そして乙一信吾は信頼を学ぶ

@Fall_Soldier

第一幕


◆プロローグ


――――信頼とはなんですか?

恐らく、この問いに乙一信吾(おついち しんご)という人間は、『形がないもの』と答えるだろう。

何故か、それは彼の授かった一つの力が原因となっている。

乙一には子供の頃から"信頼の手綱(たずな)"が見えていた。

信頼の手綱とは、要するに人と人同士を繋ぎ止めておく線とも言えるだろう。

向けられる信頼が偽りであれば、その線は黒く見え、逆にその信頼が本物であれば、線は白く、そして濃く輝く。

人同士の繋がりには信頼が必要だ。

信頼がなければ、人同士の繋がりを長く保つことは難しい。

故に、その線が見えていた乙一は過酷な幼少期を送ることになる。

――――この物語は、そんな過酷な幼少期を歩んだ乙一が、"サッカー"と呼ばれる、ボールに信頼を重ね、委ねるスポーツに出逢い、

人生の転機を迎えた瞬間の記録だ。


◆大人はいつも鬱陶しい


――――はぁ、鬱陶しい。

地方のド田舎にある信善中学校の二年生【帰宅部】である乙一信吾は、担任の女教師である御門鳴海(みかど なるみ)【3X歳】によって生徒指導室に呼び出され、

ガミガミと説教を受けていた。

「乙一、お前なんでそんなに自分以外の人間を信じられないんだ?」

「多分なんですけど、それってまず俺に信じられようとしていない奴らが悪いっていうか」

乙一がそんな軽口を叩く。

すると御門は、眉間にシワを寄せ、ジロジロと乙一を軽蔑するような目で睨む。

「ざけんな、なんでもかんでも他人のせいにしようとするな、罪を他人に擦り付けようとするな、そして目が死んでるぞ」

「いや最後、悪口ですよね絶対」

「――――とにかくだ、"さっき"の件だけじゃない。

お前のその人を見下しきっている態度、ボソボソと何を言ってるのかも聞き取れない主張のない声といい――――、更生が必要だ」

御門はそういうと、妙に着こなしている紫色のジャージの袖を捲る。

「いや、先生? 暴力とかで解決って言うのはちょっと大人としてどうなのかなって――――」

「お前は私を一体何だと思ってるんだ!? ゴリラにでも見えたか!? 見えたのか!! こんちきしょ――――!!」

乙一がそう御門をからかうと、彼女はまるで子供の様に生徒指導室の床でじゃれつく。

「いや、ゴリラなんて言ってないですし、妄想が激しいっすね」

「――――ッ!? も、妄想……だと、お、大人をからかうのもいい加減にしろ――――!!」

御門は怒鳴り、乱れたジャージと綺麗な短い黒髪を整えると、咳払いをしてこの場の冷めた空気を整える。

「全く、お前は油断ならないな。

それでもう少し、他人と仲良くできればよかったんだがな」

「他人と仲良くしなくたって、生きていけます」

「ハハッ!! お前みたいな人生舐め切っている様な輩は皆そういうんだよ」

御門は両手を腰に当て、自信満々に胸を張り、そしてこう付け足す。

「――――でもな、今はそう思っていても別に構わん。

大人になった時に気が付ければそれでいいのさ」

彼女は優しい瞳で、乙一の黒い瞳を見据える。

――――彼女のその眼差しは、白く輝く線として乙一へと向かっていく。

その現象は、別に珍しい出来事ではない。

御門鳴海が乙一と接するときは、いつもその線が流れている。

乙一もその事には気が付いてはいるが、それがまた彼を不信にさせていた。

――――何故、こんなにも彼女は自分を叱っているのに、この人からは輝かしい白い線が流れているのか、と。

乙一からしたらその見解は、矛盾に等しい。

悪意を向けられているのに対して、悪意を向けている彼女からは信頼が向かってくる。

異常だ、それはおかしい、そんなことあるはずがない。

だって、今まで自身に悪意を向けてきた人達は、必ず黒い線が流れてくるから。

「――――ム、そう黙られると気まずいんだがね」

御門は頬を膨らませ、再び眉間にシワを寄せている。

「まぁいいか、放課後にまたここに来なさい。 "今回"の件も含めて君には"罰"を受けてもらう」

「――――た、体罰とか今の時代どうなるか知りませんよ?」

乙一がそうヤジを飛ばすと、御門はムフフとにやつきながらも生徒指導室を後にした。


◆一時間前の出来事


時刻は十二時頃、親善中学では丁度昼休みの時間である。

「だ~か~ら~、盗んだのは俺じゃないってば――――」

そんな中、乙一が在籍する二年二組では、一人の生徒から発せられる抗議の声が高鳴る。

――――そう、このクラスには経った今、泥棒が現れた。 だが誰もその正体は知らない。

