第164話 顔

「いつでも笑顔で居なさいね」

 祖母から言われた言葉の中で、最も印象に残っているのはそんな一言である。

 女は愛嬌が有る方が可愛いんだからと小言を言われ、指で口角を持ち上げられて無理に作った笑顔は、どこかしらぎこちなくて気持ちが悪い。それを鏡台前で何度もさせられたのは、思い出したくも無い嫌な記憶だった。

 私は楽しいと思って居ないのに、常に被らなければならない笑いの仮面。

 それは対面する相手に良い印象を与えるために行う、最低限のマナーなのだと祖母は言っていた。

 祖母に育てられた母は、それを当たり前の様に行うのに、私はとても不器用で、祖母の願う通りに表情を作る事が難しく、弟と二人して怒られたのを覚えて居る。

 だから私は、笑うと言う事が苦手になってしまっていた。

 そんな私は当然、周りからはあまり面白くない人間という印象を持たれていた。

 弟は友人に恵まれたお陰か、段々と自然に笑うことを思い出していったのに、残念ながら私はそういう人間関係に恵まれず、段々と周囲から孤立していってしまったのだ。

 誰も私に興味を持ってくれないのだから、私が顔を作る必要性がどんどん無くなっていく。そうやって、誰とも関わろうとしない時間が長くなればなる程、私の表情は日に日に強張っていった。

 そんな私を不憫に思ったのだろうか。

 十七歳の誕生日に、私が祖母から貰った誕生日プレゼントは顔のない面。視界を確保する両方の目はあるのだが、真っ白に塗りたくられたのっぺらぼうが、祖母から手渡されたものだった。

 祖母が何を考えてこれをプレゼントしてくれたのかは分からない。

 だが、この面を受け取ったことにより、私の顔は存在しないものとなってしまったのは間違い無い。

 顔のない面を被るようになってから、私はますます存在の無いものとなった。

 勿論、面を被ることを強要されたわけではない。

 それを被ろうと決めたのは自分自身。

 そうすることで、私自身に誰も興味を抱かないようになりたかった。そう、心の何処かで願っていたのかも知れない。

 しかし、実際に存在を消してしまうと、今度は寂しさを強く感じる様になった。

 自ら望んで人との関わりを断ったというのに、誰にも気付かれないと余計に人恋しくなってしまうのは実に不思議で。いつしか私は、気が付けば居る不気味なものとして、人々に語られる存在となっていった。


 ねぇねぇ。こんな話、知ってる?


 そんな言い回しから始まるのは、良くある噂話だ。

 その中で語られるのは、顔のない女の話。

 一見すると昔から在る怪談の様に聞こえるが、実際はそうではなく、ただ、そこに在る不気味として伝えられていくだけ。

 その存在は実に曖昧で、気付いたときにそれは見えるのに、気にしなくなると途端に見え無くなり記憶から消えてしまう。どこまでも希薄で意識もされない。そんな怖さもない噂なのである。

 ただ、一つだけ言えることは、その噂で語られる顔のない女は、確かに現実に存在している存在だと言う事。

 何故ならそれは、顔のない面を被った私が噂の女だからだ。


 私は今、仮面を被らなければ出歩く事が出来ない。

 私の顔は、もう、上手く表情を作る事が出来ないから。

 だから、家族の人間ですら、私という存在の顔がどうなっているのかを知らない。


 それは、私自身も、含まれている。


 そう。

 私は、私の貌がどうなっているのかを、忘れてしまって久しいのだ……。

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