第11話 ステゴロタイマン百合を書いてみよう 『スカウト』

「これ、あなたが一人でやったんですか?」

 私が振り返ると、この廃工場の入り口にスーツ姿の女が立っていた。ボブカットにした栗毛と太めの眉毛が印象的だ。女のたれ目がちな丸顔には、やわらかな笑みが浮かんでいる。ふわふわとした印象の外面とは対照的に、女の背筋はピンと伸びていて、立っているだけで体幹の強さを感じさせる。こいつは、やる。私は両手を再び握りしめた。手に付いていた血糊が絞られて、コンクリートの床に滴っていく。

「二十人はいますよね」

 女は足元で伸びている男の頭をつま先で小突いた。男の手元には弾切れを起こした銃が転がっていた。

「二十五人いる。口先は達者だったけど、大したことなかった」

「銃器で武装したヤクザ崩れを素手で返り討ちにしたと? 一人で?」

「そうだ。で、あんた誰? こいつらの仲間?」

「まさか。私は、こういうものです」

 女は懐から手帳を取り出して、開いて見せた。そこには超能力規制庁の記章があった。

「超規庁の役人かよ。そんな風には見えないけど」

「まあ、私は新入りですからね。まだオーラが出てないかも……」

 女は横たわる男たちを時に跨ぎつつ、時に踏みつけつつ私の方に近づいてきた。女は私から2メートルほどまで歩いてきて、そこで止まった。女より私の方が拳二つ分は背が高いようで、すこし見下ろす形になる。

「で、私をどうするつもり?」

「ちょっと、お話をお聞きしたいですね」

「いやだ、と言ったら?」

 私は拳を顎のあたりまで上げて、構えた。女は深いため息をついた。

「そんなつもりはなかったんですが……」

 女はジャケットを脱いで、ブラウスの第二ボタンまでを開けた。そして、腰に提げた拳銃を、ショルダーホルスターごとジャケットとまとめて床に置いた。

「銃、使わないの?」

「ええ、まあ。それより、使い慣れてる道具を使いたいので……」

 女は拳を握りしめて構えた。腰をすこし落とし、脚を肩幅に広げている。

「ふ~ん……そうっ!」

 私は思い切り踏み込み、顎を狙って右ストレートを見舞った。女は瞬時に身を沈めて、私の拳を悠々と躱した。私の右を躱しながら、女も半歩踏み込んでくる。女の動きは、私が予想していた数倍素早かった。しまった、と思ったころには、女の拳は私の脇腹に突き刺さっていた。一度沈み込んだ身体を、脚のバネを使って急浮上させる勢いを利用した一撃。みしりとアバラ骨が悲鳴を上げ、折れる。

「うっ!」

 このスピード、パワー。女は身体能力において、私を遥かに上回っている。どうやら肉体強化系の能力者のようだ。だが、負けてはいられない。私にも私の武器がある。

 アバラが折れた激痛を歯を食いしばって耐え、膝蹴りをかました。女は私の膝を手のひらで受け止めた。脚を掴まれないように素早く引き戻し、軸足を一歩後ろに下げる。今度は、女の腿を狙ってローキックを打つ。女はそれをバックステップを踏んで躱した。

「ふむ、手ごたえはあったのに、随分元気ですね。再生能力者か……」

 女は感心したように頷いた。私のアバラすでに元通りになって、痛みも消えている。私の再生力は、致死傷すら瞬きほどの時間で完全治癒するほど強力だ。根気さえあれば、銃で武装したヤクザだろうが、発火能力者だろうが、泥仕合に持ち込めば確実に勝つことができる。私が肉体強化一本であろう女に負ける道理はないように思えた。

「なるほど。であれば、手加減は不要ですね」

 今度は女が思い切り踏み込んでくる。言葉の通りに、さっきよりもさらに速い。腿を狙った鋭い蹴り。意趣返しとばかりの一撃を、私は脚を上げて受けた。女の蹴りは、重く、硬かった。脛の骨が軋む。

「こいつ……」

 私の額に汗が滲んでくる。女が履いている革靴はただの革靴ではなかった。つま先に、鉄板かなにかが仕込んである。

「最近の安全靴ってオシャレでしょう?」

 女は蹴りを放った足をそのまま下し軸足として、滑らかに重心を前へ移動させてくる。

 次はなにが来る? 蹴りか、拳か。身構える。

 足に激痛が走る。私の右足が、踏み潰されている。反射的に後ろに下がろうとしてしまうが、脚を縫い留められていて、動けない。追い打ちをかけるように、大振りの肘打ちが飛んでくる。私は頭を防御したが、女が狙っていたのは鎖骨だった。硬い肘が柔な鎖骨の中ほどにぶち当たって、へし折れるのを感じる。

