第14話 迷い込んで来た子ども

 特効薬開発の報が流れてから、戦争は終結に向かっていた。

 国同士で交渉を行って、バルテン国が特効薬を他国に提供するという条件で、圧倒的に有利な立場で戦争は終わりを迎えそうだった。

 前線の基地にももうすぐ基地が縮小されていくという噂が流れ始めて、隊員たちも浮足立っていた。

 当初は基地に残るだろうと思われていたギルベルトは、戦争の終結後は基地を離れることを希望している。


「エリーアスに教えてもらえば、俺は何でもできると思うんだ」

「何を教えてもらうつもりなんですか?」

「料理とか、掃除とか、洗濯とか……」


 軍の最前線の基地で隊長として隊員を率いていた人物が、料理や掃除や洗濯をしているところが想像できなくて、エリーアスは首を傾げてしまう。


「私の元で練習して、あなたは何をしたいんですか?」

「それは……その……」


 歯切れの悪い返事しかしないギルベルトに、家事ができる男の方が女にモテると誰かが吹き込んだのだろうかとエリーアスは邪推してしまう。デニス辺りならそういうことを言ってもおかしくはない。

 軍を辞めた後に基地の中で一番近しいと思っているエリーアスにギルベルトがついて来たがるのも、エリーアスが一般常識をギルベルトに説いたからであって、それ以外の感情があるとはエリーアスには思えなかった。


「結婚でも考えているのですか?」


 最前線を長年にわたって守り続けた英雄として、ギルベルトは高く評価されて引く手あまたになることは間違いない。アードラー家は将軍の一族なのだから、それだけでも結婚したいという相手はいるだろう。

 エリーアスが問いかけると、ギルベルトがエメラルドのような瞳を輝かせて顔を上げてこくこくと頷く。


「そうなんだ。分かってくれるか?」

「あなたなら、相手はいくらでもいそうですからね」

「そうじゃなくて……」


 何が違うのか分からないが否定してくるギルベルトの表情が曇ってしまって、エリーアスにはその理由が全く分からない。


「責任を取りたいんだ」

「誰に対してですか?」

「エリーアスに対してだよ。エリーアスも責任を取って欲しい」


 男性の身体にはまってしまったのはエリーアスのせいだから責任を取れと言われているのだと気付いて、エリーアスは思い切り渋い表情になってしまった。最初に求めて来たのはギルベルトの方で、エリーアスはそれに応えただけだ。ギルベルトに責任云々言われる謂れはない。


「ただの性欲処理でしょう。お互いに納得してやったことです」

「エリーアス、俺はエリーアスのことが」


 それ以上を聞けなかったのは、緊急でエリーアスとギルベルトが呼ばれたからだった。隊員の話だと基地の外に裸足の子どもが立っているという。


「この雪の中裸足なのですか? 凍傷の危険性がありますね」

「敵国から逃げて来た子どものようなのです。親の姿が見えなくて」

「親も近くにいるかもしれない。すぐに探せ」


 基地の外に立っていたという子どもを保護すべく隊員たちが動き出した。ギルベルトは近くにいるかもしれない親も探せと命令を出している。

 裸足だということが引っかかって、エリーアスはギルベルトと共にコートを羽織って基地の外に出ていた。子どもは足が痛むのか泣いている。


「アードラー隊長、医務室に運んでもよろしいでしょうか?」

「いいだろう。俺も行く」


 子どもの脇に手を差し入れてエリーアスが抱き上げた瞬間、違和感があった。泣いていた子どもが、懐から何かを取り出したのだ。

 それが手榴弾だと理解した瞬間、エリーアスはその子どもを思い切り放り投げていた。手榴弾のピンを抜いた子どもはもう泣いていない。ただ死んだような無表情で放り投げられてエリーアスを見詰めている。

 そのガラスのような無機質な目に、エリーアスは死を覚悟した。


「ギルベルト!」


 傍にいるギルベルトの名を呼んで雪の上に押さえ込んで自分が覆いかぶさる。

 爆発音が響いて、エリーアスは意識を失っていた。

 気が付けばエリーアスは医務室に寝かされていた。覗き込んでくるギルベルトがエメラルドのような瞳からぼろぼろと涙を零しているのが分かる。

 その涙を拭いたいと手を持ち上げようとしても、腕が上手く動かなかった。


「気が付いた、ハインツェ先生?」

「私はどうなっているのですか?」


 唇から零れる自分の声が妙に遠く聞こえる。デニスの表情が泣き笑いのように歪んだ。


「左の肩から先と、左の膝から下を失っている」

「あぁ、それで腕が動かないんですね。動かないんじゃなくて、なかったのですか」


 妙に冷静に呟いていると、ギルベルトがエリーアスの身体に縋り付いて来ていた。


「俺を庇って、腕と脚を失うなんて……」

「アードラー隊長の怪我は?」

「軽い火傷程度だよ。ハインツェ先生の身体の下に完全に庇われていたからね」

「それはよかった」


 淡々と話しているエリーアスに、ギルベルトが涙ながらに声を荒げた。


「どうして落ち着いてられるんだ? あなたは、俺のせいで腕と脚を失ったんだぞ?」


 逆にエリーアスの方はギルベルトがこんなに動揺していることの方が信じられなかった。

 腕や脚を負傷した兵士を暗殺部隊として送り込んでくるような敵国だから、子どもを使うような手段を選ばないこともするだろうと思っていたが、子どもだと油断したのが間違いだった。

 エリーアスの中では罪は自分にあった。


「あの子どもはどうなりましたか?」

「助からなかった」

「そうですか」

「エリーアス、あなたは……」


 動揺して泣いているギルベルトを慰めようとしても、手は動かないし、涙を拭うこともできない。


「アードラー隊長は勘違いなさっているようですが、あなたのせいではありませんよ。あなたが手榴弾のピンを抜いたわけでもなければ、子どもを基地に送り込んで来たわけでもない。子どもだと思って油断して近付いた私のミスでした」

「どうして、そんなに冷静でいられるんだ?」


 ギルベルトの問いかけにエリーアスは息を吐く。麻酔が効いているから今は痛みがないが、麻酔が切れたら相当痛むだろう。それもまた、エリーアスのミスで起きたことなので仕方がない。


「私も全線に出て、何人もの腕や脚を切り落として来ました。自分がそうなることを想像していないわけがないじゃないですか」

「俺は、エリーアスを無事に弟の元に返してやりたかった」

「私は、あなたが無事でよかったと思っていますよ?」


 エリーアスの判断ミスに巻き込まれてギルベルトが四肢を失ったり、大怪我をしたりすることがなくてよかった。

 素直な気持ちでそう告げると、ギルベルトの顔がくしゃくしゃの泣き顔になる。


「責任は取る……」

「責任を感じなくて結構です。これは私のミスですから」


 とっさにギルベルトを庇えて、左の腕と脚を失ったのがエリーアスだけで、ギルベルトが軽い火傷程度で済んだのはよかったとエリーアスは思っているのだが、ギルベルトはそれに関して責任を感じているようだった。

 これまでに義肢をつける手術を何件も手伝ってきているし、要領は分かっているので、エリーアスにそれほどの恐怖はなかった。左腕と左脚に関しては、失ったことを惜しむ気持ちもあるが、あれだけ近距離で起きた爆発でそれだけで済んだというのはラッキーだったとも感じていた。


「少し休みたいので、一人にしてくれますか?」


 デニスとギルベルトに言うと、デニスはあっさりと病室を出て行ったが、ギルベルトは動きたくなさそうにしている。麻酔のせいか頭がぼんやりして、エリーアスは眠りかけていた。


「命を懸けて俺を守ってくれるくらい、エリーアスが俺のことを愛してくれているなんて」


 だから、エリーアスはギルベルトの口にした言葉の意味があまり分かっていなかった。目を閉じると、眠りに落ちていく。

 怪我人を暗殺部隊として送り込んでくるくらい余裕のない敵軍だったので、子どもも利用することがあるだろうと疑えなかったのが、エリーアスの甘さであり、ミスだった。

 自分のミスなのだから、ギルベルトは責任を感じることはない。

 何度そう言ってもギルベルトに通じることはないのだろうと思いながら、エリーアスは意識を手放した。

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