第72話 小説を書いていて変わったこと

 自分の体験を客観視するようになりましたね。


「これ小説のネタになるかもしれないな」


と自分の経験してきたことを振り返ると、冷静になれるんですよね。


 それはおもに心がネガティブな感情に支配されているときに顕著なんですが、生活していると「会社で腹が立つことがあった」とか「奥さんや息子に対して不満がある」とか、「「無性に人生が空しく感じる」とかさまざまな感情に心がいっぱいになって、それにしか考えられなくなることがあります。


 人と人とが交わり合って生活って成り立っているのですが、人はひとりひとり考え方も行動と違うので、その「違い」が軋轢となってお互いにストレスを与えますよね。社会生活を送っている限りストレスからくるネガティブな感情を自身のうちに溜めていくのは仕方がない。人間としての宿命だと思います。


 年を取ると、頭も心も若いころの柔軟性が失われて、よりストレスが溜まりやすくなります。「年を取ってまるくなった」と言われる人がいますが、嘘です。それは自己主張をあきらめただけです。その人の内側には高圧なマグマのような不満が溜まってるはず。


 小説を書いているうちに、そういう人の感情を描くのが面白いなと感じるようになりました。わたしの場合は、「負の感情」「ネガティブな思い」を描くのがすごく楽しいです。(読んでいる人はいやあな気分なるのかもしれませんが)人間は、(人間に限らず動物は)、理屈よりも感情で行動を決定すると思うんですよね。


「〇〇するのが楽しいから△△する」


とか


「〇〇が嫌いなので、〇〇と仲の良くない△△の味方をする」


とか「楽しい」とか「嫌い」という感情が人の行動を決定づけるでしょ。だから、小説が人の感情を描くというのは当然だと思うと、そこが楽しい。


 で、小説に描く感情の「見本」としてっていうことをやるようになりました。小説のネタはじぶんの心の中にあるというわけ。


 そういうふうにして自分の感情を観察して、「なんでそんな感情を抱いたんだろう」と解析するとどんどん冷静になっていきます。ものすごく腹が立っていたことも、恐怖を感じていたことも、順を追ってその感情がどこからやってきたのか考えていくと――なんだか大したことないように感じてきます。


 じぶんでは「大変だ! 大変だ!」とテンパってることも、小説のネタとして見ると……「そんなたいしたことじゃないよ、小説のネタにはならない」と分かって、冷静になれますね。


 小説を書くようになって、人生に無駄な瞬間などないって思うようになりました。「すべての経験が小説のネタになり得る」って思います。生きてるだけでネタが集まるって、おいしいなって最近は思ってます。。。

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