第221話 順番

 毎日の行動は、決まった順番通りに行わないと気持ちが悪い。

 人には神経質だと言われるが、これが幼い頃からの習慣なのだ。

 それは本当に些細な事なのだろう。 

 だが、これが一つでも狂ってしまうと、何とも言えない不安に囚われる。

 一つでも狂ってしまうと……何故か取り返しの付かないことが起こりそうな気がして怖いのだ。


 朝起きて、まずやることと言えば目覚ましを止める事だ。

 二度寝はなるべくしないようにしているが、どうしても無理な時だけは目覚ましを十分後になるようにセットし瞼を閉じる。

 目覚ましの音は出来るだけ三十秒以内に止め、それ以降はどんなに眠くても必ず起床することを心がけている。

 ベッドから起き上がったら向かう先は洗面所。眠気を払うように冷たい水で顔を洗い、軽く口の中をゆすぐ。

 その後にトイレに入って用を足すと、手を洗って朝食の準備に取りかかる。

 手を洗うときは泡タイプのハンドソープを使う。ポンプは必ず一回だけプッシュ。手の中に柔らかな泡が収まれば、右手を動かし全体に馴染むようにして手の平から洗っていく。左親指、右親指、人差し指から小指までを丁寧にもみ洗い、手の甲を洗って泡を水で流す。

 両手が綺麗になったらキッチンに向かい、冷蔵庫を開ける。朝はそれほど量を食べられないため、軽く小腹を充たせる量があればそれでいい。

 買い置きのパンはいつも同じメーカーのもの。六枚切りの厚めのやつが好みで、それをトースターで決まった時間焼き上げる。その間に用意するのが温かいコーヒーだ。

 本当は豆から挽きたい気持ちもあるが、そこまでやると習慣が崩れてしまいそうで怖くて出来ない。だからこそ、お気に入りのメーカーの粉をいつも使うティースプーンで二杯。電気ケトルで湧かしたお湯をゆっくり注ぐと直ぐに鼻孔を擽る香りが沸き立つ。

 トースターの音が鳴ればパンを取り出し塗り始めるバター。冷蔵庫からパックのサラダを取り出して皿に盛りつけ和風ドレッシングを掛た後、オマケのハムを皿に乗せて漸く朝食が始まる。

 席に着き「頂きます」という言葉を口に出せば、食事の開始。食べる順番も勿論決まっていて、先ずはコーヒーを一口。サラダを二口食べた後、パンを一口かじりまたサラダに戻る。ハムは味に変化を付けたいときだけ口にし、サラダとパンを交互に口に運びつつ、偶にコーヒーでそれらを流し込む。

 そうやって皿の中身を綺麗に片付け終われば、次は食器を荒いテーブルを布巾で拭いて後片付け。

 そうすると、丁度いい時間に外出の準備が出来るようになる。

 支度をする間はテレビを点ける。見るのは決まったチャンネルのニュース番組。多少の誤差はあるが表示される時間の数字はいつも同じ。それを横目に服を選び、髪をセットする。

 ネクタイは一番最後に締め姿鏡で全身を確認した後に、鞄の中を軽くチェックし鍵を手に取る。リモコンでテレビを消すと、鞄を持ち全て鍵が掛かっていることと電気が消えていることを確認してから家を出る。

 ここから先は順番通りに行いたくても、日によって予定が異なるためなかなか難しい。そこはもう割り切って時間を進め、家に帰宅してまた同じルーティンに戻る。

 こうやって繰り替えれる毎日が、与えてくれる安心感はとても心地がよいものだ。それを違わなければ何も起こらない。だからこそ、毎日同じ順番で同じ事を繰り返していた。


 その日は朝から嫌な予感がしていた。


 いつもよりも怠い体を無理に起こし、何かがおかしいと考える。

 その答えは直ぐに見つかり、私はその事に酷く動揺し怯えてしまった。

 何故なら朝一番の行動が叶わなかったからだ。

 朝起きたら目覚ましが止まっていた。

 別に壊れたと言うわけではなく、単純に電池が切れただけ。それなのに、決まった時間に鳴らなかった目覚ましは、その日の仕事を放棄し私の順番を狂わせる。

 そこから先は、全ての順番が狂い始めた。

 気持ちの動揺が大きかったせいだろう。元に戻そうと思う習慣が、次から次へと噛み合わなくなってしまう。焦れば焦るほど予定していたことと違う結果に対して感じた苛立ち。気が付けば、何も準備出来ないまま出勤時間になってしまっていた。


 こうなってくると当然、仕事でも大きなミスが連続して起こる。

 普段なら気が付くような些細な事を全て見落とし、気が付けば大事になり取り返しがつかない状態に。

 取引先に必死に頭を下げ、上司から説教をくらい作成する始末書。事実を明確に伝えなければならないのに、頭が混乱してタイプミスが目立つ。

 やっとの思いで作成した書類は、数秒後にはやり直し。そしてまた私の予定は大きく狂い、いつの間にか時刻は夜八時を過ぎてしまっていた。


 残業が好きなわけではない。

 いつもは定時に帰宅できるようにスケジュールを調整しているのだから。

 だが、今日は終わらない作業のせいで、まだまだ帰宅できそうにない。

 早く帰らなければ、この悪い流れを断ち切ることが出来ないんじゃないかと思い、余計に気持ちが焦っていく。

 漸く退勤出来たのは夜十時前で、夕飯を外食で取ろうにも店は殆ど開いていない。仕方無くコンビニに立ち寄り残った弁当を購入し、溜息混じりで帰路を急ぐ。

 空腹が思考を奪う。疲れが眠気を誘う。

 早く帰って風呂に入りたい。

 それから飯を食い、歯を磨いてベッドに潜り込む。

 その前に止まってしまった時計の電池を入れ替えて、次の日にちゃんと起きれるようにしておかなければ。

 そんなことを考えながら渡り始めた横断歩道。


「危ない!!」


 その声は、何処から聞こえてきたものだろうか。


「え?」


 次の瞬間、私の体は宙に投げ出されていた。

 強い衝撃が全身に走り、痛みで動けなくなった体は真っ暗な空を見上げたまま固まってしまう。

 口元から大量の血が吐き出され、不愉快な匂いが鼻をつく。


「ああ。やっぱり憑いていない」


 毎日の順番が変わると悪い事が起こる。

 その予感はどうやら、間違ってはいなかったようだ。

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