今際に、遥かに

ゆでたま

第1話 バベルの地

「おい! 降りろ、混血共!」


馬車の荷台の外から男の声が響いた。

アダンとアリスはそれを受けて、その他大勢の混血とともに荷台から降りた。


数カ月間にも及ぶ馬車での大移動。その間、奴隷である混血は荷台に隙間なく詰め込まれる。

疲弊しないわけがない。

生きていること自体が奇跡だ。

道中、何人もの混血が死に絶え、大移動の道標を残すように死体が捨てられた。


みな、久しぶりに地に足をつける。外の空気の新鮮さに感動する間もなく―――


「さっさと来い!!!」


先ほど、荷台から降りるように促した男の声がまた轟いた。

声の主は青い髪と蒼い瞳を持つ、“蒼種そうしゅ”。その男の瞳の奥からは湧き出すように、青い光が漏れ出していた。


奴隷である混血は、蒼種の男の言いなりになる他無い。

混血の両の手には鉄枷がはめられており、それがある以上、身体の自由は蒼種の男によって握られている。


蒼種の男はその鉄枷を乱雑に引っ張り、混血たちを強引に連れて行く。


アダンはこの場の惨状を見た。

ここがどれだけ不毛で、劣悪だということを。

連れられた先。そこは人が住めるような様相ではなかった。

渇き切った大地。吹きすさぶ寒風。

そんな土地に、一際存在感を主張するかのようにそびえ立つ、一つの建造物。


「光栄に思え! お前たちはこうして“バベルの塔”の建設に貢献できる!」


誰が光栄に思うんだと、心の中で毒づきつつ、アダンはそのバベルの塔を見やった。

それはとてつもなく高かった。雲を突き抜けてもなおも続くその高さ。

限界まで首を上げてもその全貌を見ることは叶わない。


バベルの塔。人類史においてそれの建造は二度目になる。

人間の傲慢さをまたも再現したもの。


「貴様らの仕事は一刻も早く、バベルの塔を完成させることだ! 


