神様のかたち

祭屋 総一朗

第1話 ヤマクイ

部屋がしんと静まると、ヒイロは窓の外へ目を向けた。外はもういつも通りの暗い宇宙、それが丸い窓の形に切り取られ、見慣れない姿になっている。ヒイロは近寄ると、宇宙を覗き込んだ。

(……!)

丸い宇宙の端に浮かぶ惑星。生まれ故郷の全貌を初めて見たヒイロは目を瞬かせる。

惑星はどす黒い雲に覆われていた。そのどこからも峡谷の尖った頂が突き出して、星全体を歪な形に作り上げている。そこに生きている仲間達はもう雲の下に隠れ姿を現さず、声一つ届くことは無い。生きて、地を踏み空を飛んでいたはずの惑星を出ていく事など、一羽の少年烏にとっては歴史に残る大事件だ。

見開かれた少年烏の瞳に星の光が反射する。ヒイロは大きな翼をもう一振りし、手も額も窓に触れさせると、歪な惑星の全てを目に収めた。

(これが、ヤマクイの姿……)

歪な惑星、ヤマクイは徐々に姿を小さくしていく。空から飛び降りるような速さで離れているのだ。不安が少しの期待に変わろうとしたが、それを嫌がるように、慣れた気持ちがヒイロを窓から離れさせた。

(……宇宙でも変わらないんだ、どうせ)

ヤマクイは窓の縁に埋もれていく。

(別に、いい)


どくん。と、彼の心の臓だけが返事のように波打った。



【惑星名ヤマクイ / 主種族・烏天狗 / 岩石惑星・半径約1250km・自転周期28時間・公転周期200日・最高気温190度・最低気温-180度・大気圧200kPa】




ヤマクイでは一年の内のひと時を除き、一日中鉄の雨が降り注ぐ。雨は烏天狗の黒い翼を重く強くし、また峡谷ばかりのこの惑星に大きな川を作るのだ。

ヤマクイで生きる少年烏のヒイロは、烏天狗の住処である峡谷の穴から、ごうごうと流れる川の音を聞いていた。谷の壁も、雨も川もどこもかしこも重たい鉄の色をしていて代わり映えがなく、遊び道具の屑鉱石や作りかけの壁飾りにすら暇を感じだしたヒイロは、穴の縁でうつ伏せになり、懐の羽毛に顔を埋めながらうつらうつらと水音に耳を傾けていた。

遠くでは他の穴から鉱石を削る音が聞こえる。別の穴からは刀を振る音、訓練しているのだろう風を切る音だ、次いで忙しなく翼を揺らす音が聞こえたと思うと、ヒイロの耳が拾う音達の隅では、小さな烏天狗達が、楽しそうに囀りながらどこかへと飛んでいる。

「もう明日だねえ、ニンゲンが来るの」

「な。皆集まって出発を見られるんだろ。おれニンゲンを近くで見るの初めてなんだ」

「わたしも。それに、キカイっていうのも見られるんでしょ」

「星長の家にもあるじゃん」

「でもわたし達は見せてもらえたこと無いし……」

「明日見られるよ。星長達がそれに乗って、ニンゲンの星に行くんだって」

「星長とマツバ様と、あっ。アオイ様は行かないんだっけ、あとは、」

一羽がええと、と思い出した声を上げたと思うと、「楽しみだね」と誰かが口早に語り、誰かの名前を口に出す事を遮った。

ヒイロは彼らを目で探すことも、睨みつけたりすることもしなかった。どうせ見える場所にはいないのだ。

(別に、聞かれてもいい話だろ)

少年烏は深く顔を埋め直す。ヒイロには親兄弟がおらず、三羽は住めそうな穴に一羽で住んでいた。近くに他の巣穴は無く、ヒイロ以外がここに住めば、水音しかしないこの穴にすぐに飽きて引っ越してしまうだろう。別の峡谷には中が迷路のように入り組んでいる大きな穴や、鉱石が採れやすい場所、川が浅く遊べる場所がある。全てから遠いこの通りは元から烏が少なかったが、ヒイロがとある子だと分かるとすぐに閑散としてしまった。

