第24話 マグネット

 マグネットの原理はシンプルなようで複雑。

 S極とN極は互いに引き合い、同極同士が反発し合うのは簡単に分かるのに、それが何故引き起こされているのかを説明しようとすると、何故か複雑になってしまう。

 かいつまんで説明するならば、磁力が発生するためには電子が原子核の周りを回転することが必要で、極によって向きが異なる事で互いに引き合ったり反発しあったりするらしいのだが、そんな説明をされたところで興味をもって耳を傾けてくれる人間はどれくらいいるのだろうかと首を傾げてしまう。

 ましてやコイルや電流の話にまでなると、大体の人は「これ以上はもう良いから」と話を遮り、話題の転換を図ろうとしてしまうのだ。

 だから、中々それ以上の事を知る機会には恵まれないし、もしかしたら一生その機会には巡り会えないのかも知れない。

 見た目は可愛らしいパッケージに包まれたマグネット。それでも仲良く引き合うこともあるが、引き合わず反発しあったりもする。関係性。

 人の心も同じように、くっついてみたり離れたり。分かったような気持ちになっても、直ぐに分からず見え隠れ。だからついつい慎重になってしまう。相手の出方を伺いながら、自分の気持ちを如何に上手く伝えられるか。それが重要なのだ。

 希望を言えば、気持ちを伝えたら直ぐに相手と好意的な関係になれるのが理想。

 でも、それも時の運。

 伝えるまでは結果は分からないものだ。難しい。


 パチン。パチン。

 小さな音を立ててくっつき合うマグネットを、無理矢理引き剥がしながら待つ相手。その子はずっと気になっていた相手で、こういう機会がないとなかなか話しかける機会もない。

 先生、ありがとうございます!

 心からそう思ってしまうのは、日直の相方がその子になった事が嬉しくて仕方無いからである。

 彼女は今、担任に呼ばれて職員室へと出かけているところ。教室で一人残された僕は、黒板にくっつけられていたマグネットを手に取り暇を潰していた。窓の外からはカラスの鳴き声。いつの間にか空は茜色に変わり始めている。

「早く戻って来ないかな」

 告白なんて初めての経験だ。

 引っ込み思案で人見知りの僕なんて、クラスでとっても地味な存在。いつだってみんなの中心に立つ人気者が主役で、僕みたいな人間はモブ中のモブなんだ。だから、なかなか自分から話しかけることは難しいし、友人も類友みたいな奴等ばかり。

 それでも僕も一応は人間だ。人並みに恋をしたり、想いを伝えたいと思ったりはしている。

 ただ、そのタイミングは訪れる機会が無いと思っていた。

 そう。今日と言う、この日までは。

 いつもなら直ぐに終わってしまう日直の作業。今日は幸運なことに、思ったよりも作業の量があった。

 彼女にとっては少しだけタイミングが悪かったらしい。時計を気にしながら進める仕事は、いつもよりもペースが速い。なんでそんなに焦っているのかなんて、その理由は聞けずじまい。そんなとき、担任からお呼びが掛かってしまった。

「私、行ってくる」

 そう言ってさっと席を立つと、彼女は僕だけを残して教室から出て行ってしまう。

 少しだけ感じた寂しさはあるけれど、それよりも彼女が目の前に居て、さっきまで一緒に作業をしてくれ居たという喜びの方が勝っている。彼女にありがとうと喜んで貰いたくて、残りの作業を片付けるべく手を動かす。

 人間やる気になればそれなりになんとかなるもので、頼まれていた作業はいつの間にか全て終了。後は彼女が戻ってきたときに日誌をまとめて担任に渡すだけになっていた。

 それからずっと待っているのに、彼女はなかなか戻って来ない。手持ちぶさたになってしまった僕は、黒板に張り付いていたマグネットを使って暇を潰している。今がその状態だった。

「……はぁ」

 今日こそは。彼女に好きだって伝えたい。

 何度も何度も頭の中で繰り返すシミュレーション。パターンは二つ。最高なのと最悪なのと。出来るだけ最悪を考えないようにしながら時計を見ては小さく溜息。随分と教室が赤色に染められたところで彼女は漸く戻ってきてくれた。

「ごめんね。遅くなっちゃった」

 両手を合わせて謝った彼女はとても気まずそうに視線を逸らす。

「いいよ。大丈夫だから」

 そう言って笑うと、彼女は安心したように胸を撫で下ろした。

「作業。全部終わらせて置いたから」

「え? あ……ありがとう」

 彼女からのありがとう。確かにその言葉をもらえはしたけど、反応は思っていたのと少し異なっている。

「迷惑……だったかな?」

「ううん! そんなことないよ!」

 反応が曖昧だったのは、驚いたことと、申し訳ない気持ちが合わさった結果だと彼女は言う。

「それじゃあ、日誌。急いで書いて渡しに行こうか」

 使い込まれた日誌を捲り、まだ何も書かれていないページに走らせる鉛筆。作業をして貰ったお礼だと、彼女が綺麗な字で今日の事をまとめていく。あっというまにそのページは文字で埋め尽くされ、後は消灯と戸締まりを終えれば帰宅が出来る状態。

「あっ、あの」

 教室の扉。それを施錠する彼女の隣で、僕は大きく声を上げる。

「好きです!!」

 突然の告白。付き合って下さいと言うつもりが緊張しすぎて言葉が出て来ない。顔は真っ赤になるし、心臓は痛いくらいバクバクと音を立てている。恥ずかしくて仕方無くて、顔を上げることが怖い。

「…………」

 しかし、幾ら待ってもその告白に対しての答えは返ってこなった。

「……迷惑……だった……かな……」

 恐る恐る顔を上げる。

「…………」

 真っ赤に染まった廊下。逆光で彼女の表情はよく見えない。

「あ……あの……」

 ただ、彼女との距離は、少しずつ離れている。そんな気配を確かに感じた。

「……ごめんなさい。ちょっと、よく……分からない……から……」

 明らかな戸惑いと、小さな拒絶。そう、それはまるで、同じ極同士反発しあう磁石のように。

「突然だから、その……ちょっと、考えられない……ごめん!」

 そう言って彼女は背を向けて走り出す。

「待って!!」

 慌てて僕も彼女の後を追い掛ける。彼女は僕から逃げるようにして廊下を走り、僕は彼女に誘われるようにして廊下を走る。その距離は縮まることも開く事もしない。離れれば引き合うように縮まり、縮まれば触れられたくないと離れていく。

 そして、差し掛かる階段。

「きゃああっっ!!」

 突然。彼女の姿が視界から消えてしまった。

 一瞬、何が起こったのか分からずに彼女の姿を探して視線を彷徨わせる。

 彼女は階段の踊り場で、仰向けに倒れて震えていた。

「………あ」

 ゆっくりと。一段ずつ踏みしめて階段を降りると、彼女との距離は確かに縮まっていく。あれだけ反発しあっていた磁極は、今は互いに求めるようにして引き寄せあっていることが分かる。

 彼女が僕に伸ばした白い手は、赤い液体に彩られ小刻みに震えていた。

「ねぇ。僕と、付き合ってよ」


 捕まえた。

 彼女の白い手を優しく握りながら、もう一度。

 口元から赤を吐き出す彼女に向かって、僕は彼女に素直な気持ちを伝えたのだった。

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