第230話 たまご

 夢のたまごがころりと転がる。

 真っ白でとても軽くて、だけど簡単に割れることのない丈夫なたまご。

 夢鳥が産むそのたまごはとても不思議で、それを手に入れることが出来れば幸せになる事が出来るんだと、誰もが口を揃えてそう訴える。

 たまごのなかに詰まっているのは、幸福になるための夢の形だ。

 だからこそ人々は、そのたまごを欲しがり手を伸ばすのだろう。

 塀の上に置かれた一個のたまご。

 それを手に入れるために彼らは、常に醜い争いを続けていた。


 夢鳥はとても美しい鳥だった。

 大きな翼は虹色に輝き、その羽が大きく風を切る度、仰がれた空気が軽やかな音色を奏でる。

 決して小さな体躯というわけでは無いはずだが、何故かその姿を見ることは難しく、時々落とす虹色の羽を見つけられれば幸運だと言われるほど遭遇するのは難易度が高い。

 ただ。一年に二回だけ。

 そんな夢鳥が人々の前に姿を現す日があった。

 その日は国を挙げての祭が催される特別な日。たった二つしか無い季節が切り替わる、とても重要な意味を持つ日である。


 この国には、古くから伝わる言い伝えがあった。


 昔々、世界には四人の神様が存在していた。

 二人の男神と二人の女神。彼らは血のつながりこそは無いが家族のような関係で、互いに尊敬し信頼しあっていたという。

 そんな彼らの能力はそれぞれで異なっていた。

 それは、彼らに授けられた特別な能力で、その力を使い、彼らは入れ替わるようにして自分たちの管理する世界に生きているものたちの生活を導いていた。

 何故そんなことをするのかと言うと、その理由は至極単純なものだ。

 彼らが普段棲まうのは此処とは異なる世界にあり、この世界に留まることの出来る神は一人だけしか存在出来ない。彼らにとってこの世界とは実験場のような箱庭でしかなく、与えられている限られた時間を使いながら、創り出した命がどう形を変えていくのかを観察する。ただそれだけが目的だったのである。

 彼らの能力は数というものにより定められた時間と言う概念を四つに分けて発揮される。いつしかそれらは四季と呼ばれ、命あるものはそれに順応するようにして生活を営むようになっていく。

 命を育むには四人の神の時間を全て束ねて丁度良い結果が得られるという実に絶妙な具合で、だからこそ彼らは協力関係を崩すことが不可能だった。

 一つでも欠落してしまえば求めうる最大限の結果を導き出すことは難しい。

 だからこそ、彼らは互いを信用し、信頼するしか無かったとも言えるだろう。

 だが。幾らそれに納得をしたからと言って、完全に感情が消えて無くなるわけでは無い。

 仲が良かった四人は次第に、考え方の相違により互いに不満を感じるようになった。

 何故、自分にこの能力が授かったのか。

 何故、世界に介入できる時間が限られているのか。

 何故、この能力を手に入れることが出来ないのか。

 何故、この神はこんなにも命に愛されているのか。

 それぞれに定められた役割を忠実に果たしているからこそ、必然的に課せられた役割。それは必ずしも彼らが望んで得たものでは無く、そうなるようにと仕組まれた結果論。

 実験場に存在する限りある命とは異なり、四人の神に与えられている命は永遠に近いもので。余りにも長いことそれに就いていたせいだろうか。彼らは段々と相手を思いやるという心を忘れ、己の自我に忠実に動くように変わっていってしまった。

 彼らは決して平等では無かった。

 だからこそ彼らは欲したのだ。

 箱庭の中身を自分だけのものにしたいという欲望。

 誰かと分け合う事に対しての不満。

 いつしか彼らは互いの様子を探り、牽制し、相手の存在を消すことだけを画策し始める。そして始まった争いごとは最悪な状況へと展開し、箱庭の平穏は一瞬にして奪われてしまった。