ヒイロは次第に雨音すらも遠くに感じ出した。瞼の奥に落ち込む感覚を受け入れていると、突然ハッと目を開く。

ギィィ。

そう鉄の歯を擦り合わせる音が、遠くでいくつも聞こえたからだ。

穴の脇に掛けてあった手のひら程の鉱石、細い円柱で、中は空洞のそれに口を付けると、少年烏の高い鳴き声は星の反対まで届きそうなほど大きく響く。次いで鉱石に声を通せば、同じように声が遠くまで響いた。

「五の十五路!二十はいる!」

雨音に負けないよう広がるヒイロの声に、遠くの方、峡谷の間から何羽もの烏天狗が飛び出してきた。全員刀を持ち、ヒイロの叫んだ番地に翼を羽ばたかせている。ヒイロもすぐに雨に降られだすと、仲間烏の後ろを着いて峡谷の間を飛ぶ。

峡谷はもはや壁と言える高さで、頂は雲を突き抜けて姿を見せない。鉄色の壁に挟まれた通りは烏天狗十数羽が大きく翼を広げて飛ぶのに十分なほど広く、彼らの為に聳り立つように道を開ける。刀を持たない烏天狗達は巣穴から黒く勇敢な背中を見送る。不安そうな子もいれば、また出たの?最近多いなと憤っている烏もいる。

雨に降られながら着いた先、烏天狗達は互いに距離を取りながら次々に翼を止めた。一羽が仲間に振り返り、頷く。それからゆっくりと岩肌に近寄った瞬間。

ギイイィィイ!と歯が鳴る。灰色の壁の二十はある場所が破裂したように砕けると、岩肌から鉄蟻が、食い破ったばかりの岩を撒き散らしながら烏天狗へと襲い掛かる。歯を掠めた羽根が舞った。

「出たぞ!」

一羽の烏がそう叫んだ。

烏一羽の頭ほどはありそうな黒く丸い体が何十も連なり、そこから何百もの足が蠢いて岩肌を走る。体を大きく伸ばすと、岩を噛み砕く顎を烏天狗に向けて鳴き叫ぶのだ。

「いつもより大きい!必ず二羽以上で囲め!」

また一羽が叫ぶ。ヒイロと同じくらい若い烏の彼は、星長の家系だけが身に着ける赤い鉱石の首飾りを揺らした。

「十八路までは引いていい、一匹になるまで相手はするな!数で勝ってからだ!」

返事と、四方で鳴く声が合図のように、烏天狗達はその場の仲間と隣り合って飛び出す。ヒイロは、一羽だった。彼が飛ぶのは群れの最後尾、引き際の十八路付近だ。数メートルだけ群れに近寄った先、ヒイロは耳を傾け、わざと岩肌へと近寄った。それから数秒もしない内に離れれば、群れから離れていた鉄蟻が三匹、獲物の代わりに雨を噛み締めながら飛び出してきた。

ヒイロは自分に一番近くまで頭を伸ばしていた鉄蟻が、重力に従った重たい頭を振り上げた瞬間に下へと回り込み、鉄蟻の内側、僅かに柔らかい部位を縦に切り裂く。黒い液体を撒き散らしながら鉄蟻が体を捩れば、他二匹が我先にと仲間の下へ頭を伸ばした。三匹の間を縫うようにヒイロは急降下し、岩肌を蹴って斜めに飛び出す。もう一匹の腹を短く切り裂き、ぐるりと背面に回って足を、それから刀を丸と丸の繋ぎ目へと突き刺す。ギギャッ、そう短く鳴いた頭は、内側と外側の傷に耐えきれず体を残して川に落ちていった。

ヒイロは徐々に力を無くす体から足を離してふわりと浮くと、後ろも見ずに歯の鳴る位置へ、刀を背後へと勢い良く突き刺す。それは大きく開かれた鉄蟻の口を、鉄蟻自身が烏天狗へと向けた勢いと相まって頭の裏側まで貫き、開かれたままの口は黒い液体を吐いて活動を止める。ヒイロは刀を抜かれ落ちていく鉄蟻の体の下をくぐり抜け、もう一匹、腹から大量に液体を流し、体を痙攣させながら峡谷の中へ潜り込もうとしている鉄蟻を見下ろした。もう一度手に力を入れる。

雨音とは違う水捌きがまた一つ流れた。

ヒイロはまた耳を傾け、数を数える。

(……二、三……)

