ガール、ミーツ、オシャレ牧場。

森下千尋

ガール、ミーツ、オシャレ牧場。

 「ダサーッッ! なんだよおまえその頭、マジウケんだけどー」

 終わった。クラス一のお調子者カネキの声が教室中に響き渡る。私の中学生活は、 髪型の変化であっけなく、終わりのチャイムを鳴らした。

 「オーイオイオイ。どうしちゃったのよ、横芝ちゃんその前髪」カネキは笑いが止まらない様子で「なあみんな見ろよ」と囃し立てる。

 私は顔から耳まで真っ赤になっているのを、全身の細胞レベルで感じた。

 やめろ、やめてくれ。

 「なあ、フジイ──」

 お願いだから。

 「フジイ、おまえどう思う。横芝の髪型」

 不意にカネキから、耳につけていたイヤホンを奪われたフジイくんは、(私は物憂げな顔で窓の外を眺め音楽を聴いている彼が好きだった)「えっ」と視線を宙に漂わせた。

 ゆらゆらしたその眼が、私の視線と交わる。

 「あれ、横芝。髪型変えた?」

 フジイくんは私の好きな人。彼にだけは無残なこの髪型は見られたくはなかった。

 「面白いね、ヘルメットみたい」

 グッバイ青春。ヘルメット横芝、なんて売れないピン芸人のようなあだ名で、残り一年とちょっと中学生を送れない。この閉鎖的コミュニティに逃げ場なんかないよね、ねえ違う?

 今日以降の未来から逃げたい。話は昨日の夜にさかのぼる。


 「七瀬、あんたそろそろ髪切ったら。もう! ボサボサなんだから」

 母が風呂上りの私をみて怒る。高校生の姉はスマホ越しに、私に一瞥をくれるとフンッと鼻を鳴らし小馬鹿にした。

 「どうせ走り回るんだから何でもいいじゃん」

 オシャレとか、未知の世界だし。私の関心のほとんどはバスケ。再来週に迫る県大会の事でいっぱいだった。

 「俺に似たんだな七瀬は、父ちゃんも外見には興味ない。男も女もハートだハート!」

 父は晩酌も進んでいて上機嫌だった。姉が、「ウザッ」と顔をしかめて言う。

 「あんたは興味持てよ、年中タンクトップ。七瀬、とりあえず前髪くらい切ったら? 邪魔でしょ」姉、六実の心無い言葉に、父はまるで胃腸炎にかかったように悶絶した。隣にいる母が笑う。

 「確かにうっとうしいかも」私は伸び放題の前髪を指先でつまむ。

 「おお、じゃあ父ちゃん切ってやらあ。オシャレってやつを、六実と七瀬おまえらに見せてやるよ」私は嬉々として、姉は露骨に嫌な顔をした。

 「え、なにあんた。まさかお父さんに切ってもらうの?」姉は続けて私の事を驚きの表情で眺めた。

 「前髪くらい誰が切ったって変わらないでしょ。むしろ出かけなくて済むし」

 私が暮らすまちは、太平洋に面する海だけが取り柄で何も見どころのない、要するに超ド田舎な場所である。近年は東京に住むミドル世代が、セカンドハウスといってこのまちに大きな住宅を構える。東京でバリバリ働いて、週末は家族とこっちへ。サーフィンしたり読書したり。

 おいおい、こちとらファーストハウスだっつーの! まあとにかくそんな所なので美容室なんてない。電車に乗って隣町まで行かないと、ない。

 「うりゃっ」

 ジョギ、ジョギッジョキッ。繊細さのかけらもない父のハサミさばきで、私の前髪がドサッと落ちる。え、落ちすぎ。

 「もう一度行くぞお」

 えっ、いやちょっと待っ・・

 ジョギジョギッッ。

 「いやぁぁぁぁー!!!」

 姉が横で腹を抱えて、ぎゃははと笑うのが見えた。その横で母も声を押し殺し、クフフッとニヤつく。ヘルメット横芝七瀬はこうして誕生した。ちょっと、どうにか直してよと家族に涙目で訴える私。

 「私不器用だから」と母。

 「何言ってるの、その髪型オイシイじゃない」と姉。私は髪型にオイシイも求めてない!

