばれるのは不本意だが、エリーアスがギルベルトがいると変わったと言われると嬉しくなる。


「ユストゥスも俺のことはギルとかギルベルトと呼んでくれ。エリさんは頑なに呼んだことないけど!」

「私があなたの名前を呼ぶ必要はないじゃないですか」

「一緒に暮らして、これだけ親密にしてるのに、名前を呼ばない方がおかしいよ」


 この件に関してはギルベルトも一度はっきりと話したかった。基地ではエリーアスはギルベルトのことを「アードラー隊長」と呼んでいて、基地から戻ると「あなた」としか呼んでくれなくなった。

 こんなにも頑なにエリーアスがギルベルトを呼んでくれないというのは、ギルベルトとしても本当に不満だった。


「ユストゥス……エリさんが俺のことを呼んでくれない」

「兄さんは妙なところが頑固だからね」

「俺は普段はエリさんって親しみを込めて呼んでるし、特別なときにはエリーアスって呼んでいるのに」

「その辺の事情は特に聞きたくないけど、兄さんはなんでギルベルトのことを呼んであげないの?」


 あっさりとユストゥスの方はギルベルトを名前で呼ぶことにしたようだ。こんな風にこだわりなく呼んで欲しいのだがエリーアスは眉間に皺を寄せている。


「必要がないからです」

「そうか。兄さんにとっては、唯一のひとだから、名前を呼ぶ必要もないってことか」

「はぁ? そんなこと一言も言っていませんが」

「そうじゃなかったら、呼んであげたらいいんじゃない? 減るもんじゃないんだし」


 ユストゥスの言うように、ギルベルトが名前を呼び必要もないくらい唯一の相手だというのならばそれはそれで嬉しいし、エリーアスが名前を呼んでくれるようになればそれはそれで嬉しい。ギルベルトにとってはどっちに転んでもラッキーでしかない提案に、胸をときめかせていた。


「ギルベルト……と、呼べばいいんですか?」

「呼んでくれた……エリさんが、俺の名前を呼んでくれた……」


 感動していると、ユストゥスがもっていた箱をギルベルトに渡す。


「よかったね、ギルベルト。これ、兄さんの誕生日ケーキだよ。二人で食べて」

「え? 誕生日?」

「そうだよ。今日は兄さんの誕生日だから、どうせ兄さんはケーキも用意してないだろうと思って持って来たんだよ」


 ユストゥスの言葉にギルベルトは初めてエリーアスにも誕生日があることに気付いた。誕生日というものが存在することは知っていたが、ギルベルトは幼い頃に祝われたときには、欲しいものはもらえなくて、ケーキも兄と弟に分けて自分は食べなかった思い出しかないので、誕生日自体を忘れていた。

 書類に年齢を記入するときに、自分が何歳かを数えるためだけに誕生日が存在しているかのような気分だったのだ。


「そういえば、今日でしたね。てことは、ユストゥスの誕生日は一週間後ですね」

「僕の誕生日は気にしなくていいよ」

「欲しいものがあったら教えてください」

「兄さんが幸せそうならそれでいい」


 自分の誕生日は忘れているのに、ユストゥスの誕生日は覚えているエリーアスは、ギルベルトと感覚が近いのかもしれない。それにしても、大事なエリーアスの誕生日をユストゥスが来なければ知ることもなかったと思うと、ギルベルトは悔しくて堪らない。


「めちゃくちゃご馳走作る!」

「私の誕生日ですよ? ケーキもあるし気にすることないですよ」

「ユストゥスも食べて行くといい。三人でお祝いしよう」

「僕もいいの? やったー! ご馳走だ」


 無邪気に喜ぶユストゥスに、ギルベルトは完璧なご馳走を作ることだけを考えていた。エリーアスがどれだけ遠慮してもこれだけは譲れない。

 ミートソースとホワイトソースを作って、ラザニアの生地の間に挟んでオーブンで焼く。冷凍していたラム肉を解凍して、骨付きのラム肉をマスタード焼きにする。焼き野菜を添えて、スープも作って、バゲッドには霧吹きをかけてトースターでカリッと焼き上げる。

 テーブルの上に次々と並ぶご馳走にユストゥスは拍手をしてくれていた。当のエリーアスは戸惑っているようだが、ユストゥスが喜んでいるので断れないようだ。


「祝ってくれるって言ってるから、一週間先の僕の誕生日も、先取りで祝ってもらおうかな」

「いいぞ。おめでとう、ユストゥス!」

「ユストゥス、あなたってそういう大雑把なところがありますよね」

「兄さんは祝ってくれないの?」

「おめでとうございます、ユストゥス」


 エリーアスとユストゥスがお腹いっぱいになるように取り分けて、自分も食べつつ、ギルベルトは二人をお祝いした。誰かの誕生日を祝うのは、アードラー家で幼い頃に兄弟の誕生日お祝いに出席させられて以来だが、気乗りがしないのに無理やり出席させられたお誕生日お祝いと違って、大好きなエリーアスとその弟のユストゥスの誕生日だと思うとギルベルトは自分のことのように幸せだった。


「ギルベルトのお誕生日はいつですか?」

「俺は初夏だよ」

「そのときにはお祝いしないとね。僕も兄さんもお祝いしてもらったからね」


 二人の誕生日を祝えるだけでなく、初夏に来るギルベルトの誕生日も二人は祝ってくれるという。喜びで飛び跳ねそうになるのを我慢して、ギルベルトはお茶を淹れてケーキを三等分に切った。

 小さなホールケーキだったが、三人で食べるには十分だった。

 最初はエリーアスとユストゥスの分があればいいと思ったのだが、ギルベルトの分がないと優しい二人は気にするだろうと気付いて、自分の分も切ったのだ。エリーアスと暮らしていくうちにギルベルトは自然と自分を大切にできるようになっていた。それはエリーアスがギルベルトを尊重してくれるからだ。


「料理もお茶を淹れるのも上手なんだね」

「ギルベルトは器用ですからね」

「兄さんはいいお嫁さんをもらったんじゃない?」


 冗談めかして言うユストゥスに、エリーアスが顔を歪める。


「私とギルベルトはそういう関係ではありませんよ?」

「ギルベルトから聞いてるのと違うなぁ。ギルベルトは兄さんと生涯暮らすつもりなんでしょう?」

「もちろん、そうだが」

「それは、ギルベルトが私の左腕と左脚に関して、責任を感じているからです」

「兄さんはそう思ってるんだ」


 ケーキを食べながら会話にギルベルトは口出ししたい気持ちはあったが、上手く言える気がしなかった。アードラー家の兄弟はエリーアスとの関係に口出ししてこないつもりかもしれないが、父親がどう思っているのかが分からない。エリーアスとの仲を裂こうとすれば抵抗するつもりだが、その過程でエリーアスを傷付けるわけにはいかなかった。

 できる限り邪魔者を排除した後で、エリーアスには結婚を申し込みたい。そのためには一度父親とも話をしておかなければいけない。


「兄さんは鈍いからなぁ。全然通じてないみたいだよ」


 帰り際にユストゥスはギルベルトに囁いていった。エリーアスが鈍いのは気付いているが、身体を張ってまでギルベルトを守ってくれたのだから、ギルベルトを愛しているのは間違いない。ギルベルトはそのことを信じて疑っていなかった。

 エリーアスに結婚を申し込めるのはもう少し後になるが、一緒に暮らすことを受容してくれて、ギルベルトの欲しいものを買って家に置くことも許してくれて、ベッドも買い替えた。エリーアスはギルベルトを受け入れてくれているとギルベルトは信じていた。

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