【日本 機内 関東上空】

「ノア、起きるんだ。もうすぐ着陸だよ」

 ルーカスは必死にノアを起こす。

 彼は一度眠ると、なかなか起きない。毎日決まった時間に就寝し、決まった時間に起床する。睡眠時間は六時間半。二三時三〇分に就寝し、六時に起床する。それがもう一〇年以上続いている。この睡眠が彼の脳には必要な時間だった。

「ルーカス……僕、今寝てるんです……まだ起こさないで……」

「ノア、ここは飛行機の中なんだ。もうすぐ着陸する。起きて、シートベルトを締めるんだ」

 ノアは不機嫌そうな顔で目覚め、眠い目を擦った。ふと窓の外が気になった。そこは真っ暗闇の中。雲の下。地上は無数の光で溢れていた。

「宇宙だ……」

 ノアはずっと窓の外を眺めている。着陸態勢のアナウンスも彼の耳には届いていない。ルーカスは仕方なくシートベルトを締めてやり、前を向くように促す。寝起きで、されるがままのノアはまるで子供だ。

 機体はゆっくりと高度を下げ、重い体を地面へと近づけていく。体にかかる圧を感じながら、自分は日本へ来たのだと頭が理解した。着陸後、機体は一度大きくバウンドした。そして滑走路を進むように滑ると、動きを止めた。

 荷物を持ち、出口へと歩いていく。まだ眠気が抜けていないノアは、動きがカタツムリだ。

「ノア、降りるよ。足元気を付けて……」

「はい、ルーカス……」

 大きなあくびをし、眠い目を擦り、それでもルーカスについていくノア。ルーカスはノアの手を引いた。いつもなら嫌がることも、今だけは反論せず、黙って手を引かれていた。

 キャリーバッグを受け取り、空港から出る。携帯を取り出し、ホテルまでの地図を開く。

「少し遠いか……。ノア歩けそうかい?」

「……はい……」

 立ったまま、うとうとしているノアを見て思わず笑ってしまった。この状態では荷物を持ちながら歩くことは不可能だ。そう判断したルーカスは、空港前に停まっているタクシー運転手に声を掛けた。

「すみません。ここまで乗せてもらえますか?」

 ルーカスは流暢な日本語で言った。運転手は愛想の良い男性で、笑顔で対応し始める。

「荷物、後ろに入れましょうか。お二人は先にお乗りください」

 運転手は二人のキャリーバッグをトランクへと丁寧に入れると、運転席へ座り、車を走らせた。

「そのホテルなら、ここから一五分ほどで着きますから」

 車は夜の街並みへと進んでいく。車内からネオンが煌めく街を眺めている。

「きらきらしてますね……」

「お客さんはハーフですか?」

 運転手がそう聞くが、外を見るのに夢中になているノアは返事をしない。

「ええ。私はアメリカ人ですが、彼は日本とイギリスのハーフなんです。どうかしましたか?」

「お二人とも日本語がお上手なもので、気になって」

「そうですか。日本語は世界の言語で最も難しいと言われる言語ですからね、習得するのに時間が掛かりました」

「僕は簡単だった」

 今まで外を見るのに夢中になっていたノアが、急に話に入ってくる。

「そうだね。ノアは覚えるのが速いからね」

 他愛もない会話をしながら、目的地へと向かって行く。

「もうすぐ着きますよ。手前に見える大きな建物が、ホテルです」

 運転手が前方の建物を指差す。その先には大きな建物があった。運転手がそう言ってからほんの三分後、ホテル前に到着。窓越しに見える二人の男性。パトリックとパーカーの二人だった。トランクから荷物を下ろし、料金を払う。ルーカスは運転手に一礼すると、ノアを連れて二人の元へ歩いていった。

「捜査長、お疲れ様です」

「君たちもご苦労だったな。連絡ありがとう。おかげでスムーズだったよ」

「いえ、全然。一度チェックインしますよね?」

「ああ。荷物を置いてから、みんなで食事にしようか。それでいいかい?ノア……」

 ノアは再び立ったまま、うとうとしている。その様子を見ていた三人は思わず笑いが込み上げてきた。

「二人はどこに部屋を取ったんだ?」

「俺が二〇一二号室で、パーカーが二〇一三号室です」

「そうか。同じフロアが空いていたら、私とノアもその近くで部屋を取るか……」

 四人は一度ホテル内に入っていく。チェックインを済ませ、部屋へと向かう。運よく、二人の前の部屋が空いていた。もちろんルーカスとノアは同室だ。荷物を運び入れ、カードキーの一つをノアに持たせる。

「ノア、これ失くしたらダメだからね。これがないと、部屋には入れないからね」

「……はい。今から食事ですか?」

「近くの店に食べに行こう。動けるね?」

 静かに頷くノアを連れて、ロビーへと向かう。ソファーには二人の姿があった。

「待たせてすまない。行こうか」

「そうですね。どこに食べに行きます?」

 パーカーがそう言うと、「Fleisch……」と声が聞こえてくる。三人の後ろから眠い顔をしながらついてくるノアの声だった。

「……ドイツ語ですか?」

「ああ。肉が食べたいそうだ」

「ノア、相変わらずドイツ語になるんですね。捜査長も凄いです……ドイツ語が分かるなんて」

「彼と生活して、もう十年以上も経つからね……。慣れたよ。言葉はもちろん、行動も考えもノア自身のことも、特性も、全てを理解しないとノアとは生活は出来ないからね」

 パトリックはノアの横に行き、声を掛けた。ノアの視線は相変わらず下を向いたままだ。

「ノア、久しぶり。ここまで疲れただろう。大丈夫か?」

「パトリック……どうしてここに?」

 半分ほど眠っているノアは頭が働いていないのか、パトリックの顔を見てもまだ、視界にクエスチョンマークが散りばめられていた。

「それはあとで説明しようか。ノア、眠いだろうけどしっかり歩いてくれよ?さすがに担げないからな」

 ノアはパトリックの服の裾を掴み、必死について行く。

 ホテルから徒歩五分ほどの場所に、レストランがあった。四人はそこに入り、角席を選ぶ。

 テーブルの上にあるメニューに目を通すが、当たり前とはいえ全てが日本語だ。

「うわ……全部日本語か……」

「パーカー、気になった物があれば言いなさい。教えるから」

 そう言われて安心したのか、パーカーはメニューを凝視していく。

「僕はお肉が良いです」

「どの肉だ?牛肉、豚肉、鶏肉、どれにする?」

「牛肉……」

 ノアはそう呟くと、テーブルに突っ伏してしまった。三人もメニューを決め、料理が運ばれてくるまでの時間を情報交換へと充てた。

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