これまでのこと

一盃口

第1話

 発達障害持ちで、他者への共感性に著しく欠けるというカミングアウトはしましたが、人を一方的に励まし続けることは良くないと思うので、軽ーく僕の黒歴史をまとめます。珍しく嘘ついてないです。(信じるか信じないかは(ry

 改めてですけど、僕は18で浪人生活中なので、青春のやばい時間は多分超えたと思います。

 

 こうして、小中高、クソみたいな、それでもある程度救いのあった生活をしてきました。まあ、結局病むときは病みました。硝酸、小6、高一〜高二がヤマでした。

 硝酸なんて、ほんとに頭から硝酸かけられるような……自分にとってはそれほどの挫折を味わいました。

 小6は、強い孤独感が一番広かった。

 高二あたりでは、いくら精神が侵されても大丈夫だった身体を壊して、ついに僕は、自身の身体にまで影響を与える心を変えよう、そう思いました。


 硝酸の頃は、放置プレイ。親は僕の精神がどれだけ後々異常をきたすようなる、など考えもしませんでした。

 小6。被害妄想に侵されて、実は無害な孤独なのに死にたいと親にほざいたらヒステリーを起こされて、以降積極的自殺とリストカットはほぼできないだろうと確信。ただひたすら、通りの車が僕の歩く歩道に突っ込まないかなぁ、と希死念慮。消極的自殺は可だろうと解釈しました。


 中学は安泰。まあ、三年の頃に、妄想を起こし過ぎて周りがほぼ敵に見える程度のことはありましたが、爆発はしなかった。

 高一から。ある程度の三流進学校に入ったから大丈夫かと思ったら、ガキはガキで、結局、「脳みそ空っぽ」(まあこれは主観的な悪口です)でして、さらに僕のダチが(これがみつきです)《《ちょっと、ちょうど》悪口を言われていた(みつきが喋るとその声があまり良くないのを聞いて笑い出すアホがいました。ちなみに、ハブきもなかったし、手も出なかったですので、暴力の対象というにはまだ足りなくて、ただの笑い者でした。そして、本人はそのことを知らなかった)ので、このクソクラスから抜け出して、クラスの敵になるのはさぞ気分が麗しいだろう、と思い、消極的にクラスを避けるようになりました。

 彼は、自分よりも強固な精神を持ち、孤独を貫いていたので、その姿にとても僕は心酔しました。

 ついにその嘲った態度をクラスに堂々と表明することはなく、一年のクラスは解散になりました。元々友達だったはずの何人かに、みつきをあれこれ言うのは止めて、と言いはしましたが、却下され、誰も行動しない。まあ、いじめじゃないですからセーフと言ってあげられなくもないですが、ね。

 この呪詛のような感情は、今も時々発動します。でも、そんなに汚いものは見ないから……ということで今は眠ってます。

 それと同時に、女子の方が数が多かったコーラス部で、クラスでもこのように浮いてるんだから、こっちも嫌われるに違いない、という判断で、あなた達が僕を嫌いなら、僕をやめさせても構いませんよ、という言葉をグループLINEで言った。その中で、こいつは特に自分のことを嫌ってるんだろうな、と思うやつに、クラスで嫌なことがある度にLINEで八つ当たりをしまくった。

 現実を言えば、コミュ力のない自分が部で浮くのが耐えられなかった。しかも、彼女らは、あのクソクラスのような連中じゃなく、単にいいヤツだった。自分は自分が彼女らに何も張り合う所がなく、どうしても恥ずかしい足手まといになった。歌もリズムも取れない自分で。今もコンプレックスは続く。しかし、偏差値マウントがこれからは取れるような所に行くつもりだから大丈夫。


(そういえばですけど、僕って自分の過大評価は絶対に許されない、という脅迫心があるので、自分を悪く言う表現はよくあります。今回の偏差値マウントの場合、僕のタブーである行為には該当しないようになってます。別に偏差値の数値なんかで自分を誇示しようなど思いません。常に相手よりも知識が上である、という自信と、「そんなこと知ってるなんてすごいね」と言わせないくらいのささやかな鷹の爪。)


 高二は回復期なので飛ばします。


 


 ちょっと実はこっちが主題なんですが、色々、最近の若者はデリケートなので、結構タブーな語が多いです。

 がんばって、が一番ですね。心がキツいときは、それでも私は死地へと歩かないといけないの? と感じます。

 あと、僕がトラウマになってるのは「反省」です。DAiGoや古市氏が話していて炎上しましたが、僕はあの気持ちはよく分かります。反省なんて、もう人に求めることは不可能です。

 後で自爆するハメになるとは本人は思わなかったようですが、「ごめんなさい」、「申し訳ありません」、は挨拶です。とりあえず言っとけ、という。スクランブル交差点で人とぶつかって、「すみません」と舌打ちまじりに出てくるような、意味を失った言葉です。だから、悪い人も、悪くない人も、とりあえず炎上したら、相手の怒りを六秒間すみません、ごめんなさい、で気を反らす。

 自分の非を内面的に認めて謝罪するなんて行為はもうこれからの時代、相手に強制させることはできません。きっと、僕も炎上して謝罪するときに、ここでこういう発言してたから謝る気はないだろ、と非難されたら返す言葉はないです。


 無差別な攻撃の言葉が怖いから、ちゃんとこの怒りを鎮めないと商売に影響が出るから、謝罪するんです。学校の反省文も、謝罪文書も全部同じです。

 こうして、内面の回顧という謝罪は消えていくんです。

 『反省させたら犯罪者になります』という新書がありまして、あれにも感銘を受けました。あ、あれから引用しまくった『ケーキが切れない非行少年たち』が大ヒットしましたが、あれはもろに障がい者差別を煽ってるので、彼らは危ない、ではなく、何とかして助けたい、という方向に読んでくださると助かります。

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