変人たちの小話

フレイムハート

煙とメロンパン

 徒歩三分弱を掛けてわざわざ出かける場所がある。住処である小さなアパートには俺ともうひとり、クソ生意気な妹が居るがそいつは大の嫌煙家なのだ。家賃や光熱費を払っているのは俺であるにも関わらず俺は自宅で喫煙が出来ない。我ながら不憫な環境だ。


湿ったアスファルトを踏みしめ、真っ直ぐに公園に向かう道中ふと空を見上げてみると空一面曇が覆っていた。月見には団子、という風習が日本にはあるが月には煙を吹きかけてやるのが俺の風習だ。だがどうやら今日は俺が吹きかけるまでもなく月はその姿を覆い隠してしまっているようだ。


 閑話休題、目的地についた俺は入り口すぐにある指定席と化したベンチに腰をかけ、胸ポケットからライターとアメリカンスピリットのターコイズを取り出した。火を付け大きく吸い込むとそいつは薄暗い口元を照らし、俺が煙を吐き出すと同時に薄っすらとした小さな火種へと変化した。居座るようにぼんやりと目の前に浮かぶ副流煙を眺めていたときだ。


「おや、君のお気に入りは赤マルじゃなかったのかい?」


左手に目線を移すとそいつは居た。


「うるせえ、俺のお気に入りは旨い煙草だ。赤マルもアメスピも同じく旨い。」


訂正してやるとそいつは「そうかい」とどうでも良いことのように俺の隣に勝手に座る。興味がないなら聞くなよ。


「まぁ見ておくれよ、私の先週よりもすごい黒魔術を。この天才の軌跡をリアルタイムで見られるんだ、それも特等席でな。光栄だろう?」

「そうかい」

「マネをしないでおくれ。」


さも興味など無いという体裁を保ちつつ、そいつの手のひらを見る。半分ほど食されたメロンパンが直に乗っかっている。こいつは手がベタベタしたりするのは気にならないのだろうか。


隣のバカがブツブツと何か唱えたと思ったらそのメロンパンは瞬きのうちに一口も手を付けていない、それどころかご丁寧に包装された状態に戻った。そしてその袋を開けてまた食べ始めた。


「ああ、すごいよ、すごいすごい。お前の大食いには感心するね。メロンパン大好きですって俺に教えてくれてる訳だ。」

「いや、そこじゃなくて。」

「手品は一級品だろうよ。プロマジシャンになれるんじゃねーか?」

「手品じゃないが…君の褒め言葉はいつもどこか適当だね。だが素直に受け取るよ、ありがとう。素直なのは私の良い所だ。」

「自分で言うかね…。」


大道芸を見ているうちに煙草の火はフィルターの根の部分まで来ていた。それをもみ消し、もう一本にすかさず点火した。同じタイミングでバカが「所で」と口を開いた。


「唐突だが、君はそうやって寿命を縮めるのが好きだね。マゾなのかい?」

「ガキにはわからないのかもしれないが、煙を吸い込むことで俺の人生はむしろ延命出来ているんだぜ。」

「君は何を言っている。」

「真面目に言っているんだ。ストレス社会だの何だの言われている世の中だ、これくらいの楽しみがなければ心は死ぬ。俺は健康を糧に心を救っている訳だ。」

「じゃあ君は、例えば明日死ぬとなったら、延命をする意味が無くなったとしたら、その排気ガスを口から放出する作業をしなくなるのかい?」



うるせえと小言言ってやりたかったが実際問題これは有害な煙だ。だから妹も口を酸っぱくしているのだろう。嫌な例えに文句一つ言えないのは喫煙者の辛いところだ。


「ああ、吸うね。たらふく吸う。そりゃあもう、医者が見たら卒倒するくらい肺を黒色に染めてやるね。」

「君はやはり変だね」

「お前が言うな」


そんなどうでもいい会話を終え、目線を下に落とすと足元が随分明るくなっている事に気がついた。見上げるといつの間にか雲は何処かへ消え去り、月明かりは俺たち二人のことを見つけたかのように強く光り輝いていた。


「これもお前の手品か?大したもんだ。」

「違うよ。人間が天体を操れるわけ無いじゃないか。」


ああそうかいと適当に相槌をし、そろそろ帰るかと月に煙を吹きかけ、煙草をもみ消した。


「お前も気をつけて帰れよ」

「うん、じゃあね。」


ベンチからケツを離すとほんの少し冷えた。俺は振り返ることもなく公園の出口へと向かう。


「ねえ、お兄さん」


後ろから聞こえる声に振り向くこともなく答える。


「なんだ」

「お兄さんは、例え明日死ぬとしても、またここに来るんだよね?」


何を言っているんだと振り返ると、バカはいつもとはどこか違う不安げな表情をしていた。こいつはいつも変だが、そのギャップにやられたのかもしれない。この時俺は柄にもない優しい表情をしていたと思う。


「ああ、俺にとって喫煙は生きることだからな。」

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