それから仲間達へと顔を向け、彼らが戦っている鉄蟻の数と合わせる。数に差異が無いことが分かると、ヒイロは肩を下ろした。もう数も烏天狗が圧倒的に多くなっている。星長の子が鉄蟻の周りを飛び、伸びた体を別の烏達が一斉に切りつける。最後の鉄蟻が川へと落ち、雨音に負けない水飛沫を上げた。

「残りは!」

星長の子が叫ぶ。辺りを見渡し、それから群れの一番向こう、ヒイロを見つけ、彼の返答を待つ。

「……」

ヒイロは首を振った。

「……残りはいないそうだ!皆良くやった!」

わっと声が上がる。嬉しそうに笑って、その場で出来た相棒達と労いを交わす。

「明日はニンゲンが来る日だ!明日からの編成は前教えた通りだ、数が少なくなる分、連携の確認を怠らないように!」

はい!と返事が重なり、烏天狗達は来た時と打って変わって和気藹々と飛び出す。穴に帰る烏、空へと向かう烏、何羽かは一羽でいるヒイロをちらりと見たが、わざと口を噤んで彼から離れるように飛ぶ。

「朝、絶対に遅れるなよ。お前は惑星の代表として行くんだからな」

雨音ほどの声に、ヒイロはハッと顔を上げた。また遠くから自分を見る烏天狗を見つけ、小さく口を開けた。アオイ、と、幼馴染の彼の名を口にするより早く、アオイは赤い首飾りを揺らしてヒイロと反対方向へ飛んでいった。

「……うるさ」

開いたままの口からそう小さく呟き、ヒイロは刀を持ったまま、アオイとは別の方向へ、自分の巣穴へと翼を羽ばたかせる。

(明日出るまでに、刃こぼれを研いでおこう)

ヒイロは用事を作り翼を急がせる。一羽駆ける道の途中、鉄蟻がいなくなった報告を受けた烏達が、巣穴に戻る途中の烏達を称賛していた。ヒイロは彼らから離れるように、かなり雲へと近付こうと飛び上がるが、丁度ヒイロに気が付かなかった烏達は何てことないような話を続ける。

「今日は多かったな。二十って聞こえたぞ、大丈夫だったのか」

「大丈夫だって。一匹も逃してないし、誰も怪我をしなかった」

「もう出ないのよね?私の巣穴、逆の峡谷だから怖くて……」

「ああ。これでこの辺りも数日は出ないだろ。……いっそ、もっと一気に出てくれれば、しばらく安心出来るのかもな」

「そしたら、ぼくもてつぎたいじ手伝うよ」

小さな烏が拳を握ると、刀を持つ烏達はわざと自慢げに顔をもたげる。

「もっと大きくなったらな。お前なら俺くらい強くなれるぞ」

「貴方が強いんじゃなくて、貴方達を纏めてくれるアオイ様が凄いんじゃないの」

別の烏が笑うと、他の烏達も同意しながら笑った。

「いや俺だって頑張ってるって!なあ」

「そうだよ。そりゃあ、アオイ様の指揮の御かげもあるけど、俺達だって二匹倒したんだぜ。……まあ、アイツは、一羽で三匹倒してたけど」

「え?ああ、……まあ、」

話し声というのは、一度拾ってしまえば強い雨音より際立って耳に届くものだった。


「”神の子”だし。ヒイロと比べるのは違うだろ」


ヤマクイでは数百年に一羽、神通力を得た子が生まれる。

遥か遠く先を見渡す子や、少し先の未来が見える子、手を触れずとも物を動かせる子が生まれ、彼らは”神の子”と呼ばれた。

神の子は過酷な環境のヤマクイで、烏天狗が長い先まで繁栄出来るよう、その不思議な力を揮うのだ。


苦笑じみた声にヒイロは目を細め、さらに上へと、もう雲へ触れようとさらに翼を羽ばたかせる。

「明日からちょっと不安だよな。普通に強い烏とか速い烏は沢山いるけど、あいつは別だし」

「ああまで強いとさ、やっぱ神の子の力って凄くって、俺達とは違うんだなって思っちゃうよな」

「俺達もそういう力があったら、一羽で何匹も倒せたかもしれないぜ」

「はは、かもな。いや、でもあれだけ聞こえるなんて、普段の事考えると俺は嫌だな」

「ちょっと、貴方達」

仲間の少し慌てた声に、烏達はハッと周りを見渡した。辺りでは巣穴に帰って羽の滴を落とす烏達が、空を見上げれば、雨雲が絶えず鉄の雨を落とすだけで、そこにヒイロの姿は見えず、烏達は胸を撫で下ろした。



