第6話「文月さんにとって、大事なことだから」

 日曜日は大嫌いだ。

 『嫌な人』と会話しなくちゃいけないから。


「賢悟。どうして怪我のことを私たちに言わなかったんだ?」

「……大した怪我ではなかったからです」


 高級という文字を三つ重ねても足りないぐらいのフランス料理店。

 正しいマナーで料理を口に運ぶ、スーツ姿の『男』は僕に質問していた。

 いつもは言葉数が少なく、僕と食事するのは義務だと言わんばかりの態度だった。

 だけど今は違う。それは怪我の具合を聞くとか、身体の心配をしているからだとか、そんな家族みたいな気遣いではない。


「大した怪我でなくとも、きちんと報告しなさい」

「…………」

「分かっていると思うが、泣き寝入りほど損をする行為はない。治療費などいくらでも払える。しかし私にも面子というものがある」


 いつもこうだ。この人は僕を心配したりしない。世間体とか自分のプライドとか、そういうものを大事にしている。見栄っ張りなんだ。だから血がつながっている息子との食事で、店を貸し切るという度を越えた行為をする。


「すみませんでした」

「調べたところ、加害者の女の子と仲良くなっているらしいね。中学生のときより大人になったようだ。それは喜ばしいことだ」


 どうやって調べたのかとか聞かない。

 僕はずっと見張られている。

 自由なんてない。


「賢悟。君はただ生きてくれればいい。危険なことをするな」


 それは僕が『保険』だからだ。


「大人しく生きて、大学に行って、平凡な暮らしをしてくれ」


 それだけがこの人の望み。


「何も思い煩うことはない」


 詩織に『気まずい相手との食事には慣れている』と言ったがそれは嘘だ。

 吐き気を耐えて、胃が痛いのを耐えるけど――胸糞悪くなる。

 だから、日曜日は大嫌いだ。



◆◇◆◇



 家に帰るとソファに『女』が寝ていた。

 泥酔していて、静かに寝息を立てている。

 派手な恰好と下品な化粧。落とさないと肌が荒れるというのに。


「…………」


 僕は黙ってブランケットを掛けた。

 女は少しだけ嬉しそうに笑った。

 きっと良い夢を見ているのだろう。


 せめて夢の中だけでもつらい現実を忘れたい。

 僕がいつも思っていることだった。

 それをあっさり叶えてしまう女が憎らしい。


「…………」


 僕は何のために生きているんだろう。

 嫌な男とだらしない女のためだとしたら――


「……寝よ」



◆◇◆◇



「内藤先輩! どうぞ食べてください!」


 月曜日の昼休み。

 詩織がお弁当を作って教室にやってきた。

 今日は鳥そぼろだった。


「文月さん。作ってくれるのは助かるけど、負担になってないかな?」

「いえ、別になっていませんよ」

「それならいいけど。親とかになんて言っているの?」


 昨日のことがあったから、つい親について問うと詩織は「先輩にお弁当を作るって言いました」と当たり前のように言う。

 だけど当たり前のことを当たり前にできたら苦労は要らない。


「そのときの反応は?」

「母さんは喜んで、父さんは泣いていました。よく分からないですけど」

「もしかして、作る相手が男の先輩って言ったのかい?」

「ええまあ。それがどうかしたんですか?」


 無邪気な目で何の疑問もわいていない詩織。

 僕は「……どうもしないけど」と誤魔化した。


「そういえば、鮫田先輩は? 一緒じゃないんですか?」

「あいつは生徒会長とご飯食べている。生徒会室じゃないか?」


 詩織は「生徒会長と?」と首を傾げた。

 不良チックな鮫田と真面目な印象がある生徒会長ではイメージがつきにくいんだろう。


「鮫田が生徒会役員なの知っているか? 庶務なんだ」

「いえ、初耳です」

「それで知り合いというか、気に入られたんだよ」

「でも会長って女子ですよね?」


 角松高校の生徒会長は金城冬子という。数回しか会ったことないけど厳格な性格をしている。三年生は受験があるので、会長は二年生が務める。つまり僕と同級生だ。


「だから、そういう意味なんだ」

「ええと……なるほど」

「鮫田は昔からモテるんだよ」


