第39話 罰

 「人殺し」


 そんな幻聴が聞こえ始めたのはいつの頃からだっただろう。

 気を張り周りを伺っても、誰も私の事など気にも止めていないはずなのに、常にその声は耳に届いていた。

 考え過ぎなのだろうかと、自分自身を疑ったこともある。

 だが、それも仕方のない事だろうと思ってしまうのは、私自身、誰にも言えない過去を隠しているからだ。

 私は、昔、とある事故に巻き込まれたことがある。


 その日は、兼ねてから計画していた旅行に行くために、仲間内で集まっていた。行き先はとある山。キャンプ施設を完備している人気の観光スポットである。

 とはいえ、この頃はシーズンよりも少々早い時期で、それほど客の入りも無いようで。料金が比較的安くなっていたことも手伝って、そこに行く事に決めたのだった。

 如何せん金のない学生の集まりである。豪華な旅行はまた今度。今できる用意で精一杯楽しんでやろうがコンセプトのその計画は、仲間の所有する車が主な足代わり。必要だろうと追加して回ったせいでついつい量の多くなってしまった荷物を抱えながら、運転手であるその人を待っていた。

 運転手が到着したのは集合時間から三十分を過ぎた頃。ごめん、ごめんと謝るそいつにメンバーはそれぞれ異なる反応を見せる。助手席にはつい最近つきあい始めたという彼女の姿。それは仲間内で一番人気のある女性だった。

 正直羨ましくて仕方が無かった。何故なら、私も彼女の事が気になっていたからだ。

 自分から告白する勇気は持てなかったが、誰かのものになって欲しいとは望んで居ない。それは他のメンバーも同じ事だろう。そんな彼女が、遂に誰かのものになってしまったと分かったときは、もの凄く落胆したものである。

 それでも、人の縁はタイミングというものがある。選ばれなかったのはそれなりの理由があるだろうし、選ばなかったのも同じように理由があるのだろう。心で泣きながらも表面上は何時も通り。わざわざ関係を険悪にしてまで相手を奪うつもりは全く無かった。

 そもそも先も述べたとおり、告白する勇気すら持てなかったのだ。遅かれ早かれこうなる結果は決まっていたのかも知れない。それならばいっそのこと、仲の良い友達で良いから関係を良好に続けていたい。そんな小さな願いくらいは抱いても良いはずだと自分自身に言い聞かせる。

 そうこうしている間に荷物は既に車の中へ。一人、一人と車内に姿を消すと、駐車場に残っているのは私一人になってしまっていた。

「行くぞ」

 置いていくからな。その言葉に慌てて車内に乗り込みドアを閉める。エンジンの音が耳に届いたと同時に、ゆっくりと転がり出すタイヤ。重量の増えた車体が、ゆっくりと目的地へ向かって走り出した。


 その事故は、目的地に着く少し前の場所で起こった。

 運が悪いとはこういう事を言うのだろうか。楽しい気分は一瞬にして恐怖に変わる。

 始め、何が起こったのか全く分からなかった。目の前で起こった事が余りにも現実離れしているように見えて、理解が追いつかなかったのだ。分かるのは鼻を突く臭気と身体の痛み。そして、奪われたものが自由だったということ。上手く身体を動かすことも、大きな声で叫ぶことも出来ず呆然としてしまう。一生懸命何かを考えなければいけない気はしているのに、実際は何も考えられる余裕何て無かった。

 その時に多分、始めて死神というものを見た様な気がする。


 そいつは、突然現れると、一人一人の顔を眺めながら小さく頷いていたんだ。


 見てはいけない。

 そう頭は警告を発するのに、何故か目を話す事が出来ずそれを凝視してしまう。少しずつ、少しずつ死神との距離が縮まり、遂に自分の番だという時に、やっと瞼が動き視界を閉ざした。


「…………」


 確かに在る、何者かの気配。それは値踏みをするように、じっくりと私の事を眺めているような気がする。


『貴方、見えていますね?』


 その言葉を聞いたとき、背筋にゾッと怖気が走った。

 反射的に目を見開くと、白目の部分が無い真っ黒な二つの虚がこちらを凝視している事に気が付き息が止まる。

『そうですか、そうですか』

 とても不鮮明なノイズの混ざった声が、嬉しそうにクツクツと笑うことが、とても気持ち悪くて仕方が無い。

『しかし、困りましたねぇ』

 成る程、成る程。何度何度も同じ言葉を繰り返す死神が、そこら中に散らばった事故の残骸を眺めながら考える真似事をしている。

『貴方。今日、此処で死ぬ予定、なんですよね』

 その言葉を聞いた瞬間、二つの感情が湧き上がった。

 「ああ。やっぱりか」という諦めと、「嫌だ、死にたくない」という嘆き。なんとかしてこの状況を変えられないかと声なき声で訴えると、

 自分ではどうすることも出来ない状況だと分かってはいるのに、まだ生きるということに縋っていたい自分が確かにそこに居る。死神はあることを提案してきたのだ。

『そうだ。こういうのはどうです?』

 その提案とは、人の人生を入れ替えるというもの。

 本来、この事故で死ぬ人間は私を含め殆どだったが、たった二人だけ助かる人間が存在するのだと死神は言う。それが誰かと訪ねれば、運転席に居た友人と、助手席に居た彼女の二人。

『どちらかの人生と貴方の人生。特別に交換して差し上げますよ』

 本当はこういう事、ルール違反なのですがね。そう言葉を付け加えながら死神は笑う。

 交換出来る人生はたった一つだけ。私は迷うことなく友人と取り替えたいと死神に伝えた。

『分かりました』

 死神との交渉が終わったと同時に私の意識は闇に引きずり込まれる。

 次に目覚めたときには、病室の白い天井が目の前に広がっていた。


 その日を期に私の人生は大きく変化したのは言うまでもない。生き残った二人がくっつき家庭を持ったのも、それは極自然のことだったのかもしれない。子供も生まれ、毎日が充実した生活を送っている。この幸せは一生続くのだと……そう信じていたのに、いつの頃からか幻聴が聞こえるようになったのだ。


「人殺し」。


 それはまるで、過去の罪を糾弾するかのように日増しに大きくなる。

 今が幸せであればあるほど、その言葉は私に重くのし掛かる。

 最近では、まともに眠ることすら出来なくなってしまうほど、その雑音がずっと耳から離れていかない。正直気が狂ってしまいそうだった。


 こんな事になるのなら、いっそのこと、あの時素直に死を受け入れておくべきだったのかも知れない。


 最近では常にそんなことを考えてしまっている。

 だからだろう。

 楽になりたい一心で用意したのは大量の薬の入った瓶。

 折角助かった命をこんな事で失いたくないと思い乍らも、これ以上は耐えられないと心が悲鳴を上げる。

 とにかく。一秒でも早く楽になってしまいたかった。


 それなのに……


『こんな事で、許されるとでも思ったか』


 大量の薬は私の命を終わらせてはくれなかったようで、更に酷くなるノイズが脳を蝕んでいく。

 生きている限り与え続けられる罰。

 これが、あの時、あの選択をしたことに対する私の運命だとでも言うように。


 あぁ……まただ。

 今日もまた、あの声が聞こえてくる。


 私の事を許さないと。

 壊れていく私を楽しむように、顔のない友人が笑い声を上げたのだった。

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