 「もういちお切るああ」と呂律が回らない父。

 「家族でしょうに!」私の叫びは空しく台所にこだまする。



 「だいじょうぶ、七瀬?」

 親友のほのかが声をかけてくる。私は机に顔面を突っ伏したまま、残りの授業をやり過ごした。

 「大丈夫にみえる?」

 「みみみ、見えないよう」気弱なほのかは私の機嫌を損ねないように言う。「あたしが七瀬の頭を隠すから一緒に帰ろう」

 「えっ?」


 「シュッシュッシュシュッ」ほのかは私の後ろに立ち、私のオデコの前で両手を高速で動かしている。意味不明だ。せめてオデコに置いとけよ。逆に生徒たちの注目を浴びる。

 「ほのか、これさあ。意味ないよね」

 「シュッシュッ、え。前向かないと危ないよ。シュッシュッ、早く帰らないと。前代未聞の珍事件なんだから」

 「ほのか、やっぱアンタ馬鹿にしてるよね」

 「……ごめん面白くて」

 「くそ! 本当どうにかしたい、七瀬泣いちゃう!」

 「あ、あたし知ってるよ。美容室。見たの」

 「え? どこで」

 「海が見える公園の横で」



 潮風が心地よく吹く、海沿いの道をしばらく歩くとだだっ広い大きな公園に着く。

 「ちょっと、こんなところに美容室なんてあるの?」

 「確かに見たんだってば」

 このまちで生まれ育った私が知らないのだ、最近出来たのだろうか。オシャレすぎるのも嫌だなあと思った。コンビニで立ち読みする女性誌に出てくる美容師はみんなオシャレで、こっちがドキドキしてしまう。


 あ、あそこ……、ほのかが指をさす。あった。木造の小屋が一軒、立派な庭付きで。

 拍子抜けしてしまう。民家じゃん。二人が近づくと、小屋の前に手作りの看板がちょこんと立っている。

 【美容室 オシャレ牧場】

 「めちゃダサくない?」私が引き攣った口角を無理やり上げると、ほのかが反論する。

 「逆にオシャレだよ!」逆なの? というか牧場ってどういう……。

 「ワンちゃんだ!」ほのかは声を上げる。確かに、庭には鎖で繋がれたラブラドールレトリバーがいた。

 「可愛いねえ」ほのかはすぐさま近寄り頭を撫でている。

 「ダメだよ! 他人の家に勝手に入っちゃ」私はほのかを追いかけ、庭を眺めて絶句する。

 ウサギ、レッサーパンダ、ゲージに入れられた各種トカゲや蛇。そしてワニ。マジですか。

 「ほのか危ない!」

 「えっ、い、いぎゃあぁあー!」

 辺りを見回したほのかは奇声を発し、生き延びることを最優先とした。つまり最速で走って逃げていった。置いていかないでよ!

 「なんだか、騒がしいねえ」

 その時、綺麗な紫色の髪をギュッと一本縛りにした女性が、玄関扉を開けて出てきた。目には色付きの眼鏡をかけている。凛として、黒いオーヴァーのシャツとスリムなジーンズを着こなしている姿は四十代後半だろうか、飾っていないけど格好いい。

 「ジョセフ、静かにしな」彼女はオォンオゥンと鳴くラブラドールを一喝し、立ちすくんだ私に気付く。頭の先から足先までみて、視線はもう一度頭へ。

 「お客さんかい。どうぞ入りな」

 私は断れずにおずおずと言われるがままに、美容室オシャレ牧場へと入っていった。



 店内には、三匹の犬と子豚、猿や鶏たちがいた。

 「マジで牧場なんですけど……」

 この人はオーナーだろうか。女性は手をアルコールで消毒すると、「ようこそお嬢ちゃん、オシャレ牧場へ」と言った。そして、チェアに私を座らせると慣れた手つきでクロスを掛けた。

 「辛かったろう」唐突に女性は私の髪の毛に触れた。

 「へぅ」我ながら間抜けな声を出してしまう。

 「最近の子は、こんなクソダサい髪型にするなんて、嫌なイジメ方するねえ」彼女は毒づいてみせる。

 「いじめでは、ないんですけど……」父にやられただけだ。私が説明しようか逡巡していると「分かってる」と首を縦に振った。絶対分かってない。

 「大丈夫、アンタ可愛くなるよ」一言、彼女は呟くと私の頭にハサミを入れ始めた。

 チョキチョキ。心地よいリズムが動物の鳴き声と呼応しハーモニーになる。私は流れのままに、ただ彼女へ身体を委ねた。

 不思議と安心感があった。切られていく髪の毛。ハサミの先がスゥっと髪のあいだに入り、パラパラと落ちていく。迷いがなく、私の呼吸と彼女のそれがピッタリと合ったようだった。私はぼんやりと彼女を見る。

 どこかで見た顔だと思った。しかし思い出せない。

 紫の髪、一本縛り、凛とした出で立ち。それぞれのピースが繋がり記憶が蘇る。

 一年前、ネットのトレンドニュースで見た。

『表参道のカリスマ美容師、客に暴言、業界即刻引退か──』

 ビップと呼ばれる常連のお客様に対し、気に入らないことがあったのか、彼女は暴言を吐いたのだ。思い出した。しかし、吐いた相手が悪かった。四十代後半の男は著名な評論家で、美容院などの集客も、彼の一声で変わってしまうほど影響力を持った人だった。