 すると詩織は「先輩には浮いた話あるんですか?」とさりげなく心を抉る質問をしてきた。


「ないよ。今までそんな話はない」

「ふうん。そうなんですね……」

「文月さんこそどうなんだ?」


 詩織は「あはは。あるわけないですよ!」と豪快に笑い飛ばす。

 背は大きいけど顔は整っている彼女がモテないのは意外に思えた。


「私、がさつですし。鬱陶しい性格で馬鹿だし。それに背がでかすぎるし……」

「そうか? 僕はモデルみたいで格好いいと思う」


 お弁当のおかずを口に運ぶ。うん、卵焼きが美味しい。

 返事がないと思って詩織を見ると顔が赤かった。赤面症かな?


「どうしたんだ?」

「そ、そんなこと今まで言われたことなかったから……」


 もじもじする詩織。こっちも気恥ずかしくなる。

 話題を変えようと「気になっていたことがあるんだけど」と咳払い交じりに言う。


「陸上部の長距離走を選んだのはどうしてだ? 体力とダイエットって聞いたけど、運動部ならどれでもそれができるだろ?」

「えっと。実は将来の進路のためなんです」

「へえ。もう決めているんだ。どこなの?」


 多分、体育大学だろうなとアタリをつけて訊ねる。

 だけど予想外の答えが返ってきた。


「防衛大学校です」

「…………」

「私、自衛官になりたいんです」


 そう言った詩織は。

 笑顔でも真顔でも無く。

 どこか覚悟を決めたものだった。



◆◇◆◇



「小さい頃から憧れていたんです。だから身長が大きくなるように、毎日牛乳飲んでいました」

「そうなんだ。自衛隊ってきつそうなイメージがあるけど、間違っているかな?」


 お昼ご飯を食べ終えた僕と詩織は、一年の教室がある階のロビーにいた。

 そこのソファに横並びで座って話を聞いた。


「間違っていません。きついというより、苦しい訓練が毎日あるって聞いています」

「それでも入隊したいの?」

「はい。したいです」


 きっぱりと言う詩織は、まるで考えなしで言っているような潔さがあったけど、実際は熟考した上で決めたことなのだろう。それだけの覚悟が彼女にはあった。


「僕は自衛隊のことをよく知らない。だから先入観や思い込みで、間違ったことを言ってしまうかもしれない」

「…………」

「もし、戦争になったらと思うと――怖くないか?」


 詩織には答えにくい質問だっただろう。

 答えられないとばっさり断ったり、曖昧なことを言って迂回してもおかしくない。

 でも詩織は断ったりせず、真っすぐに言ってくれた。


「とても怖いです。人を……殺すって考えると」


 銃弾と爆発の匂いがしてきた気分だった。

 敵兵が倒れる中、傷を負っても次なる戦果を求めて戦う詩織が想像できた。


「自分が死ぬのは、仕方のないことだと思います。そういう道を選んだのは、私だから」

「普通は仕方ないって思わない」

「ううん。そうじゃないと自衛官なんて目指せないです。でも、まだ人を殺す覚悟なんてできてないです」


 詩織の手が震えているのが分かる。


「ごめん。嫌な質問をしちゃったね」

「……いえ。むしろ訊きにくい質問させてすみませんでした」


 震える彼女の手を握ることができなかった。

 僕はあの人たちから生きることを強要されている。

 詩織は自ら人を殺すかもしれない道を選ぼうとしている。


 何も言えられない。そんな資格はない。

 何も触れられない。そんな覚悟はない。

 何も――できない。そんな信念はない。


「あはは。内藤先輩、変なこと言ってすみませんでした」


 空元気だと分かる乾いた笑み。

 詩織はそそくさと自分の教室に帰ろうとする――袖を掴んだ。


「内藤先輩?」

「変なことじゃないよ」


 僕は詩織にどんな感情を覚えればいいのか分からない。

 今だけは誤解してもいい。自分を騙していい。


「全然、変なことじゃない」

「…………」

「文月さんにとって、大事なことだから」


 詩織はちょっと驚いたように目を見開いて。

 それから優しく微笑んだ。


「ありがとうございます、内藤先輩――」

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