第69話 ステゴロタイマン百合を書いてみよう その2 『良いパンチ』

 腰の入った良いパンチだった。拳が私の顔面を捕らえた瞬間、ぐちゃりと鈍い音がして、頭の奥の方で火花が散るのを感じた。咄嗟に顎を引いて衝撃に耐えなければ、意識を持っていかれていたかもしれない。それくらい良いストレートだった。

「んぐ」

 鼻先がじんじんと痛む。鼻から二筋熱いものが滴り落ちてきて、唇を濡らす。鉄臭い味が口の中に広がる。

 パンチ一発でも、目の前の茶髪の彼女がそれなりに鍛えているのがわかる。小手先だけで打つのではなく、全身で打つ一撃だった。技術面もさることながら、人の顔面に向けて、素拳で思い切りストレートを打つのは、暴力の才能と度胸が必要だ。生中に相手を思いやる気持ちや、自分の拳を傷つけてしまうかもしれないという恐れは、ひとかけらもあってはならない

 この学校には、温室育ちの、運動不足の、うらなりの、お嬢様しかいないものだと思っていたから、こうも見事なパンチをしてくる生徒がいるとは思っていなかった。思えば、格闘技に打ち込んでいるお嬢様が居てもおかしくはないのだが、それはすっかり失念していた。

 どうも茶髪の彼女は「二ノ島」だか「白嶋」先輩と私が仲良くしていたのが気にくわなかったらしい。私を殴る前に、転校生の分際でどうのこうの、身分違いがどうのこうのと言っていた。たしか、昨日の昼休みにすこし話をした黒髪の上級生が、そんなような名前をしていた気がする。彼女はこの私のとぼけたような態度が、気に入らなかったらしい。

 じみじみと良いパンチだった。言い得ぬ情念が籠っていた。その二ノ島先輩のことを、彼女はよほど好きなのだろう。私に見当違いな焼きもちを焼くくらいに。それがわかった。認める。しかし、詰めが甘い。本当に私を打ちのめしたいのなら、顎を狙うべきだった。

 茶髪の彼女は私の目の前で、二発目のストレートをかまそうとしている。

 ぐっと脇を締めて、わずかに息を吐き出す。両脚を踏みしめる。狙うのは急所。がら空きのボディ、正中線上のみぞおちだ。拳を硬く握りしめる。下腹に力を入れる。腰を捻りつつ、地面を蹴って、上体ごと回転させながらコンパクトなフックを放つ。

「うっ」

 彼女は呻き声をひとつあげ、その場にうずくまった。いまのは完璧に入った。しばらく、まともに息もできまい。

「うげええええ」

 一拍置いて、彼女は地面に吐き始めた。まあ、こうなるだろうとは思った。

「そのまま全部吐いた方が良い」

 私はしゃがみ込んで、彼女の背を撫でた。私を振り払う余裕もないのだろう、彼女は私にされるがまま吐き続けた。

 脂汗のにじむ横顔を見て初めて、茶髪の彼女が整った顔をしていることに気が付く。愛らしい彼女に、こんなにも思われる二ノ島先輩は、とても幸せ者だと、私は思った。

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