無くなったモノとは、乙一信吾の財布だ。

友人もいなければ、恋人もいない彼の身に起きた問題は、他のクラスメイトからしたらどうでもいいこと。

だから、誰も彼を気にしないし声をかけもしない。

ただ、もしも、そんなどうでもいい彼から自分たちが疑惑の念を抱かれるとクラスメイトが知ったら――――。

「はぁ――――? 紅蓮(ぐれん)が人のモノ盗むわけないじゃん。 少しはその貧相な頭で考えたらどう? クスクスッ」

「い、いやでも俺が教室に入る前に俺の席に座って――――」

「だからってさ、紅蓮を決めつけるのなんて酷くない? 『お、俺の財布持ってたりしない?』って、声聞くの初めてでびっくりしたわ――――」

「ほんとそれな、開く口あったんだ――――って感じ? それよりさ、今ので気分が悪くなったから謝ってくんない?」

このクラスの不良である紅蓮と呼ばれる赤毛の男は、自身の恋人である金髪の彼女、水戸南(みと みなみ)に擁護されながら、

特に罪悪感などを感じさせずに、座席に座りながら何もない自身の机の上で足を組む。

「い、嫌だ、謝るのは君の方だ、俺だけじゃない、クラスの皆困ってるんだよッ!!

いつもいつも王様みたいに調子に乗って、ふざけるなッ!!」

「――――へぇ、陰キャのくせして声上げようってのか?」

紅蓮は席から立ち上がると、自身の両手の指をポキポキと鳴らして乙一へと詰め寄っていく。

彼の乙一に向けられる信頼は皆無だ、それは乙一からも同様。

互いに信頼を向けるに値しない存在、と彼らは互いに思っている。

「痛い目に遭いたいみたいだな」

「そ、それはお前の方だッ!!」

一年間――――。

それはこの紅蓮という人間に、支配され続けた二年二組が体験した長い長い期間。

乙一は我慢の限界を超えていた。

今日こそやってやる、そんな心構えが今、乙一を抑え込んでいた蓋を蹴り破ったのだ。

「おおおおおおおお――――!!」

乙一の不器用なパンチが紅蓮へと放たれる。

「よっと」

しかしそれは、軽々と避けられてしまう。

彼は不良だ、ケンカなんて日常茶飯事。

故に、このような揉め事なんて彼にとってはいつもの事なのだ。

――――何かあれば疑われ、ケンカをして、そして疑われまたケンカ、それを繰り返す。

そんな彼のケンカでの勝率は――――。

「ぐはッ!!」

男のアッパーカットが乙一の腹部を屠る。

決して中学生とは思えない力、その剛力を備えている天性のケンカ番長。

"無敗"の○○――――。

その呼び名はこの地方近辺だけには留まらず、日本全域を飛び交う。

時には、高校生達を相手にとっても引けを取らない異常なまでの戦闘能力。

無敵と言う言葉は、この男の為にある。

「俺を誰だと思ってやがる?」

百戦錬磨。

――――ケンカ"無敗"のその男の名は。

「――――俺の名は、鳳来紅蓮(ほうらい ぐれん)、泣き喚くなら今の内だぜ?」

鳳来は自慢の赤毛を靡かせながら、床に蹲る乙一を見下す。

『期待なんてさせるなよ』

『ダメだったか――――』

『やっぱりこの先もずっと鳳来の言いなりか』

クラスメイト達の"黒い"眼差しが乙一を射貫く。

――――これは珍しいことではない、これが乙一信吾の日常だ。

いつも、いつも乙一は周りから信頼されていない。

その理由は、別に乙一が以前から彼らの信頼を裏切ってきたからという訳ではない。

信頼とは、根付くものだ。

たった一瞬の信頼など存在はしない。

もしそれに近しいものがあるとすれば、それは信頼ではなく、人はそれを信用と呼ぶだろう。

――――信頼と信用の違いは何か。

乙一信吾はその答えを知っている、信頼の手綱という線を幼い頃から見てきたから。

信頼は太く、切れることはない、だけど信用は細くすぐに途切れてしまうとわかっているから。

信用とは、何が何でも"やり切る"ことだ、百パーセントの結果以外、信用とは呼ばない。

できるかできないかではない、"やる"か"やらない"かなのだから。

やらなければ意味がない、やり切らなければ結果は生まれない。

そんな他人頼りの淡い期待を彼らは心の内で勝手に孕み、そして勝手に絶望するのだ――――。

「うううううう――――」

鳳来の一撃で乙一の身体は悲鳴を上げる。

でも、立たなければならない、勝手に背負わされた"信用"を裏切らないために。

「まだ立つか、止めておけ。 無駄だ」

「――――それでも、それでも立たなくちゃ」

黒い視線は恐ろしい、そう乙一は思う。

だから、早く黒い視線を白い視線へと変えたい、早くこの場から居なくなりたいッ――――!!

