孤独な線

三角海域

孤独な線

 公園で絵を描く子どもを見かけた。

 親はそれを横で微笑ましそうに見ている。

 日常の一コマ。どんな子どもであったか、どんな親であったかは、思い出すことはできない。あまりに日常的であると、記憶というのは薄れてしまう。

 薄れずに残っている記憶。それも、それが鮮明であればあるほど、非日常的であることの証なのかもしれない。

 公園のベンチに腰掛けて、誰もいない砂場近くのスペースを見つめる。

 すると、鮮明に、ある老人の姿が浮かんでくる。

 どれくらい前だったか。

 一年前か、三年前か。それより前ということはないと思うのだが、とにかく、何年か前の話だ。

 公園前の通りは、ゆるやかな坂になっていて、僕はそこをのんびりと歩いていた。

 ふと、絵を描く老人の姿が見えた。

 ずいぶん面白い場所で絵を描いているなと思った。

 砂場近くの奥まったスペース。背の低い木の横に、その老人がいた。

 公園の遊具側を見ているわけでもなく、向けている視線の先には、木しかない。

 一応、木の向こうには景色があるわけだが、なぜわざわざそんな場所で。なにかしらのこだわりがあるのだろうか。

 老人に興味を持った僕は、少し離れた場所からその老人の絵を覗き見た。スケッチブックと、ペン。ゆったりとした動作で、ペンを走らせる。

 よく見えなかったので、もう少しだけ近づいてみる。

 老人は、線を描いていた。

 描く、なのか、書くなのか。意図があるのか、そもそも、絵を描いているのかどうかすらわからなかった。

 面白いなと思った。

 魅力的だなと思った。

 時折見かけるどんな奇抜な人よりも、この線を描く老人には、ドラマがある。

 話しかけてみようかと思ったが、気味悪がられそうだし、何よりも迷惑になったら嫌だなと思ったので、そのままその場を後にした。

 それからしばらくたち、またあの老人を見かけた。

 偶然なのか、僕がこの公園前を通る日と合っているだけなのか。後者なら嬉しいなと思い、通りすぎる。

 そして、次の週。またあの老人を見かけた。

 これは、運がいい。きっと、後者だったのだ。

 公園に入り、絵を覗き見る。ほめられた行動ではない。けれど、老人の描く線がどうしても気になってしまった。

 線は、増えていた。

 なんとなく、木にも見える。老人は、目の前の木を描いているのだろうか。

 しばらく線が増えていくのを見て、その場を去る。

 公園を背に歩きながら、あの線はなんの意味があるのかを考える。ただ木を描いているのか、それとも、他の意味があるのか。

 意味があるとしたら、どんな意味があるのか。

 二週、三週と日々が過ぎる。その間も老人は公園で線を描き続ける。

 ある時、老人がいきなり手を止めた。

 後ろからのぞいているのがバレたのかと思い、慌ててそっぽを向くが、そうではないらしい。

 老人は自分が描いた大量の線をじっと見つめる。

 そう言えば、と僕は思う。

 老人は、一度も顔をあげない。

 ということは、目の前の木や景色を見ているわけではない。

 では、老人は何を見て線を描いているのか。

 数分間、老人は自分の描いた線を見つめていたが、その後、何事も無かったかのようにまた線を描き始めた。

 そうして、寒い季節が終わりの気配をみせたころ。

 老人は、公園に姿を見せなくなった。

 二週、三週。いない。

 ひと月。もうあたたかい。けれど、いない。

 緑が見え始めた公園。僕は、老人が絵を描いていた場所に立ってみる。

 あの線は、何だったんだろう。

 凍えそうな寒い季節。砂利を巻き上げる冷たい風。

 体も、心も冷え切ってしまいそうな強い孤独を思う。

 孤独を線で塗りつぶしていたのか。

 季節は巡る。もうあたたかい。

 緑を揺らす柔らかい風が、老人の冷たい孤独をあたためてくれたのか。

 そもそも、勝手に孤独を思うのも、失礼な話だろう。

 何分か、その場に立ち続ける。

 僕の目には、木しか映らなかった。

 冬になると思い出す。

 曖昧な線と鮮明な記憶。

 孤独。

 強い孤独。

 老人の描く線に、僕は自分の孤独を重ねていたのかもしれない。

 春が来る。

 けれどそれは、誰のもとにも、というわけではない。

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孤独な線 三角海域 @sankakukaiiki

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