第25話 ひな祭り
ひな祭りになると、毎年友人のことが羨ましいと感じていた。
大きな雛壇に飾られた綺麗な人形達。それは、とても豪華でキラキラしていて。三月三日までの期間限定ではあったが、その雛飾りが見られるのをとても楽しみにしていたのをよく覚えて居る。
友人はというと、日本人形よりも西洋人形の方が好みだったようで、あまり雛飾りを好ましく思っていないようではあった。それに対して少しだけ悲しいと感じてしまうのは、私の我が儘だったのだろう。
彼女の家は、三月三日を過ぎると雛飾りを早々に片付けてしまう。個人的には三月三日以降もその人形を飾っていて欲しい、と。そんな風に毎年思っていた。
「どうして直ぐにお雛様をしまっちゃうの?」
過去に一度だけ、気になって友人に聞いたことがある。
「いつまでも飾ってあると、お嫁さんに行きそびれちゃうからね」
友人の母親は少しだけ困ったように笑いながら、そんな風に答えてくれたんだっけ。
何故そう言われてしまうのかの理由は何となく聞けずじまいのまま。多分それは、ただの迷信だったのだろう。それでも、昔気質の祖母の影響か、彼女の家は毎年、三月三日の終わりにはそそくさと雛壇を片付けてしまうのだ。
私の家はというと、残念ながらお雛様なんて飾ったことはない。人形が余り好きではない父親と、そんな父親に頭の上がらない母親がいる関係か、そう言った類の物自体が家にある事は珍しかった。
家にある人形といえば、昔一度だけデパートで、母にねだって買って貰った可愛らしい女の子の人形が一つ。その他は動物のぬいぐるみが何体かだけである。友人の家に飾られているような煌びやかで美しい造形のものというよりは、身近で可愛らしいといった印象のそれらは、どうがんばってもお雛様の変わりにはなり得ないものだ。
勿論、それらの人形が嫌いというわけではない。
ただ、三月三日という特別な日に、女の子を祝うための美しい人形を飾ってみたい。
そう思うのは我が儘だったのだろうかと、今でも首を傾げてしまう。
それでも我が家では、その人形が飾られることは一度も無かった。ひな祭りというイベント毎も、ひなあられとちらし寿司を食べる程度で終わってしまう。
せっかくのひな祭りなのに……。
そんな寂しさを、心の何処かで常に感じていた。
ひな人形を自分で飾れるようになったのは、社会人になって一人暮らしをするようになってからのことである。
生まれてからこの方、まともにこのイベントを行ったことはないのだから、この先飾る必要もないのかも知れない。そう考えないわけではなかったが、それでもどうしても憧れが勝ってしまい購入を決めた雛人形。友人の家に置かれていたような豪華なものは揃えられなかったが、お内裏様とお姫様。たった二人だけの小さなそれは、私のとても大切な宝物になった。
この人形を買ってから、毎年三月三日の桃の節句が楽しみで仕方が無い。
ひな祭りが近くなれば、そそくさと丁寧に片付けてあった人形を引っ張り出して部屋に飾る。少しずつ周りに添えるアイテムが増え、いつの間にか飾り付けは豪華になっていったが、それがとても嬉しくて仕方が無かった。
ただ、何故だろう。
特に意識をしていた訳ではないのに、三月三日の晩には必ずこの雛人形を片付けている自分が居ることに気が付いた。
「うーん……」
友人の家で見たときは三月三日が過ぎても飾っていて欲しいと思っていたのに、いざ、自分がそれを飾る立場になると友人の家族と同じように片付けてしまっている。
「結婚出来ないのが嫌だって、無意識に思っちゃってるのかなぁ?」
迷信なんて信じている訳じゃないが、心のどこかでは恐れているのかも知れない婚期の遅れ。改めてそれに気が付き思わず浮かべてしまったのは苦笑だった。
「今年も有り難う。来年もよろしくね」
丁寧に梱包された箱の中。今年のひな祭りもあと数時間で終わってしまう。感謝の気持ちを込めて押し入れに仕舞えば出会えるのはまた来年。
これが、ここ数年のひな祭りだった。
その年は、珍しく仕事が忙しく帰宅が遅くなってしまった。
「……はぁ……」
業務が終わった後に誘われた食事で、付き合い程度に嗜んだアルコールが、良い感じで回っている。普段飲酒しないせいか、酔いやすい体質なのかもしれない。
「つっかれたぁ……」
家に着いたことで安心したのだろう。大きな欠伸が出てしまった。
「んー……」
視界の隅に確かに雛人形は映っていたのに、兎に角早く休んでしまいたい。熱いシャワーを浴びてそのままベッドに潜り込みたいという欲求に抗えず、始めて人形を片付けることなくひな祭りを終えることになったのだ。
「……んっ……」
息苦しさをを感じて寄せた眉間の皺。意識がゆっくりと浮上し現実とリンクする。
「っっっっ!!」
一気に促される覚醒に、思わず目を見開き声を上げる。はず、だった。
『なっ……』
身体が重い。
その事に気が付き頭がパニックになる。
重いという表現は些か間違っているかも知れない。どちらかというと、ベッドに縫い付けられたように身動きが取れないのだ。胸に感じる圧迫感は痛みを訴え、上手く呼吸も出来ない。
嫌な汗だけが噴き出し、寝間着をぐっしょりと濡らしていく。
まずい。
本能的にそう悟ったときには、耳元から気持ちの悪い呼吸音が聞こえてきた。
やばいやばいやばいやばい!
頭の中で鳴り響く警鐘。
なんとかしてこの状況を変えなければと焦るのに、身体が自分の言う事を聞いてくれない。この状況が長引けば長引くほど、何者かに与えられる恐怖が増幅し恐ろしくなる。
助けて!!!!
心の中でそう叫んだ瞬間、私の意識は突然途切れてしまった。
どのくらい気を失っていたのだろう。
気が付けば小鳥の囀る声が聞こえている。
「……ゆ……め……?」
怠い身体をゆっくりと起こし部屋を見回すと、不意に感じた違和感。
「…………?」
その違和感は何なのかを確認するべく、もう一度ゆっくりと部屋の中を見る。
「……あ」
確かに。昨日までは棚の上に仲良く座っていたはずだ。だが、今はお雛様だけが床の上に転がり天井を悲しく見つめていた。
「…………どういう……こと……?」
ベッドから降り転がった雛人形を拾い上げながら考えを巡らせる。
「あっ!」
そう言えば。
手に持った人形をお内裏様の隣に座らせると、本棚の中から一冊の本を取り出しページを捲る。
「確か、この辺に……」
そのページは思ったより早く見つける事が出来た。
「……そう……か……」
その本に書かれている事が本当かどうかは分からない。
夜中に何があったのかを確認する術はもうないのだから。
ただ、私はこう思う事にした。
お雛様が、私を守ってくれたんじゃないかな。って。
幼い頃、ひな祭りが好きだった。
今はちょっとだけ怖いと感じる。
でも、やっぱり、この日に飾られる人形は、私にとって特別で。
あの日以来、その雛人形は、行事とは関係無くとも、棚の上に飾られたままにしてあるのだ。
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