烏天狗の主食は峡谷の頂上に生えた苔だ。鉄の雨に含まれた水が峡谷の中を伝い、日の当たる雲の上で成長する。たどり着くまでには四百キロはある峡谷を、雲を突き抜け飛んでこなければならない。烏天狗は三つにもなれば自力で飛んで来られるようになる。

太陽が反対に回ってしまった今の時間、一羽の真黒な烏天狗は宇宙に紛れていた。ヒイロは尖った峡谷の上から苔を一掴みすると、口に頬り込む。もう宇宙に近い高さのこの場所には空気が無く、体も軽い。浮かないよう大きな足と爪で岩肌にしがみつき、星に適応した肺で息一つ零さずに寒空の下を生きる。

ヒイロは苔を飲み込むと、先ほどの事を思い出しては、隠す事もせず口を尖らせた。

(うるさい。うるさいうるさい、私だってちゃんと稽古してる)

(私だって一々そんな囀りが聞こえて嫌じゃない訳ないだろ。聞きたくて聞いてないんだこっちは!)

腹立たしそうに耳を塞いだヒイロだったが、それが意味の無い事だと重々分かっており、肩と手を下ろす。遥か遠くまで聞こえるその耳は星の力になり、またヒイロを孤独にする要因にもなっていた。

峡谷に潜む鉄蟻の鳴き声が聞き取れるのならと、自分達の内緒話や秘密も聞かれてしまう。そう分かった烏天狗達は目に見えてヒイロから距離を取り始め、ある日。ヒイロは一羽の烏天狗に聞いたのだ。

「今嘘を吐いたのか?」と。

ヒイロにとっては不自然に高鳴った鼓動の意味を知りたかっただけなのだが、その烏も周りの烏も皆、今まで以上に目の色が変わり、神の子という名前を盾に彼を別もののように扱いだした。要は邪魔者なのだと、目と音がヒイロに訴えていた。いくら取り繕っても、恐れと嫌悪は心の臓として、呼吸、声色、微かな溜息として、ヒイロの耳に届く。

今では神の子に会いに来る烏は星長とその家族くらいで、彼らもヒイロの耳を頼りにした用事の時にしか姿を現さない。

聞こえる範囲を教えれば、聞こえないように囀ってくれるだろうか。だが範囲をある程度明確にしてしまえば、それこそ誰もかれも気味悪がるだろう、この惑星の、烏天狗の住める場所は大抵聞こえるからだ。

(鉄蟻の音だけは聞き分けやすいから、なんて適当に伝えてるけど……星長やアオイは気付いているんだろうな)

(ああそうだ、……アオイもそうだ。聞こえるよ!だからって、普通に話したらいいだろ)

(まあそれはいつも通りだけれど。惑星を出る日が近付いてきたら、いよいよ、いつも以上に機嫌が悪い)

(私は行きたくないし、アオイが代わりに行けばいい。私が行く事だってずっと前から勝手に決まってたんだ。一つだって私のせいじゃないだろ)

空気があれば、ヒイロは溜息の一つも吐いていただろう。代わりにヒイロは顔だけを下げると、足元の遠く、どす黒い雲を、ヤマクイを見下ろした。山頂まで来ると、すぐに聞こえる音は雲の音だけだ。雲の上では烏天狗はお喋りが出来ず、四百キロも離れれば、ヒイロの耳も拾える声は無い。夜の頂でようやく、神の子の静寂がやってくる。

それもあと僅かだった。もう何時間もすれば陽が昇り、明日が来る。明日、ヒイロは生まれて初めてこの星を出る。それはヒイロだけでなく、烏天狗にとっても初の事だ。


ヒイロが生まれる三百年は前。翼を持たない人間という生き物は機械で宇宙を飛び回り、ある日、烏天狗の住むこの星に辿り着いた。人間はヤマクイが太陽を一周する間の一度ずつ星に訪れ、互いの言葉を学び、惑星の名前を、文化を、機械というものを、鉄のように硬くしなやかな羽を教え合った。