 この醜い争いは随分と長い間続くことになる。

 その間、箱庭から平和と言う概念は完全に消え失せ、代わりに不安と恐怖が世界を支配した。

 そこに生きるものたちは常に怯え、疑い、騙し合う。酷いときは他者の命を奪う事も躊躇わないほど秩序というものが欠落している状態。少しずつ狂い始めた均衡は、やがて大きな亀裂となり歪に歪み始める。

 そうして気が付けば一人の神が命を落とし、一人の神は絶望を抱きながら姿を眩まし、傷付いた二人の神だけが残ったのだ。


 二人の神は互いに譲りたくはなかった。

 もう少し耐えることが出来れば、箱庭の支配権を完全に己のものに出来る。

 それが分かっているからこそ一歩も引くことが出来ない。

 だが、彼らも薄々感じてはいた。

 この世界を正常に保つためには四つの力が不可欠だったという事を。

 それぞれに定められた運命は、何も悪戯に与えられたものというわけでは無かった。

 箱庭の管理者という権限を与えられた神ですら、それを動かすための歯車の一つにしか過ぎない。

 均衡を失った世界は、彼らが何か動きを見せる度、少しずつ崩れ壊れていく。

 これ以上は箱庭が持たない。そう判断したところで漸く、彼らは争うことを一度止めようと口にしたのだった。


 彼らが改めて箱庭の中に目を向けると、世界は随分と荒廃し赤く染まってしまっていた。

 あれほど緑で溢れ穏やかだった時はどこにも無く。酷く窶れ痩せこけた餓鬼のようなものたちが情けなく蠢いている。

「取り返しの付かないことをしてしまった」

 そう後悔してももう遅い。だが、そこで諦めてしまうほど彼らも薄情な存在では無かった。

 遺された二人で何とか世界を立て直そうと論を交わし、手を施し、管理と観察を再開させたが当然これは上手く行くはずも無い。元々四つの力で保たれていた均衡は、二つ欠けたことで安定さを失い、常に不安定に揺れる糸のように心許ないものになってしまっていた。

 それを哀れんだのは創造主で、彼らが心を入れ替えるのならという条件を付けた上で彼らに贈り物をしたのだ。

 虹色の翼を持つ美しい鳥。

 夢のたまごを産むその鳥を、創造主はたった二人だけ残った神に与えることにした。


 二人の神は始め、夢鳥を与えられた事に戸惑いを覚えた。

 壊れてしまった箱庭の世界を、たった一羽の鳥で変える事は不可能だと考えたからだ。

 欠落してしまった歯車の代りをにただ美しいだけの鳥が補えるとはどうしても思えず不満を口にする。

 しかし、その考えは間違いだったと直ぐに二人は悟ることとなる。

 夢鳥は夢を産むことが出来る。

 丈夫で堅い殻に覆われたたまごに、幸福だけを閉じ込めた夢を詰め込み箱庭へと産み落とす。

 神が統治の主導権を切り替えるたった二回の時間の狭間で、夢鳥は真っ白なたまごを産み落とすのだ。

 それを手に入れることが出来れば必ず幸運の祝福を得る事が出来る。

 割ることが出来れば、限られた範囲で幸せが約束される。

 誰の手にも渡ること無く次の時間を迎えることが出来れば、その次は必ず全ての領域に於いて繁栄を手に入れることが出来る。

 どの幸運を手に入れるかは夢鳥のたまごを求めるものによって異なる。

 だからこそ、箱庭の住人はたった一つのたまごを手にするために醜い争いを繰り広げる。

 その光景を眺めながら、残された二人の神は哀しそうに表情を曇らせる。

 美しい夢の始まりは悲劇を引き金に。

 いつ終わるかも分からない争いは、責任を放棄した彼らに対しての創造主からの罰。

 そのことに気が付いた時、彼らは己の犯した過ちに嘆き頭を抱える。


 壊れてしまった玩具は、例え修復する事が出来たとしても、もう二度と元の姿に戻す事は不可能なのだ。

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