第220話 魔法陣
子供の頃は頑張れば不思議な力が自分に宿るなんて、そんな都合の良い事を考えていたものだが、それは年を取る毎に薄れていった。それでも、魔法に憧れるのは、心の何処かで夢を見ると言うことを諦める事が出来ないからだろう。
魔法なんて存在しないと分かっていても、魔法が使えたら良いのにと思ってしまう事がある。これは、大人になっても変わる事が無かった。
世の中が不安定になったと感じるようになったのは、景気が目に見えて悪くなったことに気が付くからだろう。
日々、不安を煽るようなニュースをそこかしこで目にする度、少しずつ気持ちは低下していく。
「こんな時こそ気持ちは明るく! 共に助け合い経済を良くしよう! そのために私は頑張ります。必ず皆さんの期待に応えられるよう、努力致します」
だなんて。上辺だけの綺麗事は、どうせ選挙に当選して議席を確保してしまえば知らなかったと忘れ去られるだけの薄っぺらい約束事。己に託された投票権が無駄にならないようにと毎回悩んで投票しても、結局は未来を託した代表者よりも知名度が高くメディアに強いだけの、不安しか感じられない相手に議席を奪われてしまう。
そのことに対して不満を持つことももう疲れてしまったのだが、未だ死ぬという選択肢を選べない以上、何とか自分の気持ちを誤魔化して一日、一日を何とか生きていた。
「……はぁ……」
とは言え、給料日までのカウントダウンは思った以上に長い。
忘れた頃にやってくる支払いの明細書に、一時的に手を出した借金への督促状。食費を切り詰めそれらの支払いに手持ちの金を分散し支払いを済ませてしまうと、一瞬にして財布は軽くなってしまう。増えていくのは使えもしないレシートで、家計簿代わりのアプリに写真を撮って記録を付けてしまえば本当にゴミになってしまう小さな感熱紙。
それらを捨てる度に、ストレスが溜まる具合に比例するようにコンビニエンスストアで買ったちょっとした無駄遣いに気が付き、益々気分は重くなってしまう。
「マジで金がねぇや」
こういう時に思う事は『宝くじが当たれば良いのに』ということだろう。買わなければ当たらない運試しは、買っても当たらない現実に落ち込むだけだと分かっていても、追い詰められるとそのゆめについつい縋り付きたくなってしまう。
だからこそうっかり使ってしまう小さなお金。たった数枚の硬貨は、手に入れることが可能かどうかも分からないギャンブルのために消えていく。
マークシートで選んだ番号で発券してもらった券は、結果がでるまで財布の中に。
「当たると良いな」
という小さな要望を、信じても居ない神様へ向けて呟く。
「ん?」
まだ取引先との約束までは時間がある。どうやって時間を潰そうかと辺りを見回すと、何となく目に止まったのは全国展開している大型の書店の看板。丁度良いなとそこで時間を潰すことに決め、誘われるように店の中へと入る。長居するつもりもないため真っ直ぐに向かったのは雑誌コーナーだ。
最近はコンビニでATMの使用が終わるのを待っている間にしか雑誌を見ることは無くなった。だからページを捲っている雑誌は、久し振りに手に取った気がする。流行なんてもう何が最新なのか分からない。時代に置いて行かれたような気がして少しだけ感じる寂しさ。
そうやって特に本を買うことも無く書店を彷徨いていると、いつの間にかある棚の前で足が止まっていることに気が付いた。
「何だ? これ」
その棚はとてもマニアックな書籍を並べてあるものだ。
「こんなの、読むのってオタクくらいだろ?」
背表紙に書かれているタイトルはどれもこれも非現実的なものばかりだ。良く当たる占いだったり、運を掴み取るための方法だったり。恋が叶うおまじない、運気を上げる開運術、やる気が出る魔法……中には黒魔術や呪術と言った薄気味悪いものまで存在している。
当然この手の本は余り人気が無いらしく、本によっては既に黄ばみ店頭に並べられて時間が経っていることが覗えた。
「あ。そろそろ行くか」
この棚を最後に書店を立ち去るのも後味が悪い気がしたが、腕時計で時間を確認するといい加減ここから移動しないとまずい時間に。元々、目的はただの時間潰しだからこれで良いと立ち去るべく背を向けた時、とても気になる本が一瞬、視界に入ったような気がした。
気が付けば、一冊の本を手に持っていた。
それは先程いた書店の紙袋の中に入っていて、結構な重さがある。
ただでさえ財布が寒いと言うのに、決して安くは無いハードカバー。何故この本を買ってしまったのだろうと後悔しつつ、買ってしまった物は仕方が無いと自分に言い聞かせる。
買った本は【グリモワール】。フランス語で魔術の書物という意味があるらしい。
仕事を終え夕飯を済ませてから始めた読書は、直ぐに飽きてしまうかと思えばそうでもなく、買った本の頁を捲ってみると意外に目が自然と文字を追ってしまう。