今では星長とその家族が人間の言葉を話せるほどになり、とうとう明日、烏天狗は人間の星へと向かう。選ばれたのは星長とその次男、そしてヒイロだ。ヒイロは幼い頃からこの時の為にと人間の言葉を教えられていたので、星長達ほどではなくとも多少は意思疎通が出来るだろう。

話を聞いただけの烏天狗達は、他の星の種族と交流する事を、長の言葉通り素晴らしい事だと沸き立っている。人間から得た知識で烏天狗の刀は硬さと鋭さを増し、新たな苔の栽培を視野に入れ始め、その為の研究や方法を短期間で知りえる事が出来た。烏天狗にとって人間は遠すぎる種ではなくなっていたのだ。が、ヒイロはただただ荷が重いだけだと肩を落としていた。星長によると人間の長もヒイロが来る事を望んでいるようで、元々別の用事で同行する予定だったヒイロにとっては責任が増えたに過ぎない。

(嫌だな。ニンゲンの長と話をするのは星長達だし、私は……、)

(……どうせニンゲンも皆、嫌そうな顔をするんだ)

もう頭も肩も下がり切ってしまうと、ヒイロはようやく時間の事を考え出し、翼を大きく広げた。



分厚い雲の下では陽一つ見えず、朝も夜も同じように鉄の色だった。だがこの惑星に住む烏天狗達は時間を感覚で理解しており、雲の上に陽が昇るだろう少し前、惑星唯一の平地へと烏が群れを成していた。

平地の中心には真っ白で大きな、烏天狗七羽が手を繋ぐような幅があり、高さともなれば十五羽は立つほどの立派な機械が二つ鎮座していた。少し前に雲を突き抜けてきたそれに対し、早くから集まっていた烏天狗達は目を丸くして囀っていたが、今機械近くに集まっている烏ともなれば、機械の傍に立っている人間を訝し気に見るのだ。

「真っ白だぞ。ニンゲンって白いんだな。それに本当に翼が無いんだ」

「あれもキカイなんだって。私達の星に来るには、キカイに入っていないと死んじゃうって聞いたよ」

「じゃあ中身は黒いのかな」

「見たことないよ」

「でも形は似てるね。翼が無いから小さいけど、星長と同じくらいだし……。ニンゲンの星には飛ばない場所に苔があるのかな」

人間の三人ほどは機械の中で作業を続け、残り二人は星長と最後の確認を話していたのだが、楽しそうにしている烏天狗達を見ると、機械、宇宙服の中で不思議そうに笑う。

『何度見ても、この気候と気圧の中生きる烏天狗には驚きますよ。私達の惑星の倍は重たい空気の中、あんなに飛べるだなんて』

『彼らも、貴方方とこの機械を見て驚いていますよ。本当に惑星が違うというのは不思議な事だ』

星長はそう言い、赤い鉱石の首飾りを揺らして辺りを見渡した。星中の烏天狗の群れの中、目当ての烏を二羽見つけ、彼らがこちらに来ているのだと分かると頷く。一羽は星長の子で長男のアオイだ。「確認終わりました、全員揃っています」、そうアオイが告げると、また満足そうに頷く。

アオイは星長の後ろ、今日惑星を飛び立つ弟のマツバの脇に立ち、自分達に手を振る烏天狗へと小さく手を振り返した。ヒイロはその様子を後目に、群れの脇を遠回りして星長達に合流する。研いだばかりの刀を揺らし、少し小さくなった声と羽の音に背を向けた。

「ヒイロ、出発の前に彼らに挨拶を」

「分かってる」

長の一歩前に出、ヒイロは顔の見え辛い機械の向こうに目を向ける。

『遅れて申し訳ありません。この子が同乗する一羽、ヒイロです』

『ヒイロ。ああでは彼が』

『はい。我が惑星の”神の子”です』

表情が見えない分、少し昂った声と手振りが、人間の驚く様を烏天狗に伝えた。

『この子は遥か先の音を聞く事ができ、異常な雨や鉄蟻の群れの襲来を聞きつけ、ヤマクイを守ってくれているのです』

それは凄い、そう言って一番前の人間はヒイロに頭を下げ、自分は他惑星と交流する職の者、”大使”の一人だと名乗る。宇宙服の頭部は一部が硝子で出来ており、雨が滴る向こうで朧気に笑い、それからヒイロに向けて手を差し出した。