 私は女の上品さの欠片もない猛攻に、圧倒されていた。私は身体の均衡を保って居られなくなった。コンクリートに背中から叩き付けられて、息が詰まる。

 女は私に馬乗りになり、右の拳と左の拳で交互に私の顔面を殴った。防御しようとしたが、鎖骨を折られたせいで、片手が上がらなかった。鎖骨が直る前に数発モロに喰らってしまって、脳が揺れる。腕が上げられない。頬骨が砕かれ、顔面がぐちゃぐちゃになっているのがわかる。私の再生速度に匹敵する速さで、女の拳が私の顔を破壊しているのだ。

 朦朧とし続ける意識の中に、冷静な自分が居る。再生能力者として、こうした事態には幾度もあってきた。大抵の人間は考える。殺せずとも痛みを与え続ければ、不死者は屈服するはずだと。だが、私はその辺りに居る生中連中とは違う。

 私は女の拳の軌道をじっくりと見定めた。ここだ、という瞬間に、女の拳に肘を合わせる。

「おっ?」

 女のラッシュが一瞬止まる。その間に、私の顔面が修復され、女をしっかりと見据えた。思い切り上体を跳ね上げて、女に頭突きを食らわせる。女は後ろに倒れ込んだ。

「ああ、くそっ」

 私はやっとのことで女の拘束から抜け出した。悪態ひとつをつき、立ち上がる。もう既に、私の身体に女の蹂躙を受けた跡はない。

「どうだっ、クソ女……」

 私がそういうと、女は自分の顔面を抑えながら立ち上がった。

「んっ。素晴らしい! 骨がありますね」

 女は折れた鼻柱を摘まんで、まっすぐに直した。べきっと音がして、一時閉じた女のまぶたから、一滴なみだがこぼれる。

「なかなか。見どころがありますよ。あなた」

 女は鼻血を垂らしながらにっこりと笑った。顎から滴った血が、女のブラウスを汚している。あれだけ散々私を殴っておいて、女の息はすこしも上がっていなかった。鼻を折られても、けろっとしている。私は女のタフネスにすこし感心した。

「そっちもな……」

 私が構えると、女も構えた。私たちは、また殴り合った。


「ああ、くそ……」

 それからしばらくして、私はコンクリートの床に大の字になっていた。女は私よりも速く、強くて、こちらの攻撃はまともに通用しなかった。私は消耗戦を狙っていたが、いくら殴り合っても、女が消耗する兆しすら見えなかった。私は知った。私が無限の再生力をもった再生能力者であるように、女は無限のスタミナをもった肉体強化能力者なのだと。私は己の敗北を悟った。涙が滲んできて、止まらない。

 私の泣き顔を、最後まで膝を付くことがなかった女が眺めてくる。

「いい粘りでした。過去最高ですよ!」

 女はまたもにっこりと笑って、親指を突き立てた。散々殴った相手への、あっけらかんとした態度に、呆れを通り越して笑いがこみ上げてくる。

「そこで、相談があるんですが……あなたも、超規庁で働きませんか?」

「へ?」

 急な話題の変更に、素っ頓狂な声が出る。

「超規庁は即戦力の職員を募集しています。あなたにお誂え向きな仕事だと思いますよ」

「なに急に。話聞くとかどうとかはどうしたの……」

「正直、ヤクザ崩れをボコボコにした件より、超規庁にとっては強力な超能力者と戦える戦闘職員不足の方が重要なんですよ。だから、スカウトです」

「私、ヤクザをボコボコにする以外もいろいろやってるけど」

「大丈夫、大丈夫。職員の登用には減罪・免罪制度もありますから。後ろ暗い過去があっても、ちゃんと職員になれますよ。私のようにね」

 女は笑って言った。

「どうりで。あんた、堅気の戦い方じゃないもん……」

「で、どうします? 私たちの仲間になりますか? 福祉も給料も結構良いですよ。せっかく力を持て余してるなら、政府を後ろ盾にして使いましょうよ」

 女はまっすぐ私を見据えて、手を差し伸べてきた。私は、数秒悩んで女の手を取った。すると女は満面の笑みを浮かべた。

「そういや、あんた。名前は」

「あっ、言ってませんでしたっけ。私の名前は―—」

 こうして、私は超規庁の戦闘職員になった。これが、波乱の幕開けであったことを、当時の私は知りもしなかった……。

 

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