第161話 遅延
構内に響くのは、人身事故があったという知らせ。
場所は今居る駅からさほど遠くもない踏切で、どうやら線路内に人が立ち入っていたということらしい。
流れているアナウンスから聞こえる内容は、決して気持ちよいものでは無いというのに、思うことと言えば、事故に遭った人の安否を気遣うものでは無くただ一言。『遅延することになって迷惑だ』ということだった。
そもそも、本日のスケジュールはいつもよりも余裕の無いタイムシフトで設定されており、移動時間が全ての鍵を握っていると言っても過言では無い。だからこそ、普段よりも早い時間の電車を選びホームで待機していたというのに、何の因果だろうか。予想外の不運に見舞われてしまうのは。
急遽行わなければ行けなくなったリスケジュールは、後ろの時間から逆算し再設定していくというもの。予定がずらせない以上、残った時間でやりくりしないといけないというプレッシャーに吐き気を覚える。
「…………このままじゃヤバい……」
腕時計で残りの時間を確認し、復旧までの時間が表示されていないか注意深く情報を拾う。最悪、電話を掛け頭を下げた後、もう一度アポイントメントを取り直し予定をずらして貰うしかない。そう思いながら、電車を待つが、一向にダイヤが復旧する気配は無かった。
仕方が無いと電車での移動を諦め改札を出る。
次に向かったのはタクシー乗り場だ。
そこに到着した頃には既にタクシー待ちの列が形成されており、最後尾は想定していたものよりもずっと遠い場所にある。ここでタクシーを待っていても、自分の番が回ってくるまで時間が掛かるのは一目瞭然。ここで黙って順番待ちをするよりも、大通りに出てタイミングを覗った方が早いだろうと、そう判断し場所を移動する。
足を動かしながらカウントダウンを続ける文字盤をチェックし、どのタイミングで連絡を入れれば良いのかを考えてしまう。まだ時間に余裕がある以上、諦めてしまうのは勿体ないと思う自分と、間に合わなかったときのリスクに備えて、相手に頭を下げた方が良いと考える自分が葛藤を繰り返しているが、未だ答えは出せないまま大通りに着いた。
「タクシー…………」
空車の表示が出ている車体を探すのだが、先程から目の前を通過する車内の後部座席には既に客の陰がある。運良く近付くタクシーを見つけても、タッチの差で他の客に奪われ上手くいかない。こうしている間にも時間は刻一刻と過ぎていくのだ。気持ちばかりが焦り嫌な汗が垂れてきた。
人身事故による遅延に巻き込まれてから三十分近く経過した頃、漸く一台のタクシーを掴める事に成功する。
「すいません! 急いで下さい!」
目的地を告げなるべく早くそこに向かうように指示を出し、漸く吐いた一息。
安心するには未だ早いのだが、これで目的地に向かうことが出来るという安堵からか、一気に疲れがやってきた。
「お客さん?」
運転手の声が遠くで響くのを気にしていられない。
いつの間にか……私は意識を落としてしまっていたようだ。
「はっ!」
聞こえてきたアラーム音に慌てて飛び起きると、まだタクシーの車内に居た。
「大丈夫ですか?」
「……え……ええ……」
時計を確認すると、タクシーに乗ってから数分しか経っていない。
「今どの辺りですか?」
現在地を確認しようと問いかければ、運転手が申し訳なさそうに答えた言葉に絶句した。
「そんな……」
意識を失っていたのは数分ではあるが、徒歩で移動するよりも距離が稼げるはずなのに、タクシーを拾った場所から目的地までの距離は思ったよりも縮まって居ない。その理由が何故なのかは直ぐに分かった。
「どうも、この先で大きな事故があったみたいなんです」
運転手の言うとおり、タクシーのフロントガラス越しにみえるものは、長く繋がるテールランプの光。これはどう見ても渋滞にはまった状態に違いなかった。
「どうしよう……」
全く進まない車に対して感じる苛立ち。状況が状況なだけに苛立つのは筋違いだと分かっては居るが、予定為ていたとおりにプランが進まないのは本当に辛い。
「すいません。此処で降ります!」
こうなったら別の移動手段をと思い、運転手には申し訳無いがタクシーを降りる。歩道に上がると、上司に現状を報告し、取りあえず徒歩で行けるところまで歩き始めた。
道が変わればもしかしたら。そんな淡い期待もあったのかもしれない。
でも、もう、諦めてしまった方が早いというのも薄々気が付いてはいた。
そもそも、私は何故、こんなにも必死になっているのだろうか。
これは私自身のミスによる遅延ではなく、不運に巻き込まれた結果論なのに、どうして約束に間に合わそうと躍起になっているのだろう。
腕時計で時刻を確認すると、約束の時間まではもうすぐ。この距離からだと走っても絶対に間に合わないのは分かっている。
「……仕方ない」
こうなったら頭を下げアポイントメントをもう一度取り直させて貰おう。
そう判断し、スマートフォンを握る。
「あ。もしもし。わたくし…………の…………」
約束の相手に取り次ごうと思い口を開いた瞬間だった。
「え?」
一瞬にして真っ暗になる世界。強い衝撃と、異様な浮遊感。何が起こったのか分からないが、私は今、確かに空を飛んでいる。
そんな感覚だけはハッキリとあった。
そして今、私は『私の身に起こった状況』を理解する。
嗚呼。なんだって、憑いていない。
こんなことならもっと早く、予約の変更をしてもらうべき…………だった……なぁ…………。
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