『初めまして、ヒイロ様。ミズキと申します。会えて光栄です』

『……初めまして』

ヒイロは宇宙服の硬く冷たい手を握り返し、口で笑った。何も信じていないか、神の子など当たり前なのか、彼らの心臓の音は平穏そのもので、少年烏の手をしっかり握り返す。

『私達の惑星には無い力だ。きっと国長も驚くでしょう。気を悪くさせてしまったら申し訳ない』

握手が終わると、ヒイロはアオイ達の、一歩以上離れた場所に控えた。溜息はどこだろうと聞こえるが、隣は煩すぎるのだ。星長は何言か人間達に伝えると、未だそわそわと翼を揺らす烏天狗達に向き直る。

「私の愛する家族達よ。私達三羽は、これからこの惑星を出て、人間の惑星へと向かう。私がいない間は、アオイが長の代理を務める。何も心配はいらない……そう伝えたい、だが、これから向かう場所は、日の長さも、空気の重たさも違う惑星だ。そして私達は翼ではなく、機械に乗って宇宙を飛ぶ。何もかも違うのだ。ヤマクイに残るとて、不安はあるだろう」

少しだけ羽が止む。雨音が星長の言葉を遮ろうとしたが、長は拳を強く握り、顔を上げた。

「だがしかし。ヤマクイが長く生きる為には、私達は外を知らなければならない。これは愛する家族の為、この惑星の為の、新たな一翔なのだ」

わっと、高い囀りが広がった。翼が揺れ、羽に纏っていた鉄の滴が散り合う。大きな拍手と共に、星長は人間と機械へ振り返った。

『お待たせしました』

『それでは、行きましょうか』

長が頷く。大使は烏天狗三羽を引き連れて大きな機械の前に立つと、ボタンを押した。音もなく開いた扉に、烏天狗達から囀りが広がる。ヒイロも少し目を瞬かせたが、誘導されるがまま星長と次男の後に着き、初めて機械に足を踏み入れた。

(……!硬い、でも、重くない?)

機械の中は少し狭かった。烏天狗三羽と人間二人が立つだけで少し圧迫感があるほどで、奥にもう一つ扉があるが、まだ閉まっている。ヒイロは岩肌と全く違う感触を数歩踏み締め、開いている扉の方へ振り返った。四角く切り取られた群れが翼を揺らして喜んでいたが、危ないからと言うアオイの扇動でかなり遠くへと、機械から離れるよう飛び立っている。長達が彼らに手を振れば、歓声は遠くで大きくなった。

ピー!、そう聞きなれない音が響き扉が閉まり始めると、機械の中にいる烏天狗までもが不安そうに心の臓を揺らす。扉が完全に閉まり切る直前、ヒイロはようやく幼馴染の顔を見た。いつも以上に細く鋭い縦目に、ヒイロは視線だけを俯かせる。

扉は開いた時と同様、何も言わずに口を閉じた。

峡谷の上に似た静寂、そして何か言葉を交わし、機械を操作する人間達。一人が壁に付いた小さな扉を開け、中にある白い機械を三羽へ手渡してきた。白い椀のような形の左右に円柱が付いた機械で、椀からは細いベルトが伸びている。小型の酸素ボンベだと言い、烏天狗達に着け方を教えた。

『今から反対の扉を開けます。そちらはこの星の雲の近くと同じ環境に合わせていますので、空気があまりありません。会話が出来なくなってしまいますので着けて頂きましたが……』

そう言って扉がゆっくり開く。空気が軽くなるのを感じたヒイロは、思わず足元を見た。意思と関係なく浮く体に馴染みを覚える。

(立っている場所は同じなのに。本当に雲の上みたいに軽い。でも、息が吸える)

機械を外から見た姿と同じように白く丸い部屋が現れ、星長達は恐る恐る中へと翼を進める。烏天狗三羽がゆっくり座れそうな程度には広く、丸い窓が四方に三つ、天井から床まで伸びた木のような棚が二つと、長い手摺が全面に取り付けられていた。どれも白く、窓の向こうだけは微かに鉄色が伺える。