「これって誰の財布? 廊下に落ちてたけど――――」

すると、一人の女子生徒が黒い地味な財布を宙に掲げて、異様な空気の教室へと入ってくる。

「あ――――、え――――?」

その財布は、乙一の財布であった。

――――勘違い。

そんな馬鹿な、とそう乙一は思う。

彼が犯人だと思っていた、だってコイツはいつも他人に迷惑ばかりかけて――――。

嘘だ、そんなことはない、嘘だ、嘘だッ!!

「――――そら言ったろ、俺は盗っちゃいねーってよ、それなのにお前は俺を勝手に疑って、挙句の果てに殴りに来た。

この状況で、お前は俺に謝るのが嫌だって言えるかぁ?」

鳳来は腰を曲げ、蹲る乙一の顔をわざとらしく覗かせる。

「お前らッ――――!! 何やってんだッ!!」

そんな中、乙一達二年二組の担任である御門鳴海は声を荒げながらも、この場に乱入しこの場は収まることになる。


◆そんな無茶振りは一種の体罰だ


六時間目が終わるチャイムが鳴る。

「よし、帰ろう」

乙一は席を立ち、教室を後にする。

「あ―――、そういえば」

昇降口までやってきて、先ほど御門に言われたことを乙一は思い出す。

踵を返して、集合場所である生徒指導室へと向かう。

「遅れました――――、って」

生徒指導室の引き戸を開ける、するとその中には――――。

「あれ、御門先生じゃないじゃん、あの人何やってんだよ」

――――女子生徒が居た。

乙一の知らない生徒、ではない。

知っている、だが喋ったことはない、そんな生徒だった。

"現"サッカー部キャプテンであり、乙一と同じ中学二年生でありクラスは二年一組。

桜色の長髪を後ろに束ね、男勝りな喋り方をする彼女の名は、花園八重(はなぞの やえ)。

「花園さん、だっけ。 どうしてここに?

俺は御門先生に呼ばれて来たんだけど」

「はぁ――――、アンタも御門先生に呼ばれて来たんだ。

名前なんて言うの?」

同学年なんだからせめて名前くらい知っていて欲しい。

それが、今の乙一の感想だった。

「乙一信吾、二年二組だよ」

「あ――――、確か昼休みにクラスで揉めてた奴だよな。

なんかあったの?」

花園は事情など露知らずに、ズカズカと乙一の心の中に土足で踏み込んでくる。

そして、乙一はこういったプライバシーが全くない人間が嫌いだ。

こういった人間は、信頼するしない以前の問題であり、あわよくば元々あった人間関係すらも壊していく。

そんな、まるで異常者のような人間。

そう乙一は、過酷な幼少期の経験を経て、理解したのだ。

「いや、別に何も」

冷めた声色で花園の問いに答える乙一。

――――あなたは好きじゃありません、そんな意思表示が籠ったように冷たい、悪意の回答。

「ちぇ、なんだよ、気遣ってやったのによ」

花園は舌を鳴らすと、床に落ちているクシャクシャに丸められた紙を蹴り飛ばす。

要するに、機嫌が心底悪くなった。

花園からしてみれば善意で乙一へと気を使ったのだ。

それなのに、乙一はそれを善意とは受け取ることは出来ずに、冷めた態度で当たってしまった。

この場で誰が悪いかと言われれば、それは誰も悪くない。

感情、気持ち、そして心意。

これらは、互いの価値観の中でしか収まらない信条でもあり、信念だ。

時に信念とは、他人同士を行き交うことはありえない。

"信頼"で結ばれもしない限りは――――。

「すまん、遅れた。

って、なんだい、まだ全員そろってないのか」

それから少し遅れて、御門がようやく生徒指導室へとやってくる。

「全員って、先生他にだれ呼んだの?」

「ん――――、内緒」

御門は少し悩むと表情を一切変えず、そう言い切る。

「そうだな、待つのは癪だ。

"彼"には後で話すとして、早速本題に入ってしまおうか」

御門はそういうと、紫のジャージの裾を捲り自身の胸の前で腕を組む。

「結論から言おう、乙一、君は協調性に欠けている。

コミュニケーション能力は低いし、加えて君自身がそのことを気にしないし、直そうともしない。

正直先生は疲れたよ、だから決めた」

「――――決めたって、何を?」

「乙一、君には今日からサッカー部に入って信頼が何なのかを学んでもらう」

そう、光り輝く信頼を乙一へと向けながら――――。

「「えええええええええ――――!?」」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

そして乙一信吾は信頼を学ぶ @Fall_Soldier

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る