第20話 ナンセンスな掌編を書いてみよう 『ペットボトル宙泳法』

 俺にはちょっとした特技がある。ほんの少しだけ、空中を泳げるのだ。

 この特技には、空のペットボトルが二本必要だ。ペットボトルは、2リットルの四角いやつが望ましい。まず、用意したペットボトルを一本ずつ両脇に挟む。このとき、ペットボトルはキャップを締めておくのだが、ほんの少しだけ空気を抜いておくといい。そうしたら、身体を脱力させる。イメージするのは、デカいプールにぷかぷかと浮かぶ自分だ。プールじゃなくても、海でも湖でもいい。とにかく、水に浮いている自分をイメージする。想像上の浮遊感をちゃんと感じるようになったら、脇をぎゅっと締める。すると、ペットボトルが潰れた分、浮力が発生して、宙に浮くことができる。これが、俺の特技であるペットボトル宙泳法だ。

 ペットボトル宙泳法における宙泳時間は、ペットボトルを脇でぎゅっと締めていられる時間だ。俺は最大3分間宙を泳ぐことができる。手は使えないからバタ足で移動する。あまり高くは飛べないが、高いと怖いし、事故が起きうるので低いくらいがちょうどいい。

 俺はこのペットボトル宙泳法を家族と親しい友人以外の誰にも見せたことはない。見せびらかす様なものでもないし、成人男性がペットボトルを脇に挟み、バタ足で宙を泳ぐ姿は、なかなかに滑稽なのだ。

 そういうわけで、大学時代にひとり暮らしを始めてからは、ペットボトル宙泳法を楽しむのはもっぱら家の中だけにしていた。会社から自室に帰り、なんとなく空を泳ぎたい気持ちだったら、ペットボトルを脇に挟む……そんな、いつもと同じある日に、事件は起こった。

 部屋の中央辺りをぷかぷかとしていると、なんだか外が騒がしい。しかも、もう夜なのに窓の外がオレンジ色に明るい。なにか妙だなと思って、窓を開ける。俺の住むアパートの駐車場に、なにやら隣人たちが集まっていて。みな心配そうに上の方を向いている。視線を追っていくと、アパートのはす向かいにあるマンションの5階から、煙が上がっていた。

 火の出ている部分をよく見ると、ベランダに人が居るのが見えた。室内を燃やす火とベランダは窓ガラス一枚で隔たれているだけだ。ベランダに居るのは、朝の通勤時に散歩しているのをたまに見るお爺さんだった。逃げ遅れてしまったようだ。

 俺は周囲を見渡した。消防車はまだ来ていない。サイレンの音も聞こえてこない。間に合うのだろうか。そうとは思えない。俺はキッチンに行き、乾かしてあったペットボトルを二本取った。そして、窓際まで行って脇に挟んで、思い切り締めた。左右二本ずづ、いつもの倍のペットボトルが、倍の浮力を生み出す。

 俺の身体がふわふわと浮く。俺はバタ足をして、おじいさんを目指した。

「え、人が浮いてる……」

「なんだあれ……」

 下からどよめきが聞こえるが、無視する。いままでしたことがないほどの全力のバタ足が、思ったより早く俺をおじいさんの元へ連れていってくれた。

「おじいさん! 俺に捕まって!」

 脇にペットボトルを挟みながら、手を差し伸べるのは難しい。代わりに、俺はおじいさんに背中を差し出した。おじいさんは俺の意図を汲んでくれて、俺の背におぶさった。俺とおじいさん二人の体重で、高度がゆっくり下がっていく。俺は降下スピードが速くなり過ぎないように、頑張って脇を締め続けた。

 それから何日か経って、俺は人命救助の感謝状を貰った。おじいさんはすこし煙を吸い込んでしまっただけで無事だった。俺がペットボトルを脇に挟んで空を泳ぐ姿が、SNSで拡散されて一時期どえらい騒ぎになったが、半年もすれば忘れ去られた。

 俺は今日も自分の部屋の中をペットボトルを脇にして浮かんでいる。しょうもない特技だと思っていたが、意外に人の役に立つものだなと、あの日を思い出すたびに思う。

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