第30話 鉄拳制裁

 ルネの目はかつてないほど鋭かった。天を衝いた怒号とは裏腹に、音をたてず一歩ずつ……ゆっくりとマカザの前へ歩く。


「おい女、そこまでだ……止まれ」


 騎士のひとりが声をしぼりだしたものの、目が合うなり一歩二歩と退いてしまった。


「うう……っ」




「マカザ……!」

「うゲっ……」


 彼女が首をつかんでも、もはや止めようとする者はいなかい。ひとりのメイドにたじろぐばかりの貴族と騎士たち……異様な光景だった。


「た、たすけ……て……」


 マカザは体に力がはいらなくなったか、首にかけられた手を支えに、半ばぶら下がった状態だ。




 女王は知っている。ルネの力ならば喉をにぎりつぶすことも可能だと。そしてそれを決して実行することはないと。


「……わたしにいやらしい視線を向けるのはいい。わたしのことをどう言ってもかまわない。でも、女王様を……そうだと知ったうえで侮辱するのだけは許さない」


 わずかに声を震わせながら、ルネは手を離した……


「昔のわたしだったら、あんたの命なんてどうにでもしただろうね。だけど今は……女王様に仕える今は……ちゃんとした裁きにかけさせる。もどかしくて仕方ないけど、わたしはあのお方の従者だから」


「ルネ……」


 彼女の気持ちは察するにあまりある。女王として、その忠義に報いなければならない。

 だが――




「ハハッ、ハハハハ! なら俺ちゃん助かるじゃん! おじちゃんが俺ちゃんを裁くなんてムリムリ!」


「いや、その……女王様のご命令とあらば……やらんことも……」


「へー! じゃあ聞くけどさ、俺ちゃん悪いことしたの?」

「うむむ……」


「フン、メイドもえらそうに。ようするに度胸がないんだろ。ホラ気に入らないなら殴ってみろよ、その代わりただじゃすまないぞ?」




 助かったとみるや強気に変わるマカザ。言いよどむコルン公。もはや自身が語るほかない。女王は星剣を地面につきたて、一喝した。


「静粛に!」


 うやうやしくひざまずく者、いまだ動揺を隠せぬ者、余裕の笑みを浮かべる者……全員がこちらを見ている。


「マカザ。欲望のために若き女性をさらおうとは言語道断。見過ごすことはできません」


「はい証拠だして、今すぐ」

「そうだそうだ。証拠を出せ証拠を!」




「……ルネ、小屋から彼らを連れてきてください」

「ただちに」




「ゲッ!」


 野盗たちがぞろぞろと現れると、マカザの顔は青くなっていった。


「あなたたちに指示を出したのは、この男に違いありませんか?」

「間違いありません!」

「昔からのお得意様ですぜ!」


「待てよ! そんな汚いやつらの言うことを信じるのかよ、俺ちゃんよりも!?」


「黙りなさい。この期におよんで言い逃れを――」


「ワアアアアこのガキィィィィ!!」




「無礼!」


 マカザは短剣をぬいて襲いかかってきた、が――

 うめき声すら許さない速度の鉄拳が、彼の顔面にさく裂した。水車のように、全身がぐるりと回転するほどの威力だった。


 ルネが『ほどほどに本気で』人を殴る光景を見たのは、訓練をのぞけば実に久しぶりのことだ。

 あっけにとられる皆をよそに、本人は涼しげな表情で手をふいている。


「はあ……ちょっとすっきりしたかも」






「では改めて……マカザ、ならびに共の者たち。以前よりコルン公がその悪行に頭を悩ませていましたが……ここまでです。コルン公、こちらへ」


「は、はい……」


「この地方を治める立場にありながら、彼らに甘い対応をつづけ、野放しにした責任は重大です。おわかりですね?」

「もうしわけございません……」


「マカザたちを裁くのはあなたの役目。ですがそのまま任せるわけにいきません。こちらで監視をつけさせてもらいます」

「か、監視……でございますか?」


「ルネ。近隣の有力者へ応援要請を。そして人員が到着するまでは、あなたが余罪の調査をやっておあげなさい」


「……! よろこんで」


 これが女王なりの、ルネへの回答だった。彼女が託す『ちゃんとした裁き』の一助に。


 あとはコルン公にしっかりしてもらうだけだ。






「こ、このメイドが調査を?」

「彼女の能力は保証します、よいですね?」

「か、かしこまりました。女王様のご命令とあらば……」


 深々と頭を下げるコルン公。マカザの件はこれでよし……そしてもうひとつ、女王には言うべきことがあった。


「ところで、書状を届けた者はどこに? 姿が見えませんが……」


「はい、野盗の一味だということで、ただちに牢へ入れてございます」


「……その機敏な対応を、マカザたちへも『公正に』行えるよう期待します」


「き、肝に銘じまする……!」


 これだけ念を押しておけば、コルン公はしっかりやってくれるはずだ……




「彼が悔い改め、私たちを救ったことは書き記したとおりです。処遇について一つ提案が――」








 翌日。

 女王の計らいによって宿屋の主人が返ってきた。かねてより治安の悪かった近辺を開発する。そのための『宿泊所』を提供して罪を償うのだ。

 数日もすれば、人が集まってくることだろう。何年もかかる大仕事だ。




「女王様とはつゆ知らず数々の無礼……どうかお許しください」

「いいえ、どうかお気になさらず。それよりも、ナタリーさんのほうはいかがですか?」


「はい。『もうすぐ』だということで……今はお医者さまもついていますから」

「そうですか。では、元気な子が産まれるよう祈っています、とお伝えください」

「あ、ありがとうございます! きっと喜びます」


「あなたがたの勇気と愛情、そして強さ……学ばせてもらいました。では、名残惜しいですが……まいりましょうか」

「どうかお気をつけて」




 道中、ヒノカがきりだした。


「お嬢、ルネの姐さんには行き先を伝えてあるんか? もう何日か、かかるやろ?」

「もちろんですよ」


「それならええわ。んー、次はバレンノース地方か……なんだか懐かしいなあ」




 ヒノカと出会うきっかけになった事件……『西の名君』バレンノース公の側近が起こしたものだ。

 先日、月夜がなつかしいとふたりで話した。今は旅立った日の青空が思い出される。


 あのころに想像していたよりもはるかに楽しく、充実した旅であった。

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