『星長にはお伝えしていますが、この宇宙船が宇宙を飛ぶ時、星の破片や他惑星の重力から避けて飛ぶので、あらゆる角度になります。その度に宇宙船内で床と壁の位置が変わると不便ですので、浮いて過ごせるよう、重力が小さい状態になっています。ヤマクイの雲の上と同じくらいです。その為酸素も無いのですが……、事前に確認はしていますが、本当に大丈夫ですか。あと三度は乗っていただきますので、小さな違和感でもあれば、何でも』

星長はマツバとヒイロに目をやり、二羽が頷くと、振り返って自分も頷いた。

『問題ありません。半日程度……確か、十時間でしたか、それくらいなら空気が無くとも難なく過ごせます』

『それは良かったです。私達の星まで丁度十時間ほど……ヤマクイでは、朝から夕刻になる前くらいですね。煩わしければボンベは外していただいても構いませんが、念の為適度に補給していただければ。ボンベは一台で十二時間使用出来まして、予備はそちらの棚に……、』

大使は翼も無いというのに器用に浮いた体を泳がせると、棚を開けて予備ボンベの説明を始めた。一通りの事は先に星長に話しているのだと、そう聞いていたヒイロがする事は別にあった。

『……では、私達は操作室へ向かいます。こちらと若干気温差などがありますので、一応来られない方が宜しいかと。何かありましたらこちらのスイッチを押してもらえれば、そのまま操作室に声が繋がります。ここと、窓の横にそれぞれ付いていますので。離陸、着陸前には声を掛けます』

シュウウゥ、と扉が閉まる。翼も無く泳ぐ聞き慣れない音を聞きながら、ヒイロはそのまま耳を澄ませる。

「ヒイロ、どうだ。今の所は」

「……機械の音がする。変なガサガサした音……別の人間の声。ツウシンっていうのじゃないか。気温と、キアツ?、ノウド、えんじん、……確認してるらしい。緊張はしてるけど、嘘を吐いてるような慌て方はしてない」

「本当に、大丈夫なんだよな……?」

不安そうに翼を揺らしたマツバには、兄のような凄みは無い。それでも見慣れた忌諱の目にヒイロは睨んで返した。

「今まで人間と直接交流してきたのはお前達だろ」

星長はふむ、と機械の上から顎に手を添えた。

「長年交流を続けたんだ。今までにヒイロが不自然な音を聞いた事もないが、念の為だ。彼らに敵意が無くとも星の長は分からんし、他の人間だって分からん。実は丸きり環境が違って、着いた途端死んでしまうかもしれん」

ヒイロが星長に視線を向けると、星長は部屋の隅の棚を開けた。中から白いケースを取り出し、蓋を開ける。中を始めて見たヒイロは目を瞬かせた。

「これ……本物の苔か?」

「私達の星で生えたものではなく、人間の星でこの星の苔と同じ味や成分になるよう育てたものだそうだ。一つ食べてみるといい」

機械の中、そもそも峡谷の上に無い苔にヒイロは違和感を覚えつつ、一つ摘まみ、ボンベを外して口に頬り込む。

「……!」

「見事に同じものだろう」

星長はケースを覗き込むと、無重力に微かに揺れる苔を見下ろす。

「二羽とも分かっていると思うが、私達の惑星では、少しずつ苔が自生しなくなり、鉄蟻が数を増して居住区も狭まっている。ここ数百年、ヤマクイの反対まで飛び他の地を探したり、水を汲んで峡谷の壁で育てようと、私達も手は尽くしている。だが成果といえば、鉄蟻の巣を見つけるばかり。食われてしまった烏も多い。それが人間は、私が生きている間の四十年の中で、こうして私達の命を作り上げたのだ。どれだけ危険だろうと、私達はヤマクイを存続させる為、人間を知らなければならない」

涙ぐむように、星長は目を瞑った。

「この事はもう人間の長に伝わっている。私達が代わりに返せるものといえば、ヤマクイの鉱物程度だが、異なる惑星と交流していくことに意味があるのだと、会合の代わりにヒノクニを、機械や研究を学ぶ事を了承してくれた。ヒノクニが交流している別惑星との交流の話も無事進み、渡る話さえ持ちかけてくれたのだ」

人間と直接話をしてこなかった少年烏は、怪訝そうに眉根を寄せた。

「そこまでは聞いた。それでどうして、私も会う話になったんだ。行くだけならともかく」

ヒイロは星の内部外部関係無く、重要な会合の時には参加するよう言われている。動揺や嘘を聞き分ける仕事だ。悟らせないよう遠くから聞いている為、この事は烏天狗でも知らない者が多い。