 「あなた、もしかして」

 私は目の前の現実に対しリアリティを感じなくなってきた。オシャレに疎い私でも知っている有名人だ。

 「にゅ、ニュースみました」と告げると、彼女は肩をすくめる。「わたしも有名になったもんだ」

 表参道、原宿。オシャレの第一線で活躍していたトップスタイリストに切ってもらっている。父に切ってもらった昨日とはまさに天と地の差だ。

 遠久野ナギ、カリスマ美容師としてサロンワークに留まらず、パリやミラノのショーなどのヘアスタイリングも担当。自由で型破りな言動がメディア受けし、サロンは連日満員、芸能人にもファンは多い。

 なのに、目の前の彼女は、風を纏っているかのように軽やかでいた。

 「なんでこんなド田舎にいるんですか?」

 例の事件の後逃げてきたのかな、と私は思った。ナギさんは鏡越しに私を直視し言う。

 「このまちが気に入ったからさ」

 彼女は毛先を指で触って確認し、少し整える。

 「何もないところですけどね」私は自虐的に眉を寄せた。

 「都会には何でもあるのかい?」ナギさんのハサミがチョキチョキ、次は襟足を切っていく。

 「そりゃあありますよ。オシャレなカフェとか服屋さんとか、正直羨ましいです」

 なるほどねえ、とナギさんは頷くと、私の耳たぶの後ろにある髪の毛を箸先くらいの束掴むとペタペタと何かを塗りだした。

 「しばらくそのままで待ってて」

 言われるがままに座っていると、動物たちが足のほうへ来て匂いを嗅いだり、からだをあててくる。ひぃ。

 「安心しな、食べはしないよ」ナギさんは彼らに餌をあげていく。一食でもたくさんの種類と量だった。

 「名前は? 何て言うのお嬢ちゃん」

 「ななせ、横芝七瀬です」

 「七瀬、良い名前ね。ここにはたくさんの動物がいるでしょ。犬もいれば蛇もいる、キリンは、今はいないか。とにかくいろいろがここで生きていて、自然に共存している。それがオシャレ牧場なのよ」

 「すみません、意味がわかりません」

 「つまり、自然が実はオシャレってこと。自然はありのまま。だから七瀬、あなたもありのままの自分でいることが、結果的に一番オシャレなの」

 ありのままの自分なんてわからないよ。ナギさんは私の心を見透かして言う。

 「例えば、髪型。似合うヘアスタイルなんて、髪の毛の声を聴けばわかるわ。簡単にね」

 もうちょっと切ってよーって。

 「それって天才ですよね」

 「注意深くしていると、誰でもわかってくるよ段々と」ナギさんが部屋の窓を開け放つと潮風が海から運ばれてきた。

 「聴こえない? 風の声」

 私は目を閉じて耳を澄ます。風はやんわりと海の匂いがしてくるくると舞う。

 「わかりません」私にはお手上げだ。

 「最初はそんなもんよ、感じるだけ」彼女は続ける。

 「まずは、自分の声を聴きなさい。迷った時悩んだ時。学校なんて別に行かなくてもいいんだから」

 「だからいじめられてませんて」

 「そうなの?」と彼女は大げさに目を丸くする。「まあ学校は行ったほうが良いわよ」

 「さあシャンプーして仕上げるよ」クロスを外し、シャンプー台へ私は連れていかれる。


 鏡に映る私は、先ほどまでの『ヘルメット横芝』ではなかった。

 「ショートボブ、気に入った?」

 ナギさんはやっぱりカリスマだった。私は首を大きく縦に振る。

 「あとインナーカラー、目立たないように入れといたから」

 光の当たり具合で、明るいトーンが耳の後ろに見え隠れする。

 「すごい、すごいよ。本当オシャレ」

 はち切れんばかりの笑顔になる私をみて「でしょう」とナギさんも頷く。

 「でもこれ、学校で怒られちゃう……」

 校則でカラーは禁止だ。

 「あらあ」ナギさんは少し考える仕草をして言った。

 「じゃあ明日の放課後染め直しにきなさい。それまで家族友達にみせてあげな」

 「なんかもったいないよね」残念がる私の肩をポンと叩く。

 「なあに、すぐに伸びるんだから。また好きにすればいい」

 「その言葉、逆にオシャレですね」軽やかなナギさん。軽くなった私と髪。

 「逆ってなによ」

 風に吹かれた。

 ナギさんにつられ私が笑うと刹那、毛先が風に吹かれて、小さく踊った。

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ガール、ミーツ、オシャレ牧場。 森下千尋 @chihiro_morishita

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