第8話「……俺はあんたに好かれるような男じゃねえ」

 鮫田と生徒会長の金城との付き合いは、お互い中学生だった頃まで遡る。

 同じ中学校ではなかったものの、鮫田を更生――その言い方が正しいかどうか分からない――させようと、放課後ずっと付きまとっていた。


 彼女の夢が外交官だと言うのは初耳だが、よくよく考えてみると相応しいと思う。

 言葉が通じない相手と会話する。それは鮫田と金城のことを表しているようだった。

 中学時代の鮫田は荒れていて、地元の中学や高校の不良と喧嘩にあけくれていた。今の鮫田は人望のある人気者だったけど、同じ中学出身の僕が当時を振り返ると、厄介者の印象が強い。


 鮫田がむやみやたらに暴力を振るわなくなったのは、三年生の夏のことだった。

 とある事件――言ってしまえば金城が鮫田の喧嘩に巻き込まれたのだ。

 結果、金城の額には大きな傷が残ってしまった。手術でも治せないほどで、鮫田は筆舌しがたいほど後悔した。


「俺はもう、二度と自分のために喧嘩はしない」


 病室で鮫田は泣きながら、金城の手を取って誓ったらしい。

 僕は直接その光景を見ていない。伝え聞いた話だ。

 金城が許したかどうかは知らない。僕は彼女と会わなかった。

 いや、会わなかったではなく、会えなかったと言うべきだ。


 金城冬子が額に大怪我を負った原因。

 鮫田のせいではあるけれど。

 少しだけ、僕も関わっていたからだ――



◆◇◆◇



「久しぶりね、内藤賢悟。そしてそちらは初めまして」


 額の傷を隠すように前髪を長く伸ばした女子高校生――金城。小柄でふくよかな体型。鋭い目つきで不機嫌そうに僕を睨みつけている。

 何も事情を話していない詩織は戸惑っていたけど「えっと。文月詩織です」と自己紹介した。


 僕たちは今、金城の家の近くにある神社の境内にいる。

 放課後に鮫田がここで待つようにと僕たちに言ったのだ。

 しかし当の本人は来ていない。

 空模様は悪く、時間が経ったら雨が降り出しそうだ。


「うん。久しぶりだね。金城さん」

「なるほどね。鮫田くんから聞いた通り、随分穏やかになったんだ」

「まあね。やんちゃは中学で卒業したんだ」


 肩を竦めると金城は「相変わらず、ふざけている」と怒りを隠すことなく吐き捨てた。


「お前のせいでいろんな人やモノが壊れたのに。反省していないの?」

「してないって言ったら噓になるね」

「しているって言っても嘘になるでしょ」

「さあ? それよりどうして僕と文月さんがいるのか、分かっているのかい?」


 詩織の前で余計なことを言われる前に話題を変える。

 金城は「さっぱり分からない」と短く答えた。


「鮫田くんに言われてここに来ただけ」

「僕は知っている。多分、鮫田は君にお別れを言うつもりだ」


 金城の顔色がさっと青くなった。


「……鮫田くんから聞いたの? 私が留学するって」

「うん。抱きしめたこともね」

「あの馬鹿……なんでよりによって、こんな奴に!」


 不愉快極まりない気持ちで一杯らしい。抱きしめたことの羞恥心はないようだ。

 僕は「これでも小学校の頃からの付き合いだから」と髪を触りながら言う。


「君よりも付き合いは長いし濃い」

「それも気に入らないのよ。お前が唆したから、鮫田くんは――」


 金城が言おうとしたとき、彼女のスマホの着信が鳴り響く。

 苛立ちながらカバンから取り出し、画面を見た金城は「鮫田くんだ」と呟く。


「もしもし、鮫田くん……どうかしたの?」


 すぐさま出た金城だったが、徐々に顔色が悪くなっていく。

 今まで黙っていた詩織が「何かあったんですかね?」と僕に耳打ちした。


「……分かった。すぐに行く」


 金城はスマホを鞄に戻して「鮫田くん、病院にいる」と唇を震わせた。

 詩織が「どうしてですか?」と何も考えずに問う。


「バイクにひかれたって。命に別状はないけど、怪我しているみたい」

「えっ……そんな……」


 金城は「そういうことだから」と踵を返して立ち去った。

 残された僕と詩織。


「……どうしますか?」

