第33話 母の名前は
ひさしぶりに顔を見せたルネは、いたずらっぽく笑いながら『しばらく向こうで見ています』と合図を送ってきた。
女王は手伝ってほしいと思いかけたところで、それを改めた。
従者が目の前にあらわれるまで気づかなかったのは、不覚にほかならないと自覚したからだ。
この旅はヒノカとふたりで出発したもの。後日ルネが追いかけてきたことに気づいたのだが、そのときもなかなか姿を見せなかったものだ。
気取られていると知りながらも呼ばれるまで待つ……実力あるふたりならではの戯れ。
ルネは女王の心が大きく乱れていると見抜いた。そして自らの力で乗り越えるべきだと考えているのだ。
「……ありがとう」
ちいさくつぶやき、気持ちをふるいたたせる。おひねりの受け取りを手早くすませ、泣いている少女に声をかけた。もちろんヒノカを連れて。
「こんにちは。来てくれてうれしいです」
「ぐすっ……うん」
「私は、一座の座長でエルミーナと申します。こちらは共の者です」
「ヒノカや。また会えたな」
「あたしはソニア……」
ソニアは涙をぬぐうと、昨日に負けないほど目をかがやかせた。
「やっぱりすごいね……最後にもう一度みられてよかった。おひねりは……持ってないけど……」
「あはは! 昨日のぶんでお釣りがくるってもんやろ」
ヒノカの言うとおり、金のインゴットだったのだからお釣りどころではない。
大金を手にしたことのない彼女は、金銭感覚を維持するため『持たない、見ない、触らない』と昨夜から誓いをかけたほどだ。
よって今は女王が預かっている。
「え、えへへ……」
「……つかぬことをうかがいますが、ウワサになっているバレンノース公のお孫さんとは、あなたのことではありませんか?」
「……あはは、旅の人にも知られちゃってるんだ。その話」
ソニアはつらつらと話しはじめた。
「しかもあたしのことだとわかっちゃうなんて……って、あなたたちにはそう思われてもしかたないか」
「ええ。昨日いただいたものを見て、もしや……と思いまして」
「びっくりさせてごめんね。でも、本当に感動したから。もう二度と外には出られないかもしれないから……だから――」
「いたぞ、あそこだ!」
衛兵がこちらに向かって走ってくる。まるで昨日のゲオルと同じような状況……しかし今回は助けるべきだ。
公爵の孫に仕立てあげられたこと、おそらく本人の意志ではない。そんな直感があった。
「逃げましょうっ!」
「お、お嬢!?」
「わわわっ!」
女王は、ヒノカとソニアの手をとって走り出した。
「あ! コラ、待て……うおおっ!? すべる――!?」
ルネが援護してくれたのだろう。追手の気配がちかづいてくることはなかった。
道ゆく人々をかきわけ、かきわけ、宿屋までたどりついた。
「ソニアさん、とつぜん連れだして申しわけありませんでした」
「う、うん。びっくりしちゃった」
「ウワサの件で、お話を聞きたいと思っていたのです。内密にしますから、どうか……」
「ちょい待ち。ウチもお嬢から聞きたいことがあるんや。忘れてへんやろな」
「もちろんです。その話もするつもりですので……」
部屋の鍵をかけた女王は、ふたりに向かって語る。
「ソニアさん……あなたは公爵のお孫さんではない。そうでしょう?」
「っ!」
瞬間、ソニアはぴくりと反応した。顔もみるみる青ざめていく。
ゲオルの言葉をそっくり信じたわけではない。そう推測する理由が他にもある。
「どうか落ち着いて……咎めるつもりなどありません。ただ、あなたはおっしゃいました。『二度と外には出られない』かも、と」
ためらいながらも頷いたのを見て、尋ねる。
「誰かに強制されているのですか」
「どうして命令だってわかるの……?」
「もし本物の孫娘が名乗りをあげたとしても、信じてもらうことは難しい……擁立する者が必要です」
「……うん、そうだよ。ソモンって人が来て……いろいろ教えこまれて……今日、公爵様の城にいく予定だったの」
「そうですか……いろいろと教わりましたか」
これを利用しよう……少々強引だが。
「……実は私、バレンノース公には少々くわしいのです! あなたが教わったという知識を試させてください」
「へ?」
「ん?」
「あの方の孫になりきって、答えてくださいね」
わざとらしいと自覚している。ふたりの面食らった顔からもわかる。
それでも自分を鼓舞させるため、あえて道化のようにふるまう。
「お嬢、なに考えて――」
「どうかお付き合いを……お願いです……」
「……わかった。好きにせえ」
懇願するように聞こえたのだろう。ヒノカは了承してくれた。
「第一問。バレンノース公の名前は?」
「レオ・ヴィ・バレンノース」
「正解です」
領主の名前は多くの人が知っていて当然。序の口の質問だ。
「第二問。あなたの母は子供のころに大けがをしたことがあります。原因はなんでしょう?」
「えっと、馬に乗ってるときに落ちちゃったから」
「落馬……そのとおりです」
そんな調子でいくつか質問をなげかけたところ、ソニアはすべて正解した。『教育』は行き届いているようだ。
ならば最重要であるこの質問にも答えられるはず。
それは『ヒノカにも尋ねるはず』だった問いであり、女王がためらっていたものだった。
「……最後の質問です。あなたの母親の名前は?」
「リア・カチ・バレンノース」
「っ!?」
「……正解です。ヒノカ、あなたは……どうですか?」
「ウチは……って……」
「ヒノカのお母様の名前を……教えてください」
「リア・カチ……お父ちゃんは苗字がないって……そのまま……」
「ヒノカさん……それってまさか……」
リア・カチという珍しい名前。
苗字のない父。
駆け落ち。
予想も、覚悟もしていた。それでも心に重いものを感じずにはいられない。
女王がもっとも懸念しているのは、ヒノカが『祖父』のもとに残ることだった。
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