取り憑かれたかのように本の頁を捲っていると段々と湧いてくる興味。
「悪魔を召喚すれば、大金が稼げるって……本当かよ?」
自分でも馬鹿な事を考えていることは分かっている。だが、一度金が欲しいと思うと、その欲は止まること無くどんどん大きな物へと膨らんでいく。自分に余裕が無くなったのも、その存在に固執するのも、無意識に自分を追い込み悪い状況へと進んでいるからなのかも知れないが、そんなことに気がつけるほど心の余裕なんてものは無い。
「……やって、みようかな」
どうせ上手く行く訳なんてない。
だからこそ、物は試しにと腰を上げる。危険な遊びはそれだけでスリルを味わえる。それが普段感じている鬱憤や溜め込んでいるストレスを発散させる事に繋がるのならと、本当にそんな下らない理由で踏み越えてはならないボーダーラインを越えようとしてしまう。
本に書かれている材料を集めるのは、思った以上に時間がかかった。
簡単に手に入るものから、これはどうやって手に入れるんだと頭を捻るようなものまであり、中にはどうやっても手に入れることが難しいため代用品でどうにかならないかと誤魔化すことにする。
どうせ真似事だけの自己満足なのだ。悪魔なんて本当に出てくるはずも無いという気持ちが常に、何処かにあったのだろう。
漸く碌でもない計画が実行に移せるようになったのは、本を買ってから二ヶ月ほど経った頃。
足元には、本に書かれた図から見よう見まねで書き写した残念な見た目の魔法陣。ハシバミという木の枝で作った手作りの杖は右手に、呪文を唱えるためにページを開いた本を左手に持ちゆっくりと深呼吸を繰り返す。
「偉大なるルシファー皇帝よ……」
真っ黒なローブなんてものはないから、真っ黒な雨合羽を身に纏い、如何にもという感じで低い声を出しながら読み上げる言葉は、何とも耳に馴染まずむず痒い。
「主の恩名によりて命ずる!」
それでも、この現実離れしている事をしている高揚感が高まれば、何だか気持ちは大胆な物へと変わっていく。
「悪魔大臣ルキフゲを派遣すべし!」
そう言って振り上げたハシバミの杖を振り上げ、 【××××】の名を記した部分に勢いよく振り下ろす。
「……………………」
だが、現実なんてこんなものだ。
声が止めば直ぐに場を満たすのは静寂で、悪魔が出てくる気配なんてどこにも無かった。
「……まぁ、そうだよなぁ」
そこで諦めるという選択肢が無かったわけでは無い。
「じゃあ、次はこっちだな」
それなのに、何故かこの馬鹿げた行為を辞めようという気が一切起こらなかったことが不思議だ。
「えー……と」
悪魔を一発で呼び出せなかったときの保険。次に唱えるのは"ソロモン王の鍵の大呪文" というものらしい。再び深呼吸をし気持ちを静めた後で、改めてハシバミの杖を掲げこう呟く。
「霊よ!われは偉大なる力の以下の名においてお前に命ずる。速やかに現れよ」
やたらと長い呪文は、言い慣れない名前の羅列。
「アドナイの名において、エロイム・アリエル…………」
ただひたすらにカタカナを追い、噛まないように必死に舌を動かしていく。
「……エテゥツナムス・ザリアトナトミクスの名において」
言い終わる毎に【××××】に向かい杖を振り下ろし名を叩く。これを悪魔が現れるまで繰り返さないといけないらしく、どこで辞めようかと頭の何処かでは思いながらも、その行動はどんどんエスカレートしていく。
「ザリアトナトミクスの名において!」
そして、何度目かの復唱の後で、外に大きな雷が落ちた。
「え?」
余りにも突然の事に驚き、正気に返る。慌てて電気を点けると、一瞬にして不可思議な空気は霧散し、陳腐な光景が現実の物として目の前に現れた。
「…………な……ん……だよ……」
そこで改めて自らの行動を考えてみると、実に馬鹿馬鹿しい事をしているものだと白けてしまう。
「辞めよう。こんな事は」
所詮、こういった儀式なんて紛い物なのだ。神様がいないのと同様に、悪魔という物も現実には存在していないのだろう。
漸くこの儀式で願いが叶わないと言うことに諦めがつき、使っていた道具を片付けるようと腰を屈めたときだ。
ガタン。
背後にあるクローゼット。
その中で、何か大きな物が堕ちる音が響く。
「……………………」
振り向いてはいけない。気付いてはいけない。早くなる鼓動が心臓に負担をかけ、感じる胸の苦しみに荒くなる呼吸。
『……喚ンダノハ、オ前カ?』
不意に聞こえてくる不気味な声。
「ヒィッ……」
左側から聞こえた不気味なそれは、とても生臭い息と共に、左耳にこびり付き消える事が無かった。
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