第5話 昔の恋は秘めたまま。

「勝った……」

 玄太はすぐさま、プールサイドに倒れている夏菜の元へ向かった。


「夏菜! 夏菜!!」

「玄太、夏菜ちゃんは大丈夫。保健室へ運んで」


 ベッドに横たわる夏菜の唇は、まだ紫色だ。


「玄太、職員室へ行って来るから、夏菜ちゃんを見てて」

「あぁ、わかった」


 玄太は、夏菜の唇にそっと人差し指を当てた。

 

 温かい。大丈夫だ。生きている。


 ホッとした玄太は、衝動的に夏菜の頬にキスをした。

『えっ? 俺、なにを?』

 

 カチャ。そのとき、保健室のドアを開ける音が聞こえた。


「姉貴、おっ、俺、もう帰るから!」

 玄太は慌てて、保健室を飛び出した。

 

 ♢     ♢     ♢ 


「夏菜さん! 大丈夫?」

 かすみ先生の声で、夏菜は目覚めた。


「ここは?」

「保健室よ。玄太が、運んでくれたの。それから、真守君の呪いは解呪したから、もう大丈夫よ」


 そういえば、藤原君の姿が見えない。まさかっ!


「藤原君は?」

「あぁ、あいつ、帰った。薄情よね」


「ケガは?」

「ないない! ピンピンしてるわ。夏菜さんの濡れた服は、この袋に入っているから。今着ている服は、私のね。下着は、未使用のだから安心して。夏菜さん、見かけによらず、おっぱい大きいね」

 いつもと変わらぬ先生の喋り。恥ずかしいけれど、なんだか、ホッとする。


「すみません。なにからなにまで……」

「あぁ、気にしないで。危険なことに巻き込んだのは私だから。ところで、玄太は行基の生まれ変わりなの?」


「えっ?」

「夏菜さん、玄太の胸の中で『お懐かしい行基さま、手児奈てこなでございます』って、呟いていたから。あっ、玄太には聞こえてなかったみたい」


「えぇぇぇぇ――――」

 思わず、顔が赤くなる。先生を、まともに見ることができない。

「ほっ、ほかに何か言ってましたか?」


「ううん。手児奈って、万葉集に歌われた絶世の美女でしょ。凄く男性にモテて、手児奈を巡って争いが絶えなかったって。手児奈はそれが辛くて苦しくて、真間ままの入り江で入水自殺。その話を聞いた行基が、手児奈の霊を慰めるために弘法寺を開いた」


「さすが、先生。詳しいですね」


「まあね。で、ここからは女の勘だけど、手児奈は行基を愛していた。でも、あの時代の僧侶は結婚できない。手児奈は想いを伝えることもできず、片思いのまま亡くなった。違う?」


「その通りです。先生、その話は――」

「もちろん、玄太には言わないわ。夏菜さんも、言わないつもりでしょ」

「……はい。手児奈の想いは、胸の中に閉まっておきます」



 玄太は多分、自殺した手児奈の魂を供養するために仏道修行を続けてるんだろうな。気づいてないみたいだけれど……。 好きだった手児奈が生まれ変わって、そばにいることも知らず。ぐふふ。めちゃ、面白くなりそう。


 かすみ先生は、夏菜を見送るとニヤリとほくそ笑んだ。


 翌日、学校に行くと玄太の周りを多くの女子が取り囲んだ。

 夏菜を抱きかかえたイケメンがインスタにアップされ、それが玄太だと学校中に広がったのである。


 玄太の隣りに来て、かすみ先生がささやく。

「大変ね。転校する?」


 えっ?

 もしかしてインスタにあれをアップしたのは……コイツ⁉ 

 やっぱり、鬼だっ!


 玄太は、力なく項垂うなだれるしかなかった。


            

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る