「……それだが……ヒノクニには、神というものがあるらしい」

神?と聞き返せば、マツバもはっきりはしない顔で、悩みながら父に確認した。

「ヤマクイとは、全然違う……どう言えばいいんだっけ、凄い存在なんだよね。惑星の全てを救う、とか」

「ああ。前の、その前の星長達にも、その存在が難しく、あまり言い伝えられていないんだ。私も何度か専門の人間に話を聞いたが、文化の話の一つだと思った。その時にはもうこの日の為に割く時間の方が多かったから、深い話にはならなかったが……ヒノクニの芯ともなる話であり、是非国長から経緯を伝えたいと。……とにかく、ヒノクニにとって大きな存在と同じ呼び名をされている者を、見てみたいという事だった。五年前の会合の時だが、その時も怪しい音はしなかったのだろう」

ヒイロは細めた目のまま、自分の記憶を探った。最近はともかく、数年前ならだいぶ知らない言葉が多い。神の子が何かを決める事がある訳でもないので、内容を知らないままの場合もある。とはいえやたらと跳ねたり不自然な動悸を聞いた記憶も無く、そして星長からもそういった音が聞こえなかったので、ヒイロは素直に頷く。

「それで、会ってどうするんだ。遠くを聞いて見せて終わりか」

「……いや、可能であれば、色々話を聞きたいそうだ。他惑星でも見ないものらしい。……もちろん、詳しい話は難しいだろうが」

「……それも、五年前の話か?今初めて聞いたが」

これはヒイロの小さな仕返しだった。思っていた通り星長とマツバは口籠り、残ったヒイロは溜息を吐く。

(どうせ私が嫌がる事は分かってたから、ヒノクニに行った流れで済ませる気だったな。心音の事も今までの聞き耳の事も隠すとなれば、面倒に決まっているのに……。神の子だと何だと言って、結局そういう扱いだ)

どう取り繕った言葉を吐こうとヒイロの前では意味が無く、肯定としか取ることの出来ない沈黙が流れる。

(早く終わらせて、早く巣穴に帰りたい……。二つの惑星に行くというのは、どれくらい掛かるんだろうか)

何も言うことが無くなったヒイロも口を閉ざしたまま待っていると、ピピピピ、と連続した機械音に三羽は驚いて振り返った。スイッチが赤く点滅し、次いで横の四角い機械から声が流れ出す。

『お待たせしました。間も無くヤマクイを出発します。宇宙船内部に衝撃はありませんが多少揺れますので、棚や手摺にお掴まりください』

三羽は顔を合わせ、言われるがままに手摺を握る。ヒイロは窓の側の手摺に寄りかかり、少しすると、手摺から伝わる振動で、宇宙船が揺れているのだと分かった。宇宙船の外からだろう音が、およそヤマクイでは耳にしない低い爆発音が響き出し、ガタガタと棚が振動する。次第に音はさらに低く、足元から唸り出し、頭だけが揺れるような感覚に烏天狗は驚いて辺りを窺った。部屋ごと動いている感覚があるのに辺りはびりびりと揺れているだけで、不自然な感覚にマツバは気分を悪くする。

「これ、本当に大丈夫?、なあ」

「出発前はかなり揺れると、言っていただろう」

そう言いつつも、二羽はヒイロの様子を窺う。気が付いたヒイロはすでに人間の部屋へと耳を傾けていたが、変わらず緊張だけの心音に、あえて口を噤んだ。

数秒か、数分か、やがて振動は収まり、音だけが足元から唸っている。それも少しずつ小さくなり始めた。また機械音が鳴る。

『離陸成功しました。約十時間後の着陸時にお声がけしますので、どうごごゆっくりお過ごしください。―それでは、』

ヒイロは、少し離れた部屋から、機械の向こうからも聞こえる声音と動悸が落ち着いている事に気が付き、ようやく手摺から手を離した。


『これより、我が惑星、ヒノクニへと向かいます』


言葉と音が途切れる。

部屋がしんと静まると、ヒイロは窓の外へ目を向けた。



二度と帰ることのない惑星の姿を、目にするのだ。

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