「ま、病院に行ってみよう。あいつから事情聞かなくちゃ」


 詩織は「鮫田先輩がいる病院ってどこか分かるんですか?」と当たり前なことを訊ねた。

 僕は「鮫田に聞こう」とスマホを取り出す。


「金城に話せたってことは、喋れないほどの重傷じゃないだろう」

「そうですね……当て逃げかもしれませんし」



◆◇◆◇



 僕の推測は半分だけ当たっていた。

 喋られるものの脚を骨折するほどの重傷だった。

 看護師さんに聞いた鮫田の病室に入ると、ギブスを付けた奴が「おう、内藤ちゃん!」と元気良く出迎えてくれた。


 金城はベッドの近くの椅子に座って、はらはらと涙を流していた。

 僕は「大丈夫か?」と寄って訊ねた。


「全治二か月らしい。毎日小魚食べているのに、やわな脚だぜ」

「何があった? バイクにひかれたぐらいで骨折する人間じゃないだろ?」


 詩織は「いや、バイクにひかれたら骨ぐらい折れますって」と手を振った。

 鮫田はしばらく黙ってから「この前の停学、覚えているか?」と僕に確認した。


「ああ。六日市高校と揉めたあれか。二十人病院送りにして、君はぴんぴんしていたっけ」

「あのときの仕返しをされた。バイクに乗った奴らに思いっきり金属バットで脚殴られた」


 想像するだけでも痛い。

 詩織は顔をしかめた。

 金城はますます泣いた。


「あの野郎、走った勢いのまま殴りやがった」

「それは酷いな」

「歩けるまでしばらく松葉杖生活だ」


 金城は「……私、治るまでずっといる」と涙を拭って宣言した。

 鮫田は困った顔になる。


「会長。そんなことをするなって。あんたはこれから海外留学の準備するんだろう?」

「やだ。離れたくない」

「子供みたいなこと言うなよ」

「――だって! これから思い出作ろうと思ったんだもん!」


 金城は拳を握って、身体を震わせて、病室にいた他の患者に注目されるくらい、大声で言う。


「九月には向こうに行く! それまでの間に楽しいことしたかった! 夏休みを鮫田と過ごしたかった!」

「……俺はあんたに好かれるような男じゃねえ」


 鮫田は金城の手を取った。

 自然と見つめ合う二人。


「六日市高校の件だって、うちの高校生が絡まれたから喧嘩したんでしょう!」

「そうだけど、喧嘩した事実は変わりねえ」

「誰かを守るために戦った鮫田くんが、自分のための喧嘩をしないって誓ってくれた鮫田くんが、人に好かれる資格はないって、言わないでよ!」


 鮫田は自分の過去を悔やんでいる。

 金城はそれを知って好きになった。

 だから遠慮し合っているんだろう。


「鮫田。全治二か月って言っていたな」

「うん? 医者の話だとそうだ」

「気合で早く治せ。六日市高校のことは僕に任せろ」


 鮫田は僕に「また無茶をする気か?」と問う。

 その表情は悲しみ以外に表現できない。


「いや。あの人に頼むだけだ」

「もっと嫌なことだろう、それ」

「まあね……すぐ戻る」


 誰の顔も見ず、僕は病室を出た。

 外はしとしと雨が降り出していた。

 病院の入り口の雨がしのげる場所であの人に電話をかけた。


「あの、僕です」

『何があった?』

「友達が大怪我をしました」

『それで?』

「怪我をさせた相手は六日市高校の生徒です」

『何をしてほしい?』


 僕は深呼吸せずに一気に言う。


「仕返しをしてほしいです」

『分かった。数日かかるが必ず実行する。君は何もするな。代償に後で私の仕事を手伝ってもらう。いいね?』

「……分かりました」


 スマホの通話を切る。

 振り返るとそこには詩織がいた。


「……聞いていたのか」

「内藤先輩……あなたは、一体……」


 責めている目ではなかった。

 怯えている目でもなかった。

 ただ真実を知りたいという目。


「詳しい話はできない。でも――」


 詩織が納得できる回答ではないことは分かる。

 しかしこれしか言えない。


「――僕は君が想像するほど、優しい人間じゃないよ」

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