アダンは“下らん嘘だ”、と辟易した。


それから、バベルの塔の建設内容を説明された。

混血の仕事はいたって単純。飲まず食わず休まず、バベルの塔の材料である、大の大人でさえ動かすのも難しい大きな岩や巨木を人力で運ぶだけ。

当然、そんなものは―――――――――

死ぬだけだ。


アダンとアリスの二人がバベルの塔の建設に加わってからはや数日が経とうとしていた。

この数日で何人もの混血が死んだ。劣悪な環境かつ、休息もない。

混血が死んだとしても、そのたびに馬車で新しい混血が連れてこられる。そして死ぬ。その繰り返し。

蒼種にとって、混血の命は物でしか無い。


そしてアダンとアリスは、今日もこうして巨大な岩を手押しで運んでいる。


「・・・っ」

「大丈夫か!?」


アリスがふらりと、よろけた。アダンはすぐに駆け寄り、アリスの容態を確認する。

アリスの顔色は昨日からそうであったが、かなり悪い。もう限界である。

食料は雀の涙程度しか支給されない。そして、アリスはまだ幼い。本来であれば、十分な栄養を摂取しなければならない。だが、その体は痩せ細っていた。


「おい! どうした、立て! 今日の分はまだ終わってないだろう!」


近くに立っていた蒼種の監視員がアダンとアリスに対して、声を荒らげる。


「・・・妹を休ませてほしい」

「休む暇なんてあるわけ無いだろぉ!!! 混血に!」


その男はそう言い、持っていた鞭を振るった。


「ッ―――、!」


アダンの背に激痛が走る。アダンは迫りくる鞭からアリスを守ったのだった。


「ハハッ、なんだお前、家族ごっこか?」


アリスをかばうアダン。その光景を男は鼻でせせら笑った。


「家族ごっこ・・・だと―――?」


アダンは男を片目で、ぎろりと睨みつけた。

それはアダンにとって触れてはならない琴線であったからだ。


「あ・・・? なんだ、威勢のいい目つきしてんじゃねえかよ」


男は鞭の先を弄び、こちらに近づいてくる。そして―――アリスを狙うかのように振り下ろした。

だがしかし――――――


それを下す手は、アダンによって制動させられた。


「・・・おい、この手ェ離せや! 汚えじゃねえか!」


監視員はアダンによって掴まれた手を振りほどく。そして男の目は青く、強く発光していた。その目はアダンにとっては見慣れたもの。

異種族を憎悪する目だ。


「ッ! 死ねクソガキが!」


よほど癇に障ったのか、男は腰に携えていた刀を手をかける――――――が、


『おい! 何だお前ら!』


そのとき、何やら騒ぎが聞こえてきた。


「なんだ? あいつら?」


監視員は騒ぎのするほうを見た。

アダンは真正面の男から注意を逸らさずにそれを視界に収める。


そこには赤い髪の兵士が十名ほどいた。

青い髪色を持つ蒼種とは真逆の色の種族―――あれは”紅華こうか”だろう。

アダンは紅華をはじめて見た。

いや、それよりもなぜ蒼種の地に紅華がいるのか、それがわからなかった。


「なんで紅華がこんなとこに来てやがるんだ?」


そしてそれは目の前の男も同じようで、異様な事態だと感じたのか、アダンとアリスを放って、騒ぎの中心へと向かった。


アダンはそれを好機と見た。すぐにアリスをおぶってその場を離れる。

そのとき―――アダンは視線を感じた。

まさか、あの男が戻ってきたのか? と思い、後ろを振り向く。だが、その予感は全く違っていた。

視線の正体、それは青い髪をした女だった。

その女と目が合う。

その女は騒ぎの中心にいる。しかも、紅華の兵士とともに行動をしているようだ。


―――なぜ? 

紅華の人間が蒼種の領地にいるだけでも理解できなかったが、なぜ蒼種の女と紅華が行動をともにしているんだ?、とアダンの頭の中で疑問が止まない。

が、そんな疑問はすぐに振り払った。


アダンは人目に触れない場所―――就寝所の小屋の裏手まで移動する。


「アリス、もうこれ以上ここでは生きていける保証はどこにもない。ずっと機会を窺ってが、それは・・・今だ。アリス」


アダンはアリスの頭を優しく撫でる。


「逃げよう」

「・・・」


アリスは力なくうなずく。


ここの出口は一つしか無い。

普段なら門番がいるが、それは今、紅華の兵士の侵入によって手薄になっている。

ここでやらなければどのみち死ぬ。

アダンはさっそく門の状況を確認し、覚悟を決め―――


「逃げるのかい?」


その時、背後から声をかけられた。


「!」


声をかけてきたのは、さっき見た女だった。紅華の兵士の中に一人だけいた蒼種の女。

きれいな群青色をした髪と瞳。身長はさほど高くはない。顔はどこか童顔だが、その雰囲気から年上のように思わせられる。


「あいつらに告げ口するのか? 俺たちがここから脱出しようとしていると・・・」

「そんなことはしないよ」


その女はどうでもいいように返答した。まるで蒼種とかどうでもいい、とでも言いたそうな身振りであった。


「じゃあ、なんで声をかけた?」

「そのおぶってるのことが気になったんだ。その娘は?」


今は一刻を争う。本当はこうしていることが時間の無駄であるが、アダンはしぶしぶその質問に応えることにした。


「・・・妹のアリスだ。アリスはもう動けない。働けない混血は処分を待つだけだ。だから逃げる」

「そうか・・・。だったら僕たちのところへ来ないか?」

「は?」


それはアダンにとっては突拍子もない提案であった。


「可能性の問題だからだよ。たしかに君たちはここにいても殺される。だけど闇雲に逃げるばかりも死は確実。断言できる。外は厳しいよ」


そう、それもそうなのだ。

アダンは外の世界をまだ知らない。だから生き残れる可能性を概算できない。


「だから着いてこいと? 何が目的だ」

「話す時間がない。実は僕がここで単独行動しているのは結構危ないんだよ。さあ、決めなよ、どっちのほうが生き残る可能性が高いと思う?」

「・・・・・・・・・」


アダンは迷う。目の前の女の目的はさっぱりだ。

だが、その真意を確かめる方法を、“能力”を、アダンは持ち合わせている。


「命の保証は?」

「ない。誰だって死ぬ」


その女はきっぱりとそう言った。そこには確かな重みが感じられた。


「・・・なら、お前のその提案に悪意はあるのか?」

「ないよ。僕は君たちの力になってみせる」


女はアダンに向けて手を差し伸べる。


アダンはその―――蒼種の女から嘘の気配を一切感じなかった。

この女を疑う余地は多い。だが、アダンにとってはそこに嘘偽りがないだけで十分だった。


「わかった、着いて行く。あんたをひとまず信じることにする。名前は?」

「アエ。科学者さ」


アダンは差し出されたアエの手を握る。


これがアダンとアエの出会い。

人類が誕生してから幾星霜。

異族いぞく忌避きひ”によって異なる種族を憎悪し合う世界は、二人の邂逅によって